KIACコミュニティプログラム_タケノ時空間散歩『この家で』2022年リサーチ日記 8
11月28日(月)
今回の滞在は連日出かけるのではなく、ミーティングや図書館で借りた文献を読んだり、資料整理などの日も設定していました。昨日午後は與田さんがOffだったので、蓮華寺の振返りと吉田さんを交えての来年度以降のためのミーティング。年明け2月の報告会に向けては、以前のパフォーマンスのベニューでもあった田中邸にて、「万年青」とインタビューから構成したいくつかのお話を参加者とともに読む、「みんなでお座敷リーディング」を企画する方向となりました。
11月29日(火)
KIAC休館日。文献を読んだり、インタビューの文字起こしをしたり、おかずの作り置きを作ったり。
11月30日(水)
「万年青」の中で強く印象に残った文章の一つで、昭和10年に森本郵便局配達員となった当時の、雪山道を徒歩で配達に廻る苦労などが詳細に記された「郵便哀歌」を投稿された津禰鹿(つねか)武志さん(当時82才)のご子息であり、現轟郵便局の局長である津禰鹿勉さんにインタビューに伺う。
幼少期に山の上の三原地区への年賀状配達について行ったり、お寺の階段で竹スキーで遊んだエピソード、また今では考えられないような信頼関係が配達員と住人との間に築かれていたこと、以前は郵便局長は世襲制のようだったなど、驚きのお話しの数々でした。そして武志さんは、三味線、唄、踊りの芸能好きで、地区の盆踊りのやちゃ踊りの三味の名手であり、勉さんもそれを引き継ぎ、保存会の主要メンバーであると知りました。7月に森本の梅田三角でお会いして変装盆踊りのお話を聞いたユリコさんのことも当然ご存知で、「有名人ですよ」とのこと。勉さんのご婚礼の時にはユリコさんのリリー美容室で花嫁の髪結いをしたそうです。
いろいろと地域の話をしてくださる時に、説明のために広げて見せてくださったのは郵便地図! どんなウェブ検索よりも確かな地図です。
竹野町史で見つけた、代々の郵便局長の名も記されている地域の郵便の歴史のページと「郵便哀歌」のコピーをお渡ししました。「おやじがこんなこと書いていたとは知りませんでした。お墓に祀って報告します。」と、喜んでいただけてなによりです。
*津禰鹿勉さんは2023年に局長を退任。同年に轟郵便局は閉鎖されました。
午後からは竹野南地区のコミュニティセンター「わいわい・み・な・み」の通所サロンへ。現在居住している家は2件となった川南谷(かなんだに)地区の方にもお会いでき、山間部の囲炉裏端での冬仕事のこと、お嫁入り当時のお話し、昔の遊びの話題では大いに盛り上がり、手まり遊びの数え唄の大合唱となったり、笑いの絶えない楽しい時間を過ごさせていただきました。
今回のリサーチで今まで行ったことがなかった地区も数々訪れ、古代にまで遡る史実や地形の変化などなどを知るとともに、それぞれの地に暮らしてきた人々の文化・芸能を含む生活の活きいきとしたお話を聞き、竹野がより立体的に見えてきた感じがします。
続きは下の2022年リサーチ日記9へ。
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