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day241 わたしを堰き止めるのは何だろう。

今日はマインドリージョンの日だった。
本日8回目、実質次回のセッションでひと通りの流れが終了する。

そろそろ次のステップに進みませんか?というお話を、ガイドのゆかりさんから毎度聞かされる(決して悪い意味ではない、笑)。
しかしながら、ハイ進みます、と縦に首を振れないでいる。決定権はわたしにあるから、勿論無理強いはされないけれども。

わたしを堰き止めるものは何だろう。金銭的理由も一理あるが、そんなことは結局どうにでもなると、うっすら解っている。
お金はフェイク、だとしたら何だろうか?

例えば。
携帯電話を持たない人間がガラケーを手にすると、途端に便利さを覚えてしまい、持たない頃の自分には戻れない。
そして更に、スマホを手にしてしまったら、ガラケーが不便すぎて、最早使えなくなる。
それからWi-Fi環境を手に入れてしまったら、ギガの心配さえも手放せる。

わたしがわたしの人生を生きる、というとき。
きっと本来は[Wi-Fi環境でスマホ]のような自分、ということを人生の設計図として持ってきたのだと思う。
でも生まれたとき、そのことを忘れてしまうから、ガラケーすら持たないところから始まるし、うっかり手に入れたガラケーのみで満足してしまいがちなのだ。

ガラケーは、いくら性能が上がっても所詮はガラケーだった。カメラもショボいし、画面もショボい。解像度が低くて、明晰さに欠ける。
でも、電話もメールもできるし、そんなに困ってないし、スマホはちょっと敷居が高いんだよなぁ、と思うような状態かもしれない。

実際のところ、わたし自身は早々にiPhoneに乗り換えた人なので、その便利さの恩恵にはだいぶ助けられている

Appleつながりで言うなら、macOSが9から10に上がったときとか、AdobeのソフトがCSになりCCになったときとか、驚きと戸惑い、周辺機器や他社との連携への不安から、なかなかアップデート出来なかった思い出がある。

そうだ。これだ。
驚きと戸惑いと、他者との連携への不安。
慣れ親しんだ環境、ここでそれなりに積み上げた経験と、それに伴う成果、築き上げた人間関係。それをひと言で表すのなら『安定』だ。

安定を手放し、自らおっかなびっくり新たなステージへと向かわざるを得ない、この恐怖心。
決めてしまえば、それで済む話なのだけれど。今はこの怖さと向き合うことが必要なのかもしれない。

宇宙銀河はどんなときも[良い方向]にしか流れていない。逆らうのも堰き止めるのも、勿論自由ではあるけれど、それは体力を擦り減らす原因でもあり、いつか力尽きてしまう。
そうなる前に流れに乗ってしまうほうがいい。

あともうひとつだけ、懸念事項がある。
わたしは選択肢が欲しいのだ。ひとつしか選べない、わたしにとって、それを選ぶか選ばないか?の二択だというのであれば、そのメッセージを見せて欲しいと願う。

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