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「子どもの"暇"を肯定的に捉えましょう」という担任の先生の教え

私たちが住む南ホラント州では、夏休みも終盤に差し掛かりました。
あと数日もすれば新学期が始まります。

オランダでは休暇中の混雑を避けるため、地域によって夏休みの始まりが異なります。それに伴って、夏休みの終わりも異なる仕組みになっています。

世間では新型コロナウイルスの第二波に関する情報が溢れていますが、
オランダは少し規制を強めることはしたものの、学校はこれまで通り再開のようです。

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娘は4歳で小学校に通い始め、今は5歳となりました。
そして、9月から新学年を迎え、groep2の年が始まります。

コロナの影響はあったものの夏休みの短縮はなく、これまでと同じように1ヶ月半の夏休みです。先生も学校へ出勤はしないし、そもそも学校は開いていません。
仕事の都合により、そこまで「ゆっくり」とはいかない夏休みでしたが、教員時代のことを思えば、在宅ワークの私たちにとって、2020年の夏はこれまでで1番、「家族で一緒にいる時間が長かった夏休み」と言えたかもしれません。


「暇を持て余す」という経験

夏休みで学校に行かなくなった分、娘には「自分で遊ぶ」という時間が増えました。特に私たちが仕事をしている時間、ひとりっ子の彼女にとってそれはまるっきり「1人の時間」となります。

同じ屋根の下にこそいますが、彼女が1人で何かをする時間がたくさん流れました。
...ただ、まだ5歳の娘が"ずっと"1人で遊ぶことは出来ません。

「お母さん遊ぼ〜」
「お父さん遊んで〜」

3月の休校期間も含め、夏休みが始まりしばらくすると、娘はそんな言葉をよく口にするようになりました。

「暇や〜」

と愚痴を漏らす場面も多々あったように思います。

構えない罪悪感と、「何かさせた方が良い」という親の押し付け

「暇や〜」
「何もやることない〜」

そういった言葉を放つ娘を見て、日本にいた頃の私たちなら、

「何か一緒に遊んであげなければ」
「何かすることを与えてやったほうが良い」

と思っていたように思います。

そんな風に思っていたのは、そもそも自分たちが仕事に追われる日々の中で「子どもとの時間を十分に確保出来ていない」という"引け目"のようなものを感じていたからかもしれません。

また同時に「暇なら何かをさせないと…」とどこかで思っていたように思います。

「学校で習うべきアルファベットを書くように進める?」
「数字を学ばせて、書けるようにした方がいい?」

結果的に、後にそれはあまりにもやりすぎると「押し付け」になり得るということを学んだ私たちですが、どこか焦っていたことは確かです。

「子どもの暇を肯定的に捉えましょう」という担任の教え

しかしその後、娘の担任がくれた一言に救われる経験をすることになりました。

ちょうど新型コロナウイルスによる休校措置が取られた3月中旬、
小学校からオンライン教材を受け取るようになった時のことです。

少なくとも「学校に行かないこと」で失われる時間に関して、「学ぶ時間が少なくなった」と危惧を抱いていた保護者はいました。私たちもそのうちの一家族です。

「学校で学ぶべき内容と時間をそっくりそのまま失っている」
「オランダ語の発達に影響が出てしまうのではないか…」

そう焦った私たちは「家でどうすればカバーできるか」ということを懸命に考えていました。それは別に悪いことではありません。しかし、プレッシャーを感じていた私たちは、担任からきたメッセージに救われたのです。

「子どもたちが"暇だ!"と思う時間を大切にしましょう。"暇な時間"や"暇だ!"と思うことは決して悪いことではありません。学校からの教材をやらせることに躍起になったり、それで保護者が気を揉んだりすることは少し脇に置いておいて。子どもたちの"何もしない時間"を大切にすることをお勧めします」

というのがありました。

休校期間中も、夏休みも、家で暇を持て余している娘の姿がありました。
そして、「学校に行くことが出来ない娘」を哀れんだ私たち夫婦は、
あれこれと手を尽くして、どこか「学校に行けなかった/行けない時間」を何とか埋めようとしていたのです。

担任から送られたきたメッセージには続きがありました。

「子どもが"暇だ!"と言っているとしたら、それは良いことです!子どもたちは暇になると、自分の頭でで考え、何かすることを見つけようとします。そして、その時に想像力を働かせ、行動しようとします。時間潰しに、暇を埋めるようにiPadやテレビも見るのも良いでしょう。でも、時には積極的に"何もしない"ということを受け入れましょう。子どもたちを無理に忙しくさせることは、かえって何かを奪うことにつながります」

おおよそこんな内容でした。
その言葉に救われ、とても納得がいったのです。

デバイスで空き時間を埋めることをやめた

その言葉以降、私たちは娘のデバイスとの付き合い方を考え直しました。
娘が「暇だ!」と言わないための時間を、デバイスで埋めるというのをやめたのです。

もちろんスクリーンタイムは制限していたのですが、娘の「暇を埋める道具」としてデバイスを渡すことも多かったように思います。

結局のところ、デバイスは「暇つぶし」でしかない場合も多いと思います。
でもその「暇」にこそに価値があるとしたら...潰さんでえぇやないかい!と、私たちは思い直したのでした。

脳内を忙しくさせることをやめて、暇を持とう。
それはとてもオランダ人らしい考え方のように思いました。

与えられる何かで過ごす時間は「暇つぶし」になってしまうから。
もっと脳を空っぽにする時間があっても良いんじゃないか。
そんな風に考えるようになりました。

「暇を与えよう」
そこから私たち夫婦は、娘の「暇だ!」を肯定的に捉えられるようになりました。

「暇だ!」をポジティブに捉えられるように

そして、今私たちは、娘の「暇だ!」をポジティブに受け入れています。
当初は

「暇だ!」
「何もすることがない!」
「お父さん/お母さんと遊びたい!」

と言ってばかりいた娘でしたが、不思議と今となっては「暇だ」という言葉が減りました。「遊んで」という言葉も以前より減ったように思います。

それは、彼女の心の成長にもよると思うのですが、私たち保護者の「暇」の捉え方に変化があったからのようにも思います。また、彼女自身「暇だ!」と言った後に「暇だから、◯◯しよう〜!」と、これまでやってこなかったことにチャレンジすることも多くなりました。

もちろん、窓の外を見ながら「ぼーっと」していることもあります。
(その姿がとても愛おしいなと思うのです。笑)

「子どもが暇になることを肯定的に捉えましょう!」

そういった視点を持たせてくれた娘の担任にはとても感謝しています!

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