ハーフですか?と聞かれることを死ぬほど嫌っていた私が今では嫌とは思わない理由

そう、何を隠そう私はハーフだ。
イギリス系カナダ人と日本人のハーフ。生まれも育ちも日本なので、英語よりは日本語の方が断然得意。でも、英語も喋れる。

2024年現在、齢36になる私だが、幼少期の頃の日本にはそこまで外国人の居住数は高くはなかったのは想像できるかと思う。少なくとも今よりは。いわゆる西洋的なルックスの人達はそこまで見かけなかった。

初めて自分が周りとは違うと気付いたのは幼稚園の時。
小学校に隣接していた幼稚園に通っており、グラウンドは共有されていた。外で遊んでいた時にふと小学5年生くらいの男の子達三人くらいに囲まれた。一人が「外人だ!」と叫び、他の子達も続けて「アメリカ人?」「英語喋って!」と口々に言ってきた。特に何か危害を加えてきたわけではない。それに対して嫌悪感を感じるでも恐怖を感じるでもなく、ただただ、何で外人と呼ばれるのだろうかと思ったのだろう。後から母に聞いた話だが、帰宅後、母に「私、外人じゃないよね?」と、キョトンと聞いたらしい。

ただし、小学校に上がった後に「外国人」であると言う事実を思い知らされるのであった。

私は幸いにも友達や先生に恵まれ、西洋風のルックスを理由にいじめられる事はなかった。でも、そこかしこで「外国人」を感じた。主に街中で知らない人に不意に話しかけられる時、そして新しい人に出会った時に交わす最初の挨拶の時であった。

電車に乗っていると「すみません、あなたどこの人?」と全く知らないおばさんに話しかけられたり、ホームに立っていたら遠くから高校生グループの男の子達が、「アメリカ人だ。」「お前話しかけてみろよ。」「俺かよ〜、ハ、ハロー・・・」なんて事もあった。(その高校生には無視を決め込んだ。)知らない人からそんな風にいきなり声をかけられる事は不快であった。ただ一回だけ、笑ってしまった事があった。24〜25歳くらいの頃だろうか。いきなり道端で若いお兄さんに「オーウ、シャルウィーダンス?」と声をかけられた。踊らねーよ。

それだけであれば一時のフラストレーションだけで済んだのかもしれない。しかし、そこに被せて会う人会う人、かなり多くの方が挨拶の後に「ハーフですか?」と付け加えて聞いてきた。そう聞くあなたは、会う人会う人全員に日本人なのかを確認するのですか?しないですよね?なぜ私だけ確認が必要なのですか?と言う疑問が悶々と残ってしまった。もちろん私の受け取り方が偏屈だっただけなのかもしれない。けれど、毎度聞かれるのはうんざりであった。仕事の面接時にも、「失礼ですが日本国籍はお持ちですか?」と聞かれる始末。名前が全てカタカナ表記ならばそう聞くのもわかる。しかし、全て漢字でそこまで珍しい名前でもない。苗字は思いっきり日本名だからこそ、聞く理由は見た目が理由なのが明らかであったのも嫌だった。

日本語は喋れないのだろうと決めにかかってくる方が結構いて、その決めつけも嫌で仕方がなかった。レストランに入った時に店員さんが嫌そうな顔をしてオドオドと対応してくる様や、ごめんなさい、日本語しか喋れないのですが・・・と前置いて話しかけてくる方にもどうしても寛容になれなかった。気遣ってくれての発言もあったかとは思うが、優しさが裏目に出てしまい、やはり外の人と扱われている事は寂しかった。

そんな思いがあまり良くない形で積み重なっていった。高校生の頃にバスの定期を買おうと窓口の人に申込書をもらいに行ったら「日本語で書かれたものしかないんですがいいですか?」と言われた時には、「普通に日本語喋れますから。」と感じ悪く返してしまった事もあった。

高校生の頃の私は、コンプレックスお化けと化していた。同じではないと弾かれる風潮が、まだ残っていたように思う。外国人が漢字を読めないのは仕方がないね、と言うようなことを言われたり、日本人はそう言う考え方はしないから、と面と向かって先生に言われたこともあった。

ネガティブな言葉は鋭利な刃物だ。そして、ポジティブな言葉をも切り裂き暗闇に埋めてしまうものだ。ハーフ羨ましいな、可愛いね、といっていただいた所で、そんな言葉はやはり「あなたは私たちとは違うから」と言うスタンスを別の言い方に挿げ替えただけのものであった。素直に喜べたことなどなかった。

そんな状態で演劇の世界に入った。入った理由は色々とあるが一つには疎外感を埋めたかったように思う。あのキラキラとして且つ選ばれ続けなければいけないシビアな世界で生き残り、世間からは疎外どころか熱烈に必要とされる存在になりたかったのだと思う。むしろハーフであることを利用できるのではないかと思った。ハーフいいな羨ましいな、と言うくらいならば、その部分を利用してやろうじゃないか。

しかし現実はそう甘くはなく・・・。

ハーフの人が役者として起用される現場はそこまで多くない。舞台の一役者として作品作りに携わらせて頂くにあたり、外国風の顔立ちには説明が必要なのである。例えば家族を題材にした話をやる場合に、アジア系の役者さんの中に私が入ると、どうしても訳ありになってしまう。

かと言ってタレントを目指す事はしたくなかった。それこそ設けられた「ハーフ枠」、いわゆる別枠に座ることになる。少なくとも当時はそうであった。何だよ、結局、宇宙人扱いに変わりはないじゃないか。

顔と人柄に見合った役として異分子的な存在の役をいただくことが多かった。ほとんどの現場で楽しくやらせていただいたのだが、しかしどうしても超えられない壁が一つあった。それは外国人役をやるということ。「バックグラウンドが完全に外国人」の役を、どうしても演じることができなかった。特に外国訛りの日本語を喋ることはどう足掻いてもできなかった。技術的に訛りを表現できないわけではなく、心理的に受け付けなかった。間違っても外国人を馬鹿にしている、と捉えられかねない芝居になってしまうリスクを負いたくなかったからなのか、演じてしまう事によって私自身が、やっぱり私は外国人です、と公言する事になるような気がしたからなのか。上手くは説明できないが、とにかくものすごい抵抗を感じた。私情入れまくりのダメ役者だ。

外国人登録証のことを「ALIEN REGISTRATION」と言う。直訳すると「宇宙人登録」。まさに地球外生命体のような存在になった気分なのだ。

しかし、この「コンプレックス」は芝居を離れる事によって大きく変わったように思う。

私はあまりにも視野が狭かった。芝居を辞めた後に普段手に取らないような本もたくさん読むようになり、初めての業界で働き、いろんな人に出会った。

いろんな人達とお話しさせて頂く機会をいただいた。旦那さんが時折失踪してしまう方、鬱を経験したことのある方、障害を必死に隠そうとして生きてきた方、親の支配下で悩んできた方、出産が帝王切開になったと言うことで義母にちくちくと小言を言われる方(こんな方がいまだにいるのかと驚きだが・・・。)

この世は悩み事で溢れかえっている。漠然とわかっていたつもりではあったが、実際に聞くと途端に現実味が増した。みんなそれぞれ形は違えど、社会から見たら「疎外的」であり「外の人」な部分を持ち合わせている。私のコンプレックスなんて星屑の一つにしか過ぎない。

だから悩むのはやめたのだ。世間に対して私の期待する反応を求める事はやめた。外の人だから怖いと思うなら、怖いと思われたまま避けられるより、どこの国から来たのか、はたまたどこの惑星から来たのかを聞いてほしいくらいだ。

大抵の場合、話をさせてもらううちにいつの間にか「外の人」扱いはなくなっているものである。最初のお互いの探り合いの段階でバックグラウンドを知ってもらえたら、割と日本人味が強いのかなと思う。

なので、今では「ハーフですか?」と言う質問に拒否反応を起こさなくなった。ただ単に私のことをもっと知りたいと思ってくださる、ありがたいとも言えるイントロダクションなのかもしれない。しかし感じるのは、今の時代、特に都会に住んでいればハーフであることに対して特異な目で見てくる人は滅多にいない。時代もあってか、基本的には自分がハーフであることは忘れて過ごしている。

ただ、一つだけやめてもらいたいことがある。全くの赤の他人で、そしてこれからも一切関わる事はないであろう方からの「ハーフですか?」はやはりモヤッとしてしまう。

私がハーフであろうと、そうでなかろうと、あなたには関係ないのだから。

でも少しでも関わりそうであれば、喜んでお話しします。そしてあなたのバックグラウンドもぜひお伺いしたい。

自分の置かれている状況を受け入れて、少し成長した私なのでした。うふ。

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