day84 言語化して伝える、ということ。
昨日、感動することについて書いたのだが
今日はその続編というべきか、言語化して伝えるということについて書こうと思う。
人は言語でコミュニケーションを取るイキモノで、恐らく銀河系の宇宙の中で唯一の存在ではなかろうかと思っている。
実際、唯一かどうかは別にどうでもよくて、大切なことは、わたしたち人間は言葉を使って生きているということだ。
いわゆるノンバーバル、非言語コミュニケーションも大切だと思っている。視覚から伝わる情報も、ときに言葉にならなくて行動で示す愛情も尊い。
昨日は、愛についての講座、ロマンチックリビングを受講した。
この中でペアワークを行ったのだけれど、その時に互いに手紙を贈りあい、しかもそれを朗読するというものがあった。
思うこと、というのは普段からきっと誰しもがおこなっているはずだ。思考は常に言語化されて、脳内に保管される。
例えばほんの些細な『めんどくせー』すらも、キチンと言語化されて保管されている。
普段、相手に対してどう思っているか。それを伝えるためには、この脳内に保管されている情報を取り出し、整理して並べ替える作業が必要だ。
やり慣れている人間にとって、それはさもない作業だけれど、アウトプットの習慣を持たない人たちにとって、この作業は案外苦痛を伴うようだ。
昨日のワークでは、互いに手紙を読み合い、ハートで感じることをした。これがとても良かったなぁと思っていた。
あぁそうだ、と思い立ち、今日は相方さんに会う日だったため、一緒に文具屋さんに立ち寄った。
互いにレターセットとペンを選んで買うところから始める。
そして、互いに向けて手紙を書いた。
音読まではできなかったけれど、ちゃんと思いを文字にすることはできていたから、それはそれで良しとした。
相手のために紙を選び、ペンを選び、何を書こうかと考え、文字にする。
この一連の作業が、もはや尊いのだ。
相方さんが、わたしの思いつきに付き合ってくれることや、わたしのために言葉を綴ってくれること。そしてその言葉さえも感謝が綴られていて、わたしは感動するのだ。
感動とは、言い換えれば『奇跡を感じて感謝すること』ではないかと思う。
今生きていることを当たり前と思い、起こることすべてに自分の中の高い理想をあてがって、その差異に文句をつける。
そんな生き方をしていたならきっと、感動することなんて物語の中だけに決まっている。
生きているどころか、生まれてきたことすら奇跡だ。地球に、日本に、この場所に、この時代に。そして途中で息絶えることなく、今この瞬間まで生きられている。
そう思えたら、心臓が鼓動していることさえも感動に値する。
そして、そんな感動をただ脳内に保管するのではなく、アウトプットして誰かに伝えることが如何に重要か。
それは言霊の力としても大切なことだ。
そして、言葉や文字にして、自分の思いを整理し再認識できるということが、自分という人間の輪郭をクッキリとさせていくのだと思う。
そういえば、以前働いていた会社の理念にあった。
思いは言葉にしなければ伝わらない。
感謝の気持ちは必ず言葉で表す。
ありがとう、だけでも嬉しいけれど、『あなたの行動でわたしにどんな良いことが訪れたか?』そこまで伝えられたら、自分も相手ももっともっとしあわせな気がしている。
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