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ベルギー生活2年目、大学院へ

早いもので、休職してブリュッセルに来て1年が経った。

家族はそれぞれに各自の試練を乗り越え、コロナでレストランが長らく閉じていたので外食もほとんどせず、心身共に健やかに過ごすことができた。私はというと、日本を離れ、フルタイム残業しょっちゅうだった新聞記者の仕事を離れて、生協のおかずキットや大戸屋に頼ることなく家族の胃袋を支える日々に、仕事とはまた違ったやりがいを見出したりもしている。(あの頃は唐揚げやコロッケを自分で料理するなんて考えもしなかった…)

ブリュッセルの街は自然豊かな公園がたくさんあり、フランス語やオランダ語ができなくても嫌な顔されることはほとんどなく、外国人にも暮らしやすい。人との距離感や教育観、休日の過ごし方など、日本との違いを発見することも多くて面白い。

一年の前半は語学学校に週4で通い、フランス語をゼロからみっちり勉強した。いろんな国から集まったクラスメートとの会話も、数字や単語やフレーズをガンガン叩き込まれてひぃひぃ言いながら授業についていくのも楽しかった。最初のころ、フランス語でフランス語を教えてくる先生に「何もかも分からない!」と訴えていたチェコ人がいつの間にかクラスで一番の優等生になっていて、語学は努力を裏切らないと学んだりもした。私も、お店での簡単なやりとりくらいはフランス語でできるようになった。

昨年12月ごろに大学院の受験を考え始め、一年の後半はそれに向けて英語の勉強にシフトした。IELTS対策やmotivation letterを書くのに時間を割きつつ、日本の出身大学から成績証明書を取り寄せたり、所属する会社にも書類作成をお願いしたりといった地味な作業を少しずつ進めた。

5歳の息子はフランス語のローカル幼稚園に放り込まれ、人生最大のチャレンジングな環境を一年間、生き抜いた。彼が一度も風邪で寝込まず、登園拒否することもなく元気に幼稚園に通い続けてくれたおかげで、私は自分の時間を充実させることができた。そのことを心からありがたく思うし、彼のサバイバル力を心底尊敬している。(自分のやりたいことをすべし、と背中を押してくれた夫にも感謝。)

受験したのは、ブリュッセル自由大学という家からチャリで10分のところ。フランス語とオランダ語が公用語のブリュッセルには、Université libre de Bruxelles(仏)とVrije Universiteit Brussel(蘭)という、二つの「ブリュッセル自由大学」がそれぞれの言語で別々にある。私はオランダ語のVUBのほうを受験し、 6月下旬に合格通知を受けた。受験も入学手続きもすべてオンラインだったが、9月からキャンパスで講義が始まる予定だ。

専攻はMaster of Science in Communication Studiesで、New Media and Society in Europe という英語のプログラムを選んだ。GAFAと呼ばれるbig techに代表される新しいメディアやプラットフォームが、ヨーロッパ社会に与える影響を政策、市場、ユーザーといった観点から学際的に学ぶ。

休職前の2019年、IT業界を取材していた。担当したのはわずか1年だったが、デジタル社会の進展が人々の暮らしを急速に変えようとしていて、新しい技術・サービスに対応した規則やルール作りが世界的に追い付いていないことはよくわかった。この変化や、変化の過程で生じる社会の軋轢をもっと深く理解したいと思っていたので、自分の関心にぴったりのコースが近所の大学にあったのは幸運だった。一般データ保護規則(GDPR)など世界の先陣を切るEUのデジタル政策について現場の声を聞いて学べるのも魅力だ。

ちなみに、日本でリクナビが就活生の内定辞退率を算出して企業に販売していた問題を取材した際には、こんな記事を書いた(いずれも有料記事)。このときの問題意識は今も中核にある。 

1年間のコースで果たしてちゃんと修論を(しかも英語で)書き上げられるのか、どれほどの苦労が待っているのか想像もつかないけれど、新しい挑戦にわくわくしている。

大学院受験の過程では、英語の勉強にもがき、書類手続きの際に結婚で姓が変わったことのデメリットを強く認識したりもした。そんなことも、折をみて改めて書きたいと思う。


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