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DJ WADAヒストリー クラブ編[第1期①]

最近は忙しさに感けて
WADAの現場に足を運ぶ回数も
すっかり減ってしまったのですが
先日久しぶりに現場で聴いて
改めて良いDJだなぁ〜と
しみじみ感じてしまいました。

年齢が上がってくると
仕事や家庭の色々に追われたり
体力の問題なんかで
なかなか現場から足が遠のいて
いざ、現場に!となっても
もう、パワー漲る現場の雰囲気と大音量に
ついていけないんじゃないかとか
ちょっとブランクを感じちゃったり
することもあるかと思うのですが
そんなブランクも
DJ WADAなら大丈夫!(TV通販風に)
なーんて思ってみたり。

実を言うと、WADAのプレイで
度々、音量が小さくなぁい?
と思うことがあります。
しかし、その反面、
耳に優しく聞こえるのか
WADAのプレイは
「踊りやすい」とか
「音がクリアに聴こえる」とか
遊びに来てくれた方々に
言っていただくことも多く、
実際、私もそう感じています。

これはもちろん、彼の得意とする
EQの操作にも由来するのですが
私は音量とも関係していると思っています。

この10年ちょいくらいの彼は
自分自身のプレイがどうの、よりも
パーティーの始まりから終わりまでの流れを
キレイにつくること、
つまりパーティー全体の雰囲気を
重視する傾向にあるように感じます。

そのパーティーのピークタイムのDJが
自分であれ他のDJであれ
与えられた環境下での最大の音量が出せて、
そしてそのプレイが
そのパーティー内で最大に映えるように
自分の時間の音量を
コントロールしているようです。
(ずっと最初から最後まで同じ大音量だと
 疲れて長く踊れないお客さんも
 いますしね。)

もちろん、自分の持ち時間の中でも
細かい範囲で音量のコントロールはしていて、
前のDJからの流れ、
自分の持ち時間内のピーク、
次のDJへのつなぎ…等の
いわゆる〈DJマナー〉的なもへの
BPMや選曲だけではない音量への配慮が、
パーティー全体のテンションとシンクロして
踊りやすいと感じさせたりするんじゃ
ないかなー、と。

私は身内なのでWADAのプレイに
ポイントを絞って聴くし、
今日はDJ WADAを聴きに来た!という方や
あんまりフロアに
長居しないタイプの方にしてしまえば
音量をセーブしている一部分だけを
聴く場合もあるので
時には物足りなく感じることも
あるかもしれないのですが
だいたい序盤に感じることの多い
「音が小さくなぁい?」は
彼のプレイを最初から最後まで聴くと
いつの間にか最終的には払拭されてるし、
すんなりと自然に
世界観に引き込んでもらえたりするので
ブランクのある人でも
馴染みやすいんじゃないかなとも。
勝手に思ったりもしてます。

もちろん、
自分のプレイを聴きに来たお客さんに
音量を含め自分の持てる最大限で臨むのも
表現者として大切だと思うし、
WADA曰く、基本的に
DJするのに方法論なんてないらしいので
これは、あくまでも私の感想なんですが!

って、どうでもいい前置きが長いな、、
と、いい加減気付いたところで。。。
けっこう間があいてしまいましたが
久々の更新です。

*

前回からの流れで行くと
『Maniac Love』のオープン、
さて、いよいよクラブ編に突入です!
—という感じだったかと思うのですが、、

すみません、ちょっとその前に
『Maniac Love』につながる
この時期の彼の数少ない仕事について
前回の投稿後に(!)彼が語り始めたので
激動の私生活の裏で展開されていた
彼のDJ遍歴をちょこっと。。。
(ちょこっと、でもないな、まあいいや。)

91年から93年にかけての2〜3年、
結婚したり、母親を亡くしたり
仕事もプライドも失ったり…
公私ともに様々な出来事が同時発生したので
この頃の流れについては
彼の記憶も少しあやふやらしいのですが。。。

92年の『Neo』閉店後、
(正確には最後は
『ZIPANG』という名前でしたが)
プレイする場所がなくて困っていたところに
『The Bee』時代からの先輩
DJ K.U.D.O.さんに誘われて、
渋谷のクラブ『CAVE』で
毎週土曜日に行われていた
DJ K.U.D.O.さんのパーティーの
レジデントとしてプレイするようになります。

『CAVE』はご存知の方も多いかと思いますが
宇田川町の、当時のセンター街の奥、
今でいう奥渋の入り口付近にあった
クラブ『module』(2014年 閉店)と
同じ場所にあった、
地下2フロアを使った中規模のクラブで
当時、土曜日以外の他の曜日は
AGEISHIさんやDJ SONEさんも
レギュラーでプレイしていました。

この頃、ディスコといえば
ジュリアナなどの
商業色の強い大型店が勢いをつけ、
その勢いに押されて、、
というわけではなさそうですが
彼らの職場であった老舗のディスコは
いつの間にか低迷し、
そこで活躍していたDJの一部は
クラブに流れていたようです。

彼がレジデントとして参加した
DJ K.U.D.O.さんのパーティーは
当時、シーンの主流がハウスという中で
まだ日本ではあまり
ジャンルとして確立されていなかった
テクノやトランスをB2フロアで、
(今でいうトランスとは少し違うそうですが)
B1ではジャズ、といった内容のパーティーで、
言うまでもなくWADAはB2でプレイ。
ちなみに、B1ではU.F.O. のメンバーなども
プレイしていたようです。

その他では、
『ZIPANG』在籍中から友人たちと行っていた
〈TRANSONIC GARDEN〉という
アンビエント&テクノのパーティーでも
レジデントとしてプレイしていましたが、
〈TRANSONIC GARDEN〉は
『ZIPANG』や六本木『XY-RELAX』等、
不定期にヴェニューを変えながらの開催で、
(ちなみに客層は美大生が多かったようです)
この頃、WADAつながりで
『CAVE』でも開催しています。

そして、その流れで
『CAVE』で行われていた
〈PSI ROOM〉というパーティーの
DJ兼オーガナイザーであり、
『CAVE』の企画もしていた
MOOKYさんという人物から
今度、新宿『MC1000』等で
パーティーのオーガナイズをしてる人と一緒に
新しく出来たばかりの西麻布『YELLOW』で
イベントを企画しているんだけど
〈TRANSONIC GARDEN〉も
一緒に加わらないか? と誘いを受けます。

この、
“『MC1000』等で
パーティーのオーガナイズをしてる人”が
その後、長い付き合いになる
現 Sublime Recordsのレーベルオーナー、
DJ YAMAさん。

YAMAさんのことは
この『YELLOW』での企画の話が
持ち上がる以前に『MC1000』で出会って
軽い挨拶を交わしていたそうですが、
出会いのこととかは
あまり覚えていないそうです。
Co-Fusionの相方 TANIさんの時も
そうだったし、
ついでに〈TRANSONIC GARDEN〉の
オーガナイザーだったササキさん
(現在は映画美術で大活躍されています)とも
今でも付き合いがあるのですが
彼との出会いも覚えていないそうです。。。

長い付き合いの人物とは
その後の思い出がたくさんありすぎて
出会いのエピソードを忘れてしまうのか、
はたまたWADAが忘れっぽい性格だからか。。
(多分後者。)

まぁ、それはさておき、
このMOOKYさん、YAMAさん、
〈TRANSONIC GARDEN〉のクルーによって
西麻布『YELLOW』で開催された
〈EDEN IN THE SKY〉。
頻度とか開催回数は覚えていないそうですが、
ジャンルは基本的にアンビエントで
Mixmaster Morris氏を
初めて日本に招聘したり、
(あれ?別パーティだったかも?
この辺があやふや。)
音楽以外にも、
美輪明宏氏やTimothy Leary氏 等のトークや
お坊さん50人(くらい)による
お経×DJのコラボパフォーマンス等の
エクスペリメントなことも
行っていたそうです。

その後、WADAは
〈EDEN IN THE SKY〉に遊びに来ていた
『MC1000』スタッフの
門脇さんとようこさんの誘いで
『J TRIP BAR ENDMAX』のパーティーで
一緒になったことのあった
池田亮治さんを中心に
当時の池田さんのユニットのメンバー
YAMAMICHIさんとWADAの3人で
〈sleeping beauty〉というパーティーを
『MC1000』のレギュラーで始めます。

〈sleeping beauty〉は
アンビエント〜エレクトロニカテクノの
パーティーで
月一ペース(定かでないけど)で開催し、
内海イズル氏 等をゲストに迎えたり
舞踏とDJのコラボも行っていたようです。
(あれ?このコラボは
このイベントではないかも??)

こうして、
WADAがいくつかのパーティーを
スライドしながら転々とする中で、
93年12月。
親交の深かった『MC1000』の
門脇さん、ようこさんによって
青山『Manic Love』が
オープンすることになるのです。

ちなみに、この頃のWADAの私生活と
照らし合わせると
この頃はまだギリギリ結婚生活中。
この後、『Manic Love』に寄り添うようにして
彼の新しい人生のタームが始まります。

と、いうことで。『Manic Love』。
まだオープンできませんでした。。。
(引っ張るねー!)
もっと言えば、Co-Fusionに至るお話も
この頃同時に進行しています。
この辺は次回にでもお話できれば。。。
(TANIさんにもお話伺いたいな。)
んでもって次回こそは
『Manic Love』オープンまで
行きたい感じで。。

で、ちょっと横道。

今回の記事のWADAですが
アンビエントのイベントでのプレイが
結構多いですよね。
テクノDJとしての彼を知る人が
多いかと思いますが
これまで、ディスコだったり
アンビエントだったり
実はけっこう色々やってます。
(ロックな時もあるしね。)

アンビエントに関しては
過去に“moments”というmix CDを
テクニーク限定でリリースしたり、
昨年はディスクユニオンから
ニューウェイブ系ディスコ縛りのmix CD
“Unity”をリリースししています。

で、この秋、
カセットテープレーベル
MASTERED HISSNOISEから
DJ WADA mixシリーズ第1弾として
“Garden”というアンビエントmixを
リリースすることになりました。

収録されている曲は、
当時のものではなく現在のものが殆どですが
DJ WADAの解釈する“アンビエント”を
カセットテープという
アナログな質感で聴くことで
当時の雰囲気だけでも感じてもらえたら。。。
(※ダウンロードコードもついてるようです)

なんて、それ以前に
時代感とかWADAだからとか
そういうのを抜きにしても
とっても心地のよいMIXに
仕上がっていますので
良かったら聴いてみてください。
私は作業のお供に聴いています!

またリリースしたら
DJ WADAのFaceBook
等で
告知させていただきますね。

ではでは。
(えへ、また告知しちゃった!すんません!)

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