day14 ポジティブな終末思想。
今日は射手座新月。見えないけれど、皆既日食だった。そのせいもあってか、今日は眠い。こんな日の文章は脈絡なく進む予感。笑
ものごとの終わりや始まりは、美しさを放つと感じている。どうしてかなぁと思ったけれど、それは星が教えてくれた。
宇宙に輝く星たちは、生まれる瞬間と死にゆく瞬間に、いちばん輝きを増すのだという。
人間ももれなく、生まれるときと死ぬときは光を帯びる気がする。
わたしはホロスコープ上の、アセンダントという東の地平線の位置に冥王星と金星を重ねて持ってきた。冥王星は破壊と再生、金星は美しさや豊かさを表す。
そして太陽は蠍座の、涙の度数と呼ばれる場所に位置している。別れや終わりをなかなか認め手放せない、執着心のかたまりのような度数だ。
破壊されていくとき、そしてそこから再生されていくとき。わたしはそこに光を、美しさを感じる。
終わりゆく姿に、行かないで、と後ろ髪をひかれる言葉に、でも終わらせていくことの強い決意に。そして新たな道を拓き進む、その姿に。
ひとつひとつを終わらせては、また始めることが好きなのはきっと、この美しさに心惹かれてしまうからなのかもしれない。
終わらせるたびに、たくさんの感謝が自然と湧いてくる。ああこれまで楽しかったね、ありがとうという気持ちになる。
そして始めるときにはまた、新たなワクワクの種を蒔いて、周りを巻き込んでいく。
もし仮に、わたしがこの美しさを味わいたいが故に、ものごとを終わらせたがるのだとしたら。
もしかして、毎日命を終わらせていけば良いのではなかろうか、という仮説に辿り着いた。そして明日がくるのなら、それは神様に与えられたボーナスステージなのだ、と捉えてみる。
数年前。引き寄せの法則を学びだした頃に、『死んでみるごっこ』と勝手に名づけた、遊びのようなワークのようなことをやってみたことがある。
寝る前に、わたしは今から死ぬのだと宣言する。そして、毒薬を飲むかのように、その時はいちごミルクを飲んだ(美味い)。
それから、飼っている猫たちに別れの挨拶をして、これまでの人生に感謝しながら眠りにつく。もし明日が来るのなら、それは生まれ変わりなのだと言い聞かせて。
この遊びをした翌日、行けないと思っていたイベントに参加できることになっていて、パラレルワールドが変わったことを痛感した。
よく、明日が来なくても後悔しないように今日を生ききる、みたいなことが言われるけれど。実際、そこまで頑張らなくてもいいのだと思っている。
でも毎日の終わりを、きちんと終わらせること、これはとても意味があることのような気がするのだ。
たとえやり残した仕事があっても、たとえ悔いの残る喧嘩をしたとしても。今日の自分が今日を生ききるのに精一杯だったと認めてあげること。そして、ねぎらってあげること。
なおみん、今日という日をよく生ききりました。おつかれさまでした!もしかしたら、明日は来ないかもしれませんが、もし目が覚めたら、もう1日生き延びることができます。そのときは、神様に与えられた、あなたにとって特別な1日になるでしょう。
恐らく、本来は毎日これの繰り返しなのだ。明日が必ず来る保証なんて、誰にもないのだから。
今こうして生きているのは、今朝目が覚めたから。わたしは無事、神様に与えられた特別な1日を過ごすことができそうなのだ。
毎日命を終わらせること。
そして、毎日命を始めること。
新しい朝が来た、希望の朝だ。
喜びに胸を開け、大空仰げ。
いやホントこの歌詞が秀逸すぎて感動。
生まれた星がいつか消えていくより早く、人の命はあっけなく終わっていく。
生き急ぐでもなく、死に急ぐでもない。頑張って今日を生きるでもない。ただただ、寝る前に今日の命を〈美しく終わらせる〉ことだけだ。人はそれを、睡眠と呼ぶ。
上辺だけの情報で、周りのすべてに感謝しようとか毎日を悔いなく、とか実践したところで、それは恐らくどこかズレている。
毎日、死んで生まれ変わるような感覚。
わたしもそろそろ終わりの時間が近づいてきたのでこの辺で。
明日というボーナスステージを夢見つつ。
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