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day179 すべては、望みどおりなのだ。

今日はイベント出店の日だった。
しかしながら、これといって意気込む感もなく、来たらやるけど別にー、くらいの意識でいた。
付け加えるなら、わたしは普段から自分でイベントを立てて動かす側の人間ゆえに、人のイベントに乗っかることや、自分の中のルールと異なることが苦手のようだ。

とはいえ、参加すると決めたのも自分自身。
楽しいともつまらないともつかない、絶妙なほどに中庸なココロでいたので、少し自分の意識をコントロールしてみることを試みた。

あーありがたいなぁ
あーしあわせだなぁ
あーうれしいなぁ

と、意識領域に送り込んでみた。
すると、面白い出来事が起こったのだ。

20年以上前にピザ屋でバイトしていたのだが、そこで一緒に働いていた人が、会いに来てくれたのだ。
Facebookでは数年前から繋がっていたものの、直接顔を合わせたのはバイト以来。

水星逆行も手伝っての、懐かしい人との再会。
いや、本当に
ありがたいなぁ、という心境だ。


帰宅して、読みかけのエイブラハムを読む。
時間をつくってひとりでゆっくり読みたいと願っていたら、旦那さんから残業の連絡。
望みどおりにゆっくり読むことができた。

考えることや、意識を向ける先に注意を払うこと、いい気分でいること。それが現実を動かす唯一の方法だ。
そんなのハッピーちゃんは2014年から伝え続けてきている。ただ、それを落とし込んで、自分のものにするには理解が足りなかった。
そして理解した上で言葉にするなら、ハッピーちゃんと同じ言葉で伝えてしまう。
結局、体感するより他ないようだ。

ハッピーちゃんのイマココ7DAYSを観たあとにエイブラハムを読むと、内容が染み込むように理解できるように感じる。
いや初めて読んでいるから、何とも比較できないのだけれど。

たとえ今日がどんな1日であれ、わたしたちは自分が望み思い描いたとおりの現実を生きた。
これが地球上の、世の理なのだ。

わたしが目の前にいる人たちを登場させて、わたしが感じたい感情を味わうために、それを引き起こす現実を目の前に引き出した。そして、願いどおりの感情を、ちゃんと感じた。

さてその上で、明日も生きていると仮定して、明日はどんな1日にしようかと考える。
不安な日にしたいなら、今から不安がっていればいい。それが嫌なら、楽しく笑えるものに意識のチャンネルを変えれば良いだけだ。

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