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感傷的な時間に叔母の死から思うこと。

先日、叔母が急逝した。66歳。
くも膜下だったらしい。
救いは倒れてから一度も意識を復活させず、
痛みも何も感じなかったようだということと、
ちゃんと家族全員に看取られたこと。
突然倒れられて、
最期のお別れの言葉を
交わせなかった家族にとっては、
今はまだ簡単に救いだなんて
言えないだろうけど、
私の目にはなかなかのハードモードな人生を
歩んでいたように見えていた
叔母のことを思えば、
少し早すぎたけど
苦しまない最期だったのは
彼女にとっては幸せだったのかもしれない。
あまりに突然で
誰よりも本人が驚いていそうだけど。

私は、大人になってからは
数えるほどしか会っていなくて、
ココ数年はたまに親から様子を聞くだけの
わりと距離のある間柄だったし、
葬儀も時世柄出られなかったりで、
亡くなった、と言われても
イマイチ実感がわかない。
だから身内なのに、
↑のようなことが言えるのかもしれないし、
今、急に叔母の話を振られたら、
うっかり、まだどこかで元気にしている前提で
話をしてしまいそうだ。
(ある意味、どこかで元気にしてるのかもだね)

よくよく考えたら、そういえば、
私は亡くなったことを実感するような人を
まだ失ったことがない。
祖父母が亡くなったのだって、
遠く離れて暮らすようになってからだったし、
両親も兄弟も友達も健在。
ここだけの話、
実感して悲しかったことで
すぐに思い出せるのは、
2011年の7月終わりの
WADAのDOMMUNEの出演中に、
いつもならみかけるはずの
ハラカミさんのツイートが
みつからなかった時のことくらい。
あの時は奇しくもあのタイミングで
WADAの出演が重なり、
ハラカミさんの
追悼のようなプレイになってしまったため、
事実を直視せざるを得ない状況で
泣かないようにするのが
ちょっとだけ大変だった。
(全然そんなことはないのは
 分かっているんだけど、
 私くらい故人と離れた間柄の人間が
 直接近しい人を差し置いて
 自分ごととして
 あまりに感傷的になりすぎるのは
 図々しいというかなんというか、、
 そんな気分になるような
 面倒なところが私にはある。)

それはさておき、たぶん、
この先このまま夫婦関係が壊れなければ
失ったことを最も実感することになるのは
必然的にWADAを失った時になるんだろう。

実は、17という歳の差の壁を超えて
一緒にいようと決めた時から
そういう日がいつか来るんだろうなと、
四六時中ではないけど、わりと意識をしている。
自分でもなんで?と思うくらい
ネガティヴなんだけど。

特に付き合いはじめる前後は
突発性難聴発症後の復帰から
あまり時間が経っていない時期で
彼のコンディションが悪かったせいもあり、
自分と会わない間に彼の身に何かあったら…
なんて、けっこう本気で心配していた。
今となっては、彼はそんなにヤワではないし
当の本人は呑気なもんで、
そもそも彼女を作ろうとするくらいには
気力も体力もあったのだから
思い詰めて自死とか、
ストレスからまた何か病を引き起こして、とか、
そんな心配は無用だったのだけど、
私は当時の彼の弱々しげな雰囲気に
勝手にすっかり騙されていた。
(そんなつもりは本人にはなかっただろうけど)

それがいつの間にか10数年、
流石にあの頃のような心配の仕方は
もうしていないけど
彼ももう62歳。
先の亡くなった叔母とは4歳の差しかないし、
彼のお母さんも脳出血で
60歳にならずに急逝してるし
突発性難聴の既往とか、
まぁ、心配しなければならないという点では
むしろ、ますます現実味を帯びてきている。

あと20年一緒にいられる可能性は
あまり高くないだろう。
この10数年があっという間だったように
20年なんてすぐだろうし、
突然その日が来ることだってある。
その場合、大量にある彼のレコードは?
クローゼットの中のお義母さんの遺品は?
彼の両親の遺影は?お墓は?口座は?
来たる状況に備えて
冗談まじりに彼に話したりもするけど
彼はそういう話が苦手だから
あまり真剣になってくれない。
言ってしまうと言霊というか、
すぐに現実化してしまいそうなんだそうだ。

まあ、そう言いながら実は
私も心配を口にできているうちは
逆にあまり現実のこととして
考えていないのかもしれない?とも
思っている部分もあるけど。
(言霊になる事を恐れている彼の方が
 ずっと現実味を感じていたりして。)

実際、物理的な面の心配はさておいて
精神的な喪失感は
いくら事前に覚悟していても
その時にならないとわからないだろうし
たぶん、考えるだけ無駄なんだろう。
だけど、気の小さい私は
その時のショックを
事前に少しでも和らげたくて
いつまでもあれこれ想像して心配し続ける。
我ながらつくづくネガティブで
損な性分だな、と思う。

でも、だからこそ、
無尽蔵にあるわけではない
彼との残りの時間を無駄にしないよう、
なるべく楽しく過ごしたいし
その楽しい時間を
少しでも長く延ばすための
ベストを尽くしたいと思えたりする。
そうすれば、いつか、ずっと先になって
その日が来たとしても
少しはマシな精神状態で
いられるんじゃないかな。
って、結局最後は自分のメンタルの心配かよ。
って感じなんだけど。
(私が先に逝っちゃう可能性だって
 あるのにね。)

そういうわけで、
ネガティブから巡って
ある意味ポジティブな方向へ。
叔母の死を通して
ますます彼の身を案じる
ネガティブなんだかポジティブなんだか
我ながらよくわからない面倒な私。

でも、ポジティブな気持ちは忘れがちだから
いつかうっかり読み返して
この気持ちを思い出す用に。
こんなこと誰かに伝えてどうする?
と思いながらも、
夜のセンチメンタルモードの勢いに任せて
ここに記しておく。(書いてる今は24時前)

最後に。
叔母のことに戻すと
正直にいうと、物心ついてからは
色々と困ったところのある人、
という印象が強かった。
それは彼女を案じる
祖母や私の両親のフィルターを通して
みていたからであって、
亡くなったのをきっかけに
改めて親から独立した「私」として
彼女のことを考えたら、
不器用ながら、その場その場で彼女なりに
頑張っていたんだろうな、と普通に思えてきた。
そして、いつまでも末っ子気質で、弱くて、
フレンドリーで、可愛らしい人だったな。
とも思う。

どうか、あちらで心配事もなにもかも忘れて
祖母(彼女からみたら母)に思いきり甘えて
幸せを感じていて欲しいし、
私がいうまでもないけど
彼女の残した私の従兄弟たちを
あちらから暖かく見守ってあげて欲しい。

合掌。

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