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人は「愛した人の欠片(カケラ)」で出来ている

 人間は、周りの人から様々な影響を受けて人格を形成していく。まして、愛した人からの影響というのは大きくて、時間を経た後も身体の一部になっていたりする。言ってみれば大人の女なんて、昔愛した男たちの欠片でいっぱい。ふと、人間は遺伝子の乗り物ではなく、思い出の乗り物じゃないかと考えた件について。

こっそりジオン公国へ入国した理由

 コロナ禍だというのにどうかと思うが、ここに行かずに死にたくない。というわけで、こっそり、息子にジオン公国に連れて行ってもらった。

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 あなたがもし誰かから「山」と言われたら、つい「川」と答えてしまうのではないだろうか。それと同じで、私は「ガルマ・ザビは死んだ!なぜだ」と言われたら「坊やだからさ」と言ってしまう。

 このあたりのガンダムネタはわかってもらえなくて全然いいのだが、私にとってジオン公国は血が沸き、肉躍る憧れの地である。行くことができて、本当によかった。

「上司のミスのせいで左遷だって?やけ酒も飲みたくなるよね。確か飲んでるのはラムだったよね。一杯どうぞ♡」

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 そう。シャア・アズナブルは、ガルマを守れなかった責で、ホワイトベースの作戦から外されたのです。

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シャアとの記念写真。

 喜んで、昔の私!シャアと呑めるとか、一杯ご馳走できるとか!!大人になるって最高だよ!!!!!

 こんなにも私を興奮させたのは、たぶん元彼の欠片。

 淡い恋は終わり、どんな人だったかさえも思い出せないけれど(笑)熱く語って教えてくれた「欠片」は、アニメ愛、漫画愛として今も私の中に生き続けている。

私の中の「森口博子さんの欠片」

 ガンダムと言えば。機動戦士Zガンダムの後期OP「水の星に愛をこめて」を歌っていた森口博子さん。

 実は、責められている人をフォローするという癖は、私の中の「森口博子さんの欠片」がやってくれている。

 昔むかし、私が某バラエティ番組に出ていた頃の話。番組で3ヶ月ほど公開ダイエットをさせてもらったことがある。でも、なかなか体重が減らなくて。ある日スタジオ収録中に、MCをしていた某女優さんに、厳しめの指導をされたんだよね。「ちょっとカメラ止めて。みんなに迷惑かけてるのわかる?スタジオだって、カメラさんだって、私だって、みんなが時間を作って番組を作ってるんだよ?」と。

 若かった私は、思わず涙ぐんでしまって。

 そのときに助け舟を出してくれたのが森口博子さん。普段から優しくて好きだったけど、あの時はホントに、本当に嬉しかった。森口さん、本当にありがとうございました。

 それ以来、責められている人を見ると、事情はともかく、フォローするようになった。森口さんの優しさは、今も私の中に、脈々と生きているんだと思う。

息子の中の欠片

 さて話はジオン公国に戻る。ガンダムのストーリーを彷彿させるお酒や料理を次々にオーダーしていたら、息子に声をかけられた。「さぁ、もう堪能したよね。帰ろうか」「えー、もう少し遊びたい!!」

 いつの間にか、たしなめられる側になるほど息子は大きくなった。横顔は、昔愛した男に似ている。でも、彼の言動には私の欠片がいっぱいだ。

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戦利品の一つ「シャア専用!ご飯だれ」。

ショップで手にとったとき、息子に言われたね。「米なんか、ほとんど食べないでしょ」と。

はい。食べません。でも欲しい。そっと息子の顔色をうかがう。

「うーん、値段もこんなに高いのか。付加価値すげーな。でも、こういうのを買うのもエンタメとしてはアリだよな。持って帰って、写真とか撮って、思い出込みの料金なんだから、買えばいいんじゃない?」

 息子の言い草に、ぐうの音も出なかった。

 ……ん?これって、私がディズニーランドで息子に言ったセリフ!海賊の剣を欲しがった息子に言ったセリフ、まんまじゃないか!!欠片発見だよ。なんだか心がじんわりした。

 息子よ、ありがとう!

 病弱だった息子の具合が悪くなれば「これだから女は」という視線を感じながら、頭を下げてまわり、お迎えと看病。誰にも褒められない掃除や洗濯をコツコツやり。うるさく思われるのが嫌なのに、あえて「宿題をやりなさい」と声掛けなど、学校のフォローもし。養育費も払わない元旦那に頼らずガシガシ働き。本当に大変だった。

 感謝されない割には、かなりの時間と労力を長きに渡り割いてきたわけだけど。

  私はこうして、自分の欠片を息子の中に発見している。これって、とんでもなく幸せなことではないだろうか。私が死んでも、遺伝子とともに、欠片は残るのだから。

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 人間の致死率は100%で、人生の後半戦は、ちょっと残酷だ。平均寿命と介護なしで生きられる健康寿命の差はおよそ10年。

 尊厳を失うことより嫌なのは……

 息子に親が変わっていく姿を見せること。介護で疲れさせてしまうこと。疎まれること。息子がマイナス感情に苛まれること。

 INK4a遺伝子領域のRBとp53とか、p16、p19の配置を考えると、人間はガンになるようプログラムされているように思えてくる。この辺りについて詳しく説明するのは割愛するが、私個人は「終わり方が組み込まれた乗り物にのっているのだな」と感じている。

 父の闘病、介護生活、人生のしまい方を見て、私はプログラムされた寿命で死にたいと感じた。もちろん治療をするのは大切だ。でも無理な延命で必要以上に苦しめるのも嫌だし、思い出のいくつかが塗り替えられてしまうのは嫌だと強く思った。

 父は亡くなったけれど、私の中には今もたくさんの「父の欠片」がある。息子の中には、私の欠片だけでなく、私が父から受け継いだ欠片もある。これって、かなり素敵なことではないだろうか。

 もしかすると。息子だけでなく、友達、仕事の仲間、趣味の仲間、たぶんこの記事を読んでくれた人のうちの何人かにも、小さな私の欠片は残るかもしれない。そう考えると、老いていくことの残酷さも、いつの日かそっと消えることへの恐さも、受容できる気がするなぁ。

 皆さんの中には、誰の、どんな欠片がありますか?

 

ワインとコーヒーを燃料にして生きています。「一杯ご馳走してあげてもいいかな」と思ってくれたら嬉しい。大好きなコーヒー豆もしくはワインを購入する費用に充てて、また元気に執筆します♡