見出し画像

在宅福祉のこと

https://www.ruralnet.or.jp/syutyo/2013/201309.htm
より引用

「畳の上で死にたい」という望みをかなえるために
 
 たとえば泰阜村は人口1821人、過疎化の進む中山間地域の小さな村だが、徹底した「在宅福祉」の村として全国にその名を轟かせてきた。1988年には老人福祉と老人医療を無料化。診療所と在宅福祉支援センターを核として、介護を必要とするお年寄りをホームヘルパーと訪問看護師が手厚くサポートする体制を整備し、お年寄りのほぼ5割が自宅で亡くなる「在宅死の村」を実現させた。ちなみに泰阜村は全国でもっとも医療費が少ない長野県のなかでも、つねに医療費が最低クラスである。
 2000年4月の介護保険制度の導入は、こうした泰阜村の福祉行政の見直しを迫るものだった。村の在宅福祉を支えてきた国や県の補助金が見込めなくなるとともに、介護サービスの利用者である村民が利用料の1割を負担しなければならなくなったからである。国民年金以外の収入が少ない高齢者にはこの出費は非常につらい。
 松島貞治村長は元役場職員。診療所の事務長を務めた経験もあり、「在宅福祉の村」を引き継いできたが、介護保険制度のスタートにあたり、大きくふくれあがっていた訪問看護師やヘルパーの数を減らすなどの苦渋の決断を迫られた。それでも泰阜村はあきらめなかった。在宅を希望する高齢者には介護保険サービスを超過する分を村が負担。松島村長が会長を兼務する村の社会福祉協議会は現在でも正規職員だけで23名にのぼり、臨時職員を含めると46~48人が在宅福祉サービスにかかわっているという。

ーーーーーーーーーーーー
松島貞治は、父である。
6期24年村長を務めた。
村長を辞して5年目、ようやく父と福祉の話をした。

「俺が長く村長をやった弊害っていうのがある。」
「オレが村長だった時は、生まれ育った家で、思い出のあるこの家で、畳の上で死にたい」っていう人がほとんどだった。そういう人たちのためっていう前提で、在宅福祉をやってきた。
でも、今、そう思っているお年寄りってどんだけいるんだろうな。
前提を、見直さないといけないんだと思うよ。

松島貞治

「前提を見直す」
病院で働いていた時、終末期の人にたくさん立ち会った。
思うのは、
家族の想いと本人の想いは、違うんだってこと。
最期を迎える時に、認知機能が保たれている人が
少ないってこと。

ただ、わからないから、どこで死んでも同じかって、
それは違うんじゃないかと思う。

「どう死ぬか」は結局、「どう生きたか」
ってことだと思う。

ひとり孤独な死を迎える人は、ひとり孤独な生き方を。
家族に囲まれる人は、温かな家庭を。
遠方から友人が駆けつけるひとは、友人を大切に。

そういうことなんだと、
たくさん見て、思った。
だから、終末期の問題は、今、皆がどう生きるかに繋がっていると思う。
それは、私もだと思う。

今、人は、どこで、どう最期をむかえたいのだろうか?
どういう最期をむかえたいのだろうか?

透析も、胃ろうも、呼吸器も、
泰阜村で最期を迎える人たちには、
必要ないだろうな。
それは、元気な時から、医師と話をしてきたからだ。

終末期は、キュアではなくて、ケアであり、
腕の良しあしではなくて、
最期を迎える覚悟だ。

分かっていても、揺らぐのだ。
大切な家族の命がたえるかもしれないと思うと、
分かっていても、
「生きていてほしい」と
私は、思った。
だから、勉強が必要なんだと思う。

DIvがどこまで必要か。
呼吸はどうなるか。
尿は、便は、どうなるか。
皮膚はどうなるか。
目の色は、どうなるか。
知っておくだけで、覚悟はできるのだ。

私は、自宅だろうが病院だろうが、
キレイな仏になりたいと思う。
だから、点滴はいれないでほしい。

でも、もっと生きたい人も、いるんだよな。
だから、効率とか、医療費とか、
そういうことで、語っちゃダメなんじゃないかと思う。

この問題は、
特養やホスピス、病院、在宅、
たくさんの仏様を見た上で、
語らないといけないような気がする。

胃ろう作っても、数カ月延命できるかどうか。。。
でも、その数カ月に、価値がある人もいたから。

で、きっと、その上で、泰阜村は、
どの立ち位置に立つんだってことなんだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?