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day166 からだからだからだ。

ハッピーちゃんのイマココ7DAYSのアーカイブを相変わらず視聴中。

国宝ベイビーとして、自分を大切に扱うこと、身体をやさしく愛でてあげることを、丁寧にして差し上げている。

で、やりながら思い出したことがあった。
それは一昨年の秋、入院したときのことだ。

およそ1週間の手術入院。術後は6人部屋だったが眠れず、最後の数日を個室で過ごすことにしたのだが、どうにも不眠が解消されない。
しかも高血圧も酷くて、枕もベッドも合わなすぎて首も頭も痛い。ひとことで言うなら最悪だった。

モチベーションを上げるために楽しげな曲を聴いたりもしたのだが、そんなものは一瞬だけの快楽みたいな感覚だった。

それで、ふと何かの思いつきで、自分に向けて子守り唄を歌ってみたのだ。
自分の手で、自分の身体を優しくトントンしながら、小さな声で子守り唄を歌う。寝つきの悪い赤ちゃんを、優しく寝かしつけるみたいに。

そうしたら、自然と涙が溢れてきた。
ああ、わたし、優しくされたかったんだ。と。

はぐみ[hug me]なんて本を何年もつくっておきながら、ちゃんと自分をhugできていなかったというオチなのだが、とにかくこのときの衝撃は未だに忘れられない。

そして、ハッピーちゃんのイマココ7DAYSで再び自分の身体を優しく撫でる。国宝ベイビー、ご身体は、ご神体なのだ。

あのとき優しくされたかったと感じたのはわたしのご身体のほうで、優しくしてあげるべきはわたし自身だった。
つまり、わたしの中の分離がなくなり、一致したからこそ涙が溢れてきたのだ。
そしてあのとき、わたしはきっと安心を味わってホッとすることができたのだろう。

ということに、1年半経った今頃、やっと気付いたのだった。

今に意識を向けるというのは、身体に意識を向けること。だから運動しようね、という話ではなくて。

いつぞや、ヨガクラスに参加したとき。
身体に対するアプローチが辛すぎると感じて、通うのをやめてしまったことがある。
今思えば、ヨガにさえ通えばいい、という短絡的な意識で臨むからこそ感じる辛さだった気がする。その時はまだ、自分のご身体を感じる意識がなかったのだ。

ヨガは悪くないし、むしろ良い。が、自分自身を整えるなら、もっと先にやるべきことがあるのだ。

自分自身を、国宝級に優しく丁寧に扱って差し上げる。慌てずゆっくりと動く。赤ちゃんのようにご機嫌をとってあげる。心より、身体。

人生を思い通りにできるのは
からだからだからだ。
いや、身体から、だからだ。

能力開花プログラム、まだ始まっていないというのに、既にお腹いっぱいになるレベルのアーカイブ視聴(まだ10本はある)。
本番が始まったら、もっと凄いことになるのだろうなぁ。

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