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DJ WADAヒストリー 過渡期編③

こんにちは!

とりあえず確定申告が済んで
開放感に無駄にテンションがあがってる
(こんなにテンションがあがるほど
 嫌だったのか、と自分でも驚いている)
勢いで更新してます。

それに前回がね、
暗〜い感じで終わってるんで
このヒストリーの内容も
季節に合わせて
少しでも光の射す方へね…

とかなんとか言っちゃって。
すみません。
これは今考えた“でまかせ”で、
まだちょっと続きます。暗黒期。

さて、2002年3月18日の
43歳のお誕生日を
失意の中、病院で迎えた彼は
救急車で運ばれてから約2〜3週間後、
めまい・吐き気などがとりあえず落ち着き
車椅子の生活から
自力で体が動かせるようになったあたりで
突発性難聴の治療環境が
整った病院へと転院します。

突発性難聴の治療は主に
体内の酸素濃度を上げる
高気圧酸素治療と、
緊張しすぎた交感神経を緩めて
血行改善を促す星状神経節ブロック。
(いずれも血液に関する治療なのね。)

彼はこの星状神経節ブロックのための
頸への麻酔注射が
なんとも言えない違和感というか
独特の気持ち悪さがあって
大の苦手だったと言います。

あと、朝昼晩と規則正しく
正しい量の食事をさせられるのが
食が細い彼にとっては
苦行以外の何物でもなかったそうです。
(おかげで退院する頃には
 10kg近く太ったらしい
 今はちょっと痩せて戻ったけど。)

それでも聴力の回復のためにと
真面目に治療を続けたのですが
結局、改善は見られず
病院では「もう手は尽くした」と
左耳の聴力を失ったまま
退院することになります。

約1ヶ月ぶりに
病院という世間から隔離された場所から
以前の生活圏に戻った彼。
そこで感じた違和感は
やはり「音」にありました。

音が痛い。

例えば、暗闇から
急に明るい場所に出てきたときに
眩しくて一瞬目に痛みを感じるような、
そんな経験はありませんか?
その耳バージョンが音に触れる限り続く、
という感じだったと彼は言います。

とにかく、音楽はおろか
生活音でさえも少し大きな音になると
痛くて辛い。そして怖い。
車の音などの外界の音が
怖くて外出ができない。
初めての経過観察のための通院には
病院まで一人で行けるか自信がなくて
付き添いが必要だったそうです。

大げさに思われるかもしれませんが
物心ついた頃から
いつも“音楽”とともにあり、
その“音楽”に
これまでの人生を導かれてきた彼が
音が怖いと感じなければならない。
音楽なんてとても聴く気になれない。
辛うじてピアノやギターなどの
生楽器の音は聴けるものの
Techno DJである彼の生業に
密接に関わる電子音は
痛くて辛くてとてもムリ。

この、彼の彼たるほとんどを
彼という存在そのものから
引き剥がされるような状況は、
病院でも感じていた
彼の中の“絶望”の輪郭を
さらに濃く際立たせました。

“自分は終わった”と思ったそうです。

さて、これからどうしよう?
どうやって生きていこう?
などど考える余裕すらなく
とにかく“自分は終わったんだ”と。

しかし、それでも、
なんとか彼を繋ぎ止めたのは
かすかに残る「治る可能性」でした。
突発性難聴発症の治癒のリミット
48時間をとうに過ぎ
病院ではもう施すことはないとされた現実を
よく言えば諦めず、
悪く言えばその現実から目を背け、
彼はしつこく
治る可能性は0ではないという
ほんのわずかな可能性に一縷の望みを託し、
色々な人から勧められるままに
整体や気功などの
様々な民間治療法も試したそうです。

結果的には良くならなかったので
これらの行為は
“悪あがき”だったのかもしれないけど
0に近くても“希望”にすがったという行動は
これはこれで
この頃の彼の精神バランスをとることに
役立ったのではないかな、
と私個人的には思います。
本人は、「どうだろう?良く分かんない」
なんて言ってますが。

こうして、精神バランスを
どうにか保ちながら過ごすうちに
いつの間にか片耳での生活に慣れ、
聞こえなくなった左耳のノイズを
意識的に遮断できるようになった彼は
激しかったり大きかったりしない限りは
ある程度の音も平気になり、
気分転換にピアノを習ったりしながら
とりあえずの日常生活を
左耳が聞こえないことを除いて
少しずつ、取り戻してゆきます。

そして、
突発性難聴を発症してから約6ヶ月弱、
まだ完全には治りきってない状態で
TANIさんを始めとする
周りの方々に助けられながら、
2002年8月31日
さいたまスーパアリーナで開催された
WIRE02へ
Co-FusionとしてLIVEに臨みます。

ということで、今回はこの辺で。

思ってたより進まなかったな。
もう少し先の
お仕事関係はどうなっちゃったの問題まで
書こうかなと思ったけど、
ちょっとは明るい感じで終わるためにも
これは、まぁ、次にね。

ではでは!
早くもっとあったかくなんないかなー。
中途半端な季節は坐骨神経が辛いのよー。
(この頃のWADAと同じ43歳の私。
 そしてWADAはあといくつか寝ると
 干支が一周回っちゃう!
 あ、一周まわしたくないから昨日
「寝なくても平気な体が欲しい」とか
 言ってたのかな。危ないよね、それ。)

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