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DJ WADAヒストリー ディスコ編[第1期③]

明けましておめでとうございます。

お休みなんてあっと言う間で、
うかうかしているうちに
気づけはもうほぼ日常。

年末年始は行く先々または年賀状なんかで
「読んでるよ」とお声がけいただき
どうもありがとうございました。
いやはや、、、恐縮です!

今年は昨年みたいにテンポよく
頻繁に更新できるかどうかは謎ですが
とりあえずマイペースに
行けるところまで行ってみようと
思っておりますので、
良かったら読んでいただくのも
マイペースにゆるりと
お付き合いいただけると幸いです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、 物心ついて初めて迎えた
人生のビックウェーブに
どっぷり呑まれた
若きWADAくんのキャリアに
翳りが見えはじめたところからでしたね。

WADAに新しい世界を魅せ、
多くのものをもたらした
ディスコ『Castel』ですが、
時代の流れには抗えず
1980年にクローズしてしまいます。
(検索でみつけたサイトではどこも
『Castel』のクローズは'78年となっていますが
'78年以降の2年間は名前を変えて
営業していたようです。)
彼は自動的に『Castel』と同じ場所に
新しくオープンした系列店『玉椿』の
スターティングメンバーとして参加します。

しかし『Castel』で純粋培養された彼の
クオリティ最優先の精神と頑固な気質が
ここにきて災いすることになります。
オープン当日に彼は“方針が合わない”と
あろうことかプレイを途中放棄して
店を飛び出し、
そのまま『玉椿』を辞めてしまうのです。

店を飛び出したところで鉢合わせた
かつての上司O氏に諭され
その口利きで翌日から
『Castel』の流れを汲む
『The Bee』で働き始めることに。

しかし『The Bee』に入ったあたりから彼は、
当時の流行りの曲の傾向が
自分にあまりフィットしないような感覚を
持ち始めます。
もともと“ディスコに憧れて”
始めたのではなく、
単純に“興味”で始めた仕事。
誘われるままに少しやってみて、
1〜2ヶ月くらいで辞めてもいいかな
なんて、いい加減に思っていたのに
いざ始めてみると
興味のなかったダンスミュージックに
意外な面白みを感じ
なんだかんだで約3年弱も続けてきました。
そんな彼にとって
曲への興味が薄れることは
すなわち〈DJ〉という仕事に対しての
興味が薄れることに等しく
彼は次第に仕事への意欲を失っていきます。

今のようなアーティストとしての立場の
〈DJ〉であれば
表現に使うためのツールでもある曲の
好き嫌いを重要視するのも
然もありなん、といった感じなんですが、
当時の彼は〈ディスコDJ〉。
彼の働く場は〈DJ〉の自己表現の場ではなく、
お客様を愉しませることを第一に求められる
(今でもそういう側面は大切だけどね。
ちょっと意味は違うけど)
今よりももっと裏方要素の強い存在です。

それなのに、
自分の好き嫌いだけが最優先だった彼は
言ってしまえば、プロとしての意識が
まだあまり育まれていなかったのかも
しれませんね。

こうして〈DJ〉の仕事に対する
意欲を失った21歳の彼は、
潔く、そして、仲間たちに温かく見送られて
華々しく(笑)DJを引退します。

辞めた後は、
当時付き合っていた彼女に
応援してもらいながら
(要はソフトなヒモをしながら。笑)
しばらく仕事の傍ら的存在だった
バンド活動に再び熱を注ぎます。

2つのバンドを掛け持ち
当時の彼なりに一生懸命に活動しました。
どちらのバンドも
それなりにいい線まではいくのですが
彼の見込みが甘かったのか、
メジャーデビュー一歩手前のところで
トラブルが起こったり
なかなか思うようにはいきません。
トラブルの多くは人間関係、
メンバーチェンジを繰り返し
一時でも心を通わせた人物は
友達なのに友達じゃない、
そんな関係に彼は疲弊していきます。

DJを辞めて約2年、
すっかり意気消沈気味の彼は
ヒマを持て余して遊びに行った
当時住んでいた原宿の近く、
千駄ヶ谷にあった神宮プールで
『The Bee』にいた頃の後輩、
中村直さんに偶然再会します。

彼の近況を聞いた直さんは、
「じゃあ、戻って来ればいいじゃん。」と
DJ復帰を促します。

これまでにも何度か「戻ってこい」という声を
方々でもらっては流していた彼ですが
バンド活動に疲弊しきっていたところの
直さんのこの誘いには心動かされます。

そして、華々しく引退したにも拘らず(笑)
彼は約2年のブランクを経て
当時、直さんの所属していた
『Pacha Club』の系列店『Gil's』で
 DJに復帰することになるのです。

残念ながら直さんは
2014年にたくさんの方に惜しまれ、
他界されてしまいましたが
WADAとは互いにディスコを離れても
年に一度、名古屋のCLUB MAGOで
共演するなどしており
その度にWADAから話は伺っていました。

私は、結局一度も
直接お会いすることは叶いませんでしたが
この時、このタイミングで、
何気なく、だったとしても
直さんが復帰を促してくれなければ
今の〈DJ WADA〉も
なかったかもしれないなぁと思います。

あと、WADAの記憶が曖昧すぎて
流れに組み込めなかったのですが
『THE BEE』に在籍中か、
退職後に遊びに行った時か、
はたまたヘルプでDJをした時か、
(というかヘルプで入ったかどうかも
 記憶が定かでないらしい…)
このくらいの時期に『The Bee』で
後に玉椿でご活躍されたDJ SONEさんや
DJ K.U.D.O.(Artman)さん
にも出会っているようです。

DJ SONEさんも
2011年に惜しくも他界されてしまいましたが
1度、WADAに連れられて
SONEさんの経営する
渋谷のSONE Barに伺った際に
WADAの来訪を顔をくしゃくしゃにして喜ぶ
SONEさんの姿に温かいお人柄を感じたことを
今でもよく覚えています。

と、新年早々に
旅立って行かれた方々のことを想って、
そのうえ WADAのエピソードも
なんだか谷の部分で
WADAも私も少し
センチメンタルになってしまいましたが
(話しているとその頃の状況を
再体験するような感覚に陥るらしいです)
彼の人生のサインカーブはまだまだ序盤。
これからもアップダウンを繰り返します。

ということで、次回からは
山あれば谷あり、谷あれば山あり、
楽しいムードで
ディスコ編[第2期]に突入します!

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