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時手紙

花の色は
うつりにけりないたづらに
わが身世にふる
ながめせしまに


私の住んでいる県には、時手紙という粋なサービスをしている施設があるらしい。

2ヶ月〜10年後、指定した時に配達してくれるらしく、書く相手は自分でも家族でも恋人でもいい。好きな相手に手紙を書くことができる。


10年後、どうしてるかな。


求めるのって苦しいね。求められないのはもっと苦しいかも。君の幸せが僕の幸せ。あぁしてあげたい。こうしてあげたい。考えるだけで幸せ。こうしてあげたいって気持ちを受け止めてくれて、心から喜んでくれた時、本当にしあわせ。

全ての人にはこうしてあげたいって気持ちが時々持てなくて、求められた時にその気持ちを持っていないと、ごめんね。苦しい。

自分の事ばっかりはもういいや。じゅうぶん。

あげたい。やっぱり好きな人にあげたい。いっぱいあげたい。ごめんね。やっぱり好きな人じゃないと私はダメみたい。修行が足りない。嬉しいって言ってくれたら、喜んでくれたら、嬉しいな。ううん。本当は、私じゃなきゃダメって言ってくれたら、嬉しいな。

なにもできないけど、そばにいたい。
ずっと隣にいたい。


17年ぐらい前、祖母が亡くなった。

生まれた時からずっと一緒に暮らしていたおばあちゃん。

大好きなおばあちゃん。

スベスベのお肌をしていて、毎日薄くお化粧をして髪の毛を綺麗に整える。1日も欠かした事がないのが自慢のおばあちゃん。おしゃれでかわいい、腰の曲がったおばあちゃん。今でも「なおちゃんや。」って声が聞こえてくる。

いろんな話をしてくれたね。戦争の話。田舎の話。水道に憧れてこの街に出てきた話。おじいちゃんに一目惚れした話。家出をした話。亡くなって30年近く経つけど、今でもおじいちゃんの事が好き、1日もおじいちゃんの事を思わない日はないって言ってた。


私が子供の頃は、お正月は賑やかだった。
親戚が家に集まる。

大人は麻雀をして、その隣で子供はドンジャラをしたり、人生ゲームをしたりして遊んだ。

確かドンジャラは、ドラえもんのドンジャラだった。

夕方からみんなでごはんを食べるんだけど、大人の麻雀が中々終わらない。

唐揚げ美味しかったな。

そんなお正月も子供が大きくなるにつれ、一緒には来なくなり、だんだん寂しくなっていった。

ある年、珍しくみんな集まった。全員ではなかったけど、その年はたまたまみんな来るって言って、みんな集まった。

久し振りに賑やかなお正月だった。

おばあちゃんは風邪をひいていて少し辛そうだったけど、とても嬉しそうでずっとニコニコしていた。おばあちゃんの仕合わせが私にもうつって、私も嬉しくて自然とニコニコした。

忘れられないお正月になった。


3日後の早朝、電話が鳴った。

父からだった。おばあちゃんが救急車で運ばれたからすぐに来るようにとの事だった。

父の声が悔しそうに聞こえた。

信じられなかったけど、おばあちゃんの顔を見たら涙が止まらなかった。悲しくて涙が止まらなかった。

いつも気にかけてくれる親戚の叔母さんから電話がかかってきて、いっぱい泣いてあげなさいって優しい言葉をかけてくれた。

泣いた。いっぱい泣いた。

七日七日も毎週実家でした。
うちの法事はいつも大合唱だ。祖母が毎日朝夕お経をあげていたから私達はみんな耳で覚えている。毎日毎日、家族の幸せを願ってくれていた。

最後の日は特にみんな大きな声であげた。大合唱だった。それまで何となくおばあちゃんがいる様な気がしていたけれど、パァっと空気が明るくなっておばあちゃんが空へ行ったのを感じた。

祖母が亡くなったのは、祖父の月命日の日だった。父が「お袋は親父の所に行ったんだね。」って言っていた。

家族の為に全力で生きた人。

祖母は母をとても大切にしていた。母も祖母をとても大切にしていた。

母に電話すると、
「毎日ね、おばあちゃんの思い出話、お父さんとしては泣いてるんだよ。」
と言っていた。

父が「お袋は〇〇(母)に出逢ってから本当にしあわせだった。」と話していたのが印象的だった。

父は母をとても大切にしている。母も父をとても大切にしている。

この時から私は、大切な人を大切に。今大切に。その時しなきゃいけないと思う様になった。


10年後どうなっているかはわからない。

でも、10年後の自分が今の自分の事を好きだと言える生き方をしたいな。



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