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day312 わたしが毎日noteを書いている意味とは。

なんだかんだで1日落とした以外は、つぶやき利用もしながら毎日更新を続けている、こちらのnote。
昨年11月21日のソーラーリターンの日を皮切りに、次の誕生日までの記録、わたしが1年でどんな道を選び、歩き、変化したか?を客観視するために書き始めた。

誰かの役に立とうと思っている訳でもないし、創作活動でもない。なんならアメブロでも別にええやん、なことを敢えてnoteで書いている。

綺麗に整理された文章を出したい、というのがわたしの中の理想だ。
しかしながら、心の中のアレコレは駄々漏らしにしながら書いて、というか書きながら心を整理しているとも言える作業で、まとまりもなければ推敲すらしない。

そのかわり、感じたことや起こったことに対する考察は比較的赤裸々に書いている。
それがわたしにとっての記録であり、その時々に感じたリアルだということ。そして恐らく、のちのち見直したときに変化を感じるものになるのだろうと。

今は、元相方さんとの関係性について、ウダウダと考えている。愛するってなんだろうかと、愛と性についての欲求は合致しなくても良いものなのだろうかと。

わたしが求めている関係性は、心の奥深い部分で対話ができること。宇宙理論について話ができること。
でもこれを元相方さんに求めても無理な要求だということは十分思い知ったし、わたしが変わればいいと思ったことは何度も何度もあるけれど、わたしの変化すらいったい、どんなものなんだろうかと考え込んでしまう。

いくら時間をかけても平行線だ。

昨年のソーラーリターンの日に、2人で美しくてレアな空を見上げた。あの空が暗示したものは何だったのだろうか?と思う。

心はまだまだ、過去に引きずり込まれそうになる。水星逆行中は致し方あるまいと諦めてもいるけれど。

あたらしいわたし、になるためのフェーズのひとつなのだとしたら。それはもう、きちんと受け入れて前に進むしかないのだろう。
自分で決めておいて、自分で苦しんでいる。これまでもずっと、この繰り返しだったのだ。パターンを手放すタイミングなのかもしれない。

365日書き終えた頃には、また次の展開が待っているに違いない。

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