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自分がどんな人間かを思い出す旅

私は、自分がどんな人間なのかを疑問に思い続けて早15年。
自分の人生を生きているようで生きていないような感覚を持つようになって10年くらい。その思いは日に日に増してきて、自分が何が好きでどんなことに興味があるのか?自問自答しても答えは見つからず、毎回迷宮入り。

いろんな人に出会い、いろんな時間を過ごしていき周りの人からは穏やかだよね。とか、みんな話を聞いてほしくて電話してくるよね。とか言われていましたが、いつも「違うんだよ、これは自分の居場所を作ってそこのコミュニティーに存在するための処世術なんだよ。って思っていたんです。
実際はこんなに明確には思っていなくて、「いやー違うんだよな。」くらいにしか感じておらず、きちんと何が違うのかを説明することができませんでした。

皆さんはどんな処世術を身に着けてきましたか?

私は、とにかく言われたことを飲み込んでそれに蓋をし聞き分けのいい子をずっと演じてきました。

それは幼いころことあるごとに「はあー、子供じみたことを言うな。すぐに感情的になるな。少し考えたらわかるだろう。」と父親に言われ続けてきたので、いつのころからか自分の欲求に完全に蓋をして物分かりのいいふりをし続けて今に至るわけなんです。

先日タロットリーディングを受ける機会があり、その時に自分では気づいていたけど見て見ぬふりをしてきたことをすべて言われてしまい、人から改めて言われるとびっくりするくらいそれについて認識するもんなんですね。

自己犠牲をすることによって自分の存在を認めてあげていることに、深いところで理解出来たら、自分に対してやってきたことを申し訳なく感じるのと同時に、よく今まで頑張ってきたな。と素直に思えたのでした。

自分がやられて嫌なことに対して愛想笑いをする必要はない、人に良く思われなくてもいい。過剰に人に伺いを立てなくていいと思ったのでした。

そして自分をより知るために自分とたくさんコミニュケーションをとっていこう。そしてストレスを感じず自分を表現しようと思ったのでした。



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