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DJ WADAヒストリー クラブ編[第1期②]

2017年 明けましておめでとうございます
なんだか慌ただしくしてる間に
年が明けちゃいました。

皆さんはどんな風に
新たな年のスタートを切りましたか?

私は近年稀に見る、というか初めてくらいの
お通夜のような
どんよりとしたスタートでしたが
(理由は大したもんでもないんですが。)
初詣に行ってようやく清々しいスタートが
切れそうな感じになりました。

まー、それはさておき、
実は前回のお話の後に続く内容を
Co-Fusionに繋がる楽曲制作のハナシか
『Maniac Love』のハナシかで迷っては
仕事が忙しくなり放置。
というのを何度か繰り返していましたが
もう、年も明けちゃいましたしね。
この際、2017年の幕開けと同時に
『Maniac Love』をサクッと
オープンさせちゃいましょうかね。

最愛の母を、仕事を、
果ては家族までをも失い
(家族に関しては結果的に
 自ら手放したのですが、、)
メンタル的には満身創痍のWADAに
93年、新たな一歩を踏み出す道が開かれます。

当時、懇意にしていたクラブ
新宿『MC1000』の企画を担当していた
店舗プロデュースユニット
〈ハッピーコンプリート〉の
豊崎さん、広田さん、
そして『MC1000』スタッフの
門脇さんとようこさんが中心となって
新しく青山骨董通りにオープンした店
『Maniac Love』で
スタッフ兼DJとして働き始めます。

『Maniac Love』は
当時はまだ数少なかった
テクノのレギュラーパーティーを
メインに構成する中規模のクラブで
WADAはオープン当初
土曜日の隔週でテクノを
月曜日にアンビエントをプレイし、
自分のDJ担当とお休み以外の曜日は
主にキャッシャーを担当していました。
(他にできることがないですしね。。)

『Maniac Love』をご存知の方は
想像できるかと思いますが
幾度か改装をする中で
キャッシャーのある入り口の内装は
オープンから2005年のクローズまで
シルバーを基調とした
ほぼあのままだったそうで、
あのシルバーのドアを開けるとすぐに
今回のトップ画像左のような
WADAが居たんだそうです(笑)
(画像は実際は少し後で、
一番右端はTANIさんです)

この土曜日のテクノパーティーの名前は〈Sublime〉。
オーガナイザーは
西麻布『YELLOW』のパーティー
〈EDEN IN THE SKY〉で
一緒だったYAMAさん。
そう、このパーティーが
後にWADAが所属する
レコードレベールの前身になります。

オープン当初の〈Sublime〉は
『Maniac Love』のキャパ300程度に対して
良い時でもお客さんは50足らず。。。
というか、他の曜日のパーティーも
似たり寄ったりで
ハウスミュージック全盛の中
テクノへの期待を盛り込んだ
『Maniac Love』自体が
閑古鳥が泣くような状態でした。

そのうち〈Sublime〉も
オープン時に居たレジデント達が
色んな事情で次々に抜け、
最終的には
CAVEでも一緒だったKAJI PEACEさんと
WADAの二人だけになってしまい
当時まだDJではなかった
オーガナイザーのYAMAさんも
DJとして加わらなければならない
状況になっていきました。

ちなみに、横道に逸れますが、
その〈Sublime〉のお客さんたち、
今思えば、50人足らずとはいえ
かなりの猛者の集まりだったようで(笑)
ざっくり聞いた感じだと
Remix創刊編集長の小泉雅史さん、
現ele-kingの野田努さん、
佐久間英夫さん、
後のレーベルメイトKen Ishiiさん、
Susumu Yokotaさん等の錚々たるメンバーが
中に居たそうです。
(後のテクノシーンを盛り上げた
 立役者ばかり!)

ま、それはさておき
とにかく客が入らない『Maniac Love』。
オープンして3カ月を過ぎた頃の
ミーティングで
ついに運営サイドから
「このままでは店は潰れます。
 あと2カ月程様子を見てダメな場合は
 お店を閉めることになるかもしれません。」
と通告されてしまいます。

『Maniac Love』で働き始めてからすぐに
単身で家を出て離婚協議に入っていたWADAは
当時、引っ越しやら家への送金やらで
借金まみれ。
このまま希望を繋いだお店に潰れられて
もう、人生終わりか、といった状況でした。

しかし、人生とはよくできたというか、
面白いというか、、
ここでまさかの奇跡が起こるのです。

オープンして3カ月近く全く人が入らず
クローズを通告された
崖っぷちの店『Maniac Love』。
通告後、慌てて何か策を打ったわけではない
にも関わらず
なぜか突如としてお客が入り始めるのです。

当時、方針としてメディアの取材等は
一切受けていなかった上に、
今のようにSNSどころかインターネットさえ
一般的ではない時代、
どこでどう『Maniac Love』の認知が
拡がったのかは
WADAには分からないそうですが
おそらく口コミなのでしょう、
〈Sublime〉の後の日曜日AM6:00〜に
バトンタッチでやっていた
DJ TOBYさんとDJ YO-Cさんの
After-hoursから火がついて
あれよあれよと言う間に
崖っぷちだった『Maniac Love』は
盛り返します。
そして、様子見の期限だった5月頃には
すっかり繁盛店へと変化し、
それに伴って、この後彼らは
快進撃を展開していくことになるのです。


ということで。
今回はこの辺りまでにしておきましょうかね。

昨年はもっと定期的に
更新するつもりだったんですが
予想外に自分の仕事が好調だったため
(ホント、ありがたいのですが!)
全く予想通りには更新できませんでした。
にも関わらず、
これを“楽しみにしているよ”と
ありがたいお声をかけてくださった方々
実際にお会いしたことはないけど
なんとなく覗いてくださった方々
とにかく、たくさんの方々に感謝しきりです。

そのためにも今年は、、
と言いたいところですが
なんせ毎年毎年状況が変わるフリー稼業、
できない約束は
しない方がいいという感じで。。。

今年もまた
マイペース更新になるかとは思いますが
どうかたまーにでもWADA共々
これも思い出していただければ幸いです。

2017年、皆様にとって健やかで
幸せたくさんの1年となりますように。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。




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