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DJ WADAヒストリー Co-fusion編 ⑤

恒例の連休中更新です。(お盆休み)
みなさん、毎日暑いですが
健やかにお過ごしでしょうか??

私は「今回の更新は早いよね!」
なんて言うつもりで
前回の記事の日付を確認したら
全く以ってそうでもないことを知り
がっかりしてます。
3か月とちょっとの間、
私、一体何をしていたの??

なんて。更新頻度がアレなのは
今更なことなので、とりあえず置いておいて。

Co-Fusion編も今回で5回目。
そろそろ長いよね。引っ張るよね。
無計画に進めているもんだから
最初の頃に比べたら、
なんか密度が濃くない?そうでもない?
(密度 ≠ 内容だけど。)

記憶が新しくなってきてるから、とか、
このパートに関しては
TANIさんという心強い味方がいるから、
とかはさておき
ホント計画性がないのは
そこら辺の主婦の面白メモということで
勘弁していただくとして。

今回はCo-Fusion2度目の、
そして、DJ WADA単独での
ヨーロッパツアー+αについて
ちょっと駆け足気味で
語っていけたらと思います。

前回、Co-fusionの弾丸アメリカツアーの話を
させていただきましたが
これが、1999年10月15~17日の話。

この前後にWADA単独でも
DJツアーを行っています。
もう、一つひとつの思い出を語ってると
WADAの還暦どころか
私が還暦を迎えちゃいそうなので
ざっと、WADAから貰った
1999年の国外スケジュールを転載しますね。

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日付・パーティー・ヴェニュー・都市&国名
※?は不明だそうです。(要は忘れた)

4/17・?・La Real・Oviedo, Spain
4/24・Complex Y2K・?・Vienna, Austria
5/1・Monoculture・Markthalle
・Bern, Swiss
5/5・Minimix & Junk・?・Paris, France
5/6・Checkpoint Charlie・After dark club
・Reading, UK
5/8・?・Turnmills・London, UK
6/25・Nikita・?・San Fransisco, USA
7/ ? ・Sarah・?・Spain
7 / ?・? ・?・Leamington Spa, UK
7/23・Urban Torque・Heaven・London, UK
7/24・Festival St.Nolff・Lorient, France
〈10/15~17 Co-Fusion USツアー〉
10/23・?・Zouk・Singapore
11/5・Evolution・?・Belfast, UK & Ireland
11/6・?・Ambasada Gavioli・Izola, Slovenia
11/10・Kontact?・?・London, UK
11/13・?・Fuse・Brussel, Belgium
〈Co-Fusion /11/20・?
・ Ambasada Gavioli・Izola, Slovenia 〉
11/22・Erectric Ballroom・SO36
・Berlin, Germany
〈12/4 Co-Fusion at Hafen
・Innsbruck, Austria〉
12/25・?・?・Korea


〈Co-Fusion /?・?・ Cream
・Liverpool,UK〉
がどこかに入る。
(たぶん11月のSlovenia前?)
————————————————————

と、WADAのことだから
上記の情報に間違い&抜けも
あるかと思いますが
というか、『Cream』の出演も
まんまと抜けてたのですが、
(タニさんからの指摘で発覚)
まぁ、ざっとこんな感じ。

で、このままで終わりね!
じゃ、あんまりなので
聞いた話の中からいくつかを
メモ風にざっくりとご紹介します。
(手抜き?ですみません。
 でも私の冗長な文章で読むより
 この方が読みやすいと思う。)

〈4/17・?・La Real・Oviedo Spain〉
パーティー後、空港のストに巻き込まれ、
クラブのオーナー宅で数日足止め。
言葉の通じないマフィア風のオーナーと
大画面のテレビでひたすら闘牛を鑑賞。
(人見知りで神経質のWADAが、
 ということを絵的に想像すると笑える)

〈4/24・Complex Y2K・?・Vienna Austria〉
なんだか大きなクラブで
DJブースがめっちゃ高い櫓の上。
梯子でブースに登らなければならず怖かった。
レコードは滑車で引き上げ。

〈5/6・Checkpoint Charlie・After dark club
 ・Reading UK〉
フライヤー等でのDJの事前公表はなし、
誰がやっているかは
来てみてのお楽しみスタイルな箱。
いきなりDerrick Mayがプレイしてたり。
そんな出演者シークレットの
箱にもかかわらず
いつもお客さんでいっぱい。
WADAがプレイした日は
Billy Nastyと一緒に。

〈6/25・Nikita・?・San Fransisco, USA〉
同年10月のCo-Fusion LIVEと同クラブ。
Co-Fusionの時は
日曜日のデイイベントにつき
サブフロアだったけど
この時はナイトイベントでメインフロア。
お客さんのノリもよくナイスパーティだった。

〈7/24・ Festival de Saint-Nolff
 ・Lorient, France〉
’97~’12までフランスの
サン・ノルフで行われていたフェス。
この年はGarbageやUnderworldなどが出演。
WADAはテントサイト(Stage)でプレイ。
あまり現地のことを把握せずに
連れて行かれるがままに行った場所が
自然豊かなフェス会場で
コンビニもなく一瞬困ったけど
ケータリングのご飯が美味しかった。

〈10/23・?・Zouk・Singapore〉
たぶん、WADAの前にプレイしてた
Richie Hawtinが怒って
プレイ途中で帰っちゃったやつ。
(WADA以外のアーティストの
 ネガティブな話題には触れないのが
 これを書く上での自分ルールなんですが
 これは有名なハナシだし、
 もう武勇伝だよねw
 どうでもいいけど、私のPCがバカすぎて
 “ホウティン”をカタカナ打ちすると
 いちいち“方亭”と変換する。
 落語家か。イラッ。)

〈11 / 5・Evolution・?
・Belfast, UK Ireland〉
上下の階にフロアのある小箱で、
下の階でSusumu Yokotaさん、
上の階でWADA。
本当に音楽が好きなお客さんたちばかりで
一体感のある暖かいパーティだった。

〈11 / 6・?・Ambasada Gavioli
・Izola, Slovenia〉
ロストバゲッジ!
行き先はスロベニアなのに
レコードだけミラノへ。
苦肉の策で地元のDJに
レコードを借りてプレイ。
そんな時に限って奇跡が起こるのがお約束。
オーディエンスには大ウケ。
“伝説を作った”なんて言われて
ちょっぴり複雑。

〈11/10・Kontact?・?・London, UK〉
SOHOにある小箱。Si Beggと一緒に。
在英の日本人客が多く、
この頃に出会ったお客さんで(もう今は友達)
今も遊びに来てくれてる人率高し。

〈11/22・Erectric Ballroom・SO36
 ・Berlin, Germany〉
LGBTのお客さんが多く、
みんな音楽的に前向きですっっごく良かった。
クリエイティブカルチャー、
クラブカルチャー発展期の
エネルギッシュなベルリンを体感。
スロベニアでのCo-Fusionライブで
合流していたタニさんは
プレイするWADAの後ろで
ゲイの方にひたすら
アプローチされてたそうな
(モッテモテ。笑)
タニさん以外にも
ベルリン滞在中、
自身のアパートに宿泊させてくれていた
TOBYさんや
この時初めて会ったLyoma君も居て、
見知った顔に囲まれて
リラックスしてプレイできた。

—以上。
’99のDJツアーの思い出はこんな感じ。
覚えてない覚えてないとか言いながら
突っつくと色々出てきましたw

2002年に片耳を潰してからは
海外でのDJやLIVEは行っていないので
今はどうなのかわかりませんが
この頃、レコードボックス2箱だけで
各地を回ったのは
今となってはかなり無茶だったな、と
WADAは言います。

土地土地で求められるプレイが全然違い
箱2つでは十分な対応が難しかったみたい。
ある場所では
華やかで派手なプレイを期待されて
あんまり反応がよくなかった、、、
と思えば、逆に
ベルリンやロンドンでは
ちょっと抜け感というか、
余裕のある選曲が大ウケしたりだとか。

今だったらHDDに入れて
ごっそり持っていけるから
もう少しは対応力アップしてるのにねー。
まぁ。それもいいんだか悪いんだか、
なんですが。

って、20年も前のことなのに
未だにそういう部分を思い出すあたりに
彼の内に仕舞い込んだ
負けず嫌いが垣間見えたり(笑)

それはさておき。
(この言い回し多いな。)
こうしてあちこちでDJプレイしてる間で
Co-FusionでのLIVEも行っています。
その時の思い出も簡単に…

〈Co-Fusion at Cream Liverpool,UK〉
Co-Fusion LIVEでの出演。
(WADA単独でのDJもあったかも?
 覚えてないらしい…。)
エクスペリメンタル~テクノなイベント。
ブースの機材配置が
ヨーロッパ人仕様なため(当たり前だけど)
小柄なWADAは
ターンテーブルまで手が届かず
台に乗ってプレイ。
TANIさんは
The Beatles発祥の地、
しかも名門クラブ『Cream 』
でのプレイに感激。

〈11/20・?・ Ambasada Gavioli
 ・Izola, Slovenia 〉
WADAは2回目のスロベニア。
Ambasada Gavioliは
アールデコ調というかなんというかな
内装が個性的なクラブ。
TANIさん曰く、
民主化されてからまだ10年未満で
みんな目がキラキラ。
そんな中で現地で日本語を教える
日本人と出会ってびっくり!
音楽的には、
最初はブレイクビーツに戸惑うのか
反応がイマイチ。
BPM150くらいのテクノの方が
反応が良さそうだったので
途中で選曲を変えて乗り切ったそうな。
あと、TANIさんはここでも
女性に唇を奪われたりしてモテモテ(笑)

〈12/4 Co-Fusion at Hafen
 ・Innsbruck, Austria〉
Air & Style Snowboard Contest
1999 Setlistsの出演。
ミュンヘンからのプロペラ機移動で酔う。
けどアルプスの雪景色は最高!
(TANIさん談。
 WADAは覚えていないらしい。)
競技の間と、アフターパーティーで
Co-Fusion LIVE。
その他の出演アーティストは
Crazy Town、Creed、Feeder、Ice-Tなど。
アフターパーティーでTANIさんが
謎の汗だく状態になってしまい
汗で機材が暴走。

—と、これにプラスして
前回のアメリカツアーが入ります。

このようにアルバム「Co-Fu」発表後、
すっかり忙しくなった二人。

海外ツアーに関してばかり書いてますが、
もちろん国内でも
前の記事にも書いたように
ホームグラウンドである
『Maniac Love』でのレギュラー出演に加えて
全国各地のクラブや、
FUJI ROCK FESTIVAL(’99・’00)
朝霧JAM(’03)
WIRE(’02・’08)
METAMORPHOSE(’04・’09)
などの国内大型フェスの
出演者リストにも名を連ねるようになり、
音楽誌やラジオ・TVなどの
様々なメディアにも取り上げられ
彼らの身辺は慌ただしく
賑やかに華やかに、
プレイヤーである“ディスコDJ”から
クリエイターである
“テクノアーティスト”へと
すっかり変貌を遂げるのです。
(DJもクリエイターなんですがね。)

ってことで、今回はこの辺で。
駆け足にしたつもりが
あんまり
スピードアップされてないっていう(笑)

もう少し国内での活躍とか
面白エピソードもね、書きたかったのですが
その辺りはご存知の方も多いだろうし
エピソードがてんこ盛りな上に
WADAの記憶もぐちゃぐちゃで
書ききれない&事実確認しきれないので
割愛させていただくとして、
次回からはまたちょっと
流れが変わっていきます。

アップダウンの激しいWADAの人生。
バラ色な時期は
そうそう長く続きませんよ。。。

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