父母会

先日、親子3人どーでもいいことに白熱討論バトルをして、意外と仲良いかもと浮かれています。

noteを書き始めて、最近子供が優しく接してくれるように感じます。理由は母親が時間を持て余し寂しさのあまり子供を引き留め、興味ない話しを聞かされるという事が少なくなったからのような…。

今回は子供の部活動の父母会から思うことをダラダラと。

世代

中学校の部活って親も含め独特だと思いませんか?娘が中学入学当時は、部活動はたった3年(実質2年半)、子供が他のことに影響を受けずただただ打ち込める時期だと思っていました。

子供達は、同じ吹奏楽部で活動したのですが、たった数年で私が歳を取ったのか、偶々なのか、世の中の流れがそうなのか、学年が変わっただけで学校や部活の雰囲気が違います。

1番感じたことは子供は、下の子の学年が自分たちで話を決められない、動くことができないことです。原因は親の対応だと思いました。

集まりからSNSへ

親の態度、考え方は子供に反映します。(親を反面教師とする例外もあります)。たかが父母会、されど父母会です。

親同士の付き合いはSNSが主流になり、自分が責任取りたくないから逃げの返信や、既読無視、または誰かをディスることだけ同調して結局何も決まらず、ダラダラしている事多くないですか?その様子を子供に見せていませんか?

親同士の付き合いを自宅で行っているという事、子供に見せている危険性がある事は気をつけた方がいいと思うのです。

ひと昔前は、良くも悪くも学校とかに集まり、決まるまで帰れない。早く帰りたいからなんとか決まるという感じでした。

今は忙しいから余計な集まりを持たず、SNSで情報発信だけでなく話(感情論)もし、嫌われたくないから決まらない。そこが子供にも反映されている感じがします。

少子化

以前は子供も多く部員も多かったので、大型の打楽器を運ぶのは生徒だけで行っていました。今は部員数が少なく、音楽室が上の階だと何回も階段を上り下りしないといけません。特に大会終わりなど疲れた状態で子供に怪我をさせてからでは遅いという感じで親が手を出すようになりました。

親が手を出しようになると、子供はさらに考えなくなるし、回数を重ねるごとに当たり前になって子供が動かなくなります。親が率先して子供の活動に手を出すのも難しいですね。

好み

不思議だけど当たり前の事に、同じ内容の事でも発言した人によって、賛否が分かれることがあります。好き嫌いフィルター恐ろしや。逆に、少し考えが違っても、嫌われたくない人に対しては意見に従います。結果、数人で全体を引っ張ります。この数人の考え方によって大きく分かれるのですが、私の周りの若い世代の親の大きな特徴として、「(周りに)嫌われたくない。陰口を言われたくない。」と思う人が多いようです。陰口を言われたくないという人は陰口を言っているわけで、嫌われたくないと思う人は嫌いな人が近くにいるわけです。親が陰口と教えているからなのかなと思います。ただ口調がきついだけで内容を考えずに怒られたと思うことにも似ています。結果注意できない(後輩を指導できない)上級生が出来上がっていくわけです。

そういえば、娘に中学入学のころ本人がいないところで”嫌い”という言葉は使わないように言いました。「周りから意見を求められたらできる限りお茶を濁すか、「合わない」というあいまいな言葉を使いなさい。陰口は必ず自分に返ってくるからね。」と。

自覚

実は親の賢さが子供にも反映していて、賢い子が多いと本質(今何をしないといけないか)がわかって好みもあるけど子供だけの話し合いで決める方向に話がまとまる学年もあるようです。まるで自分や娘がが賢いと言ってるみたいですが、私の場合は娘の同級生の親の方が数段階賢かったです。その方々のおかげで自分も少し賢くなれました。

だからからか、父母会がスムーズに進みました。人任せではなく、できることを自分から発信して参加するという感じでした。役職はつきたくないけど、活動には責任をもって参加するという感じです。

自分たちがやらないとと自覚をもって動いていれば、子供も見習います。常に逃げている様子を見ていればずる賢い子は逃げ道を見つけます。親が正面から堂々と活動していれば、子も堂々と活動します。

上手く父母会が回らない時は、決めて指示されたことはやるけど、自分で意見を出すということは少ないです。結果人任せ、足りないことが見つかったときは、決めた人を非難して…。

子は親の鏡

話が飛躍しますが、親が普段から目的を明確に持って行動すると、子供も似てくると思います。今回は部活動を例に挙げましたが、どんなことでも子供は親を見ています。幼いうちは親の行動が正しいと思っています。大きくなるにつれて、逃げ道を見つけてごまかそうとします。

私事で言えば、私は将来、子供に嫌われると思って子育てしてきました。それは、好かれようと子育てして実際嫌われたら、立ち直れないと思っての自衛のためです。だからと言って、子育てをないがしろにしたつもりはなく、自分が青春時代に足りなかった考え方や生き方を示したかったから。具体的には、子供と直接向き合うより、常に子供にかかわる外部のコミュニティーにかかわって活動することです。それがいい、悪いは別として、子供にはいろいろな場面で、常に逃げる人生ではなく、一度は正面からぶつかる人生を選んでほしくて、父親がそばにいない分、私がいろんなことから逃げていたら子供に影響すると思ったからです。

子供の考えや行動に悩んだとき、ふと我に返ってみると子供への注意の仕方が変わります。自分が足りなかったことを素直に認め、自分の気持ちを素直に伝えるといい方向に変わるときもありました。

正解かどうかはわからないけど、今のところ子供たちは自分の考えをもって学生生活を送っているようなので、細かい文句は多々ありますが、今は続けていないけど、部活動はいい経験だったと思います。