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考査範囲を2週間前にしか知らせない教師

こんにちは!

オランダに移住してからも私は英語を教える立場の人間として、幼児〜成人に英語の学習指導を続けています。
オランダに来ればそんな需要はないかと思いきや、それが意外と多く...

これまでの英語教師としての経験をもとに、学校授業のフォローや、英会話を教えています。

中学生や高校生の指導も行う中で、どうしても気になることがあります。
それは、「試験範囲」についてです。この記事を読んでくださっている(恐らく多くは)みなさん、「テスト2週間前」ということばをよく覚えていませんか?


「テスト2週間前」ということばの呪縛

テスト2週間前...多くの人にとってこの言葉はあまり好きな言葉ではないかもしれません。私自身、教員として自分の英語指導のスタイルが出来上がりつつあるなと感じるようになってから、この「テスト2週間前」という言葉に多くの人々が縛られているということに気が付きました。

しかしながら、2週間前だから何だというのでしょう?授業において、学習において、2週間という区切りは何の意味もないものではないでしょうか。

実際、2週間前になると生徒の生活に何が起きるかというと、

場合によっては、部活動が短縮になったり、自主練に切り替わります。
(多くの場合)教科でまとまったテスト範囲表が生徒に配布され、今回の試験範囲が発表されます。
「あぁ、いよいよ試験が始まるのか...」とテンションが下がります。←

試験範囲を2週間前まで出し渋る先生たち

私は1つ考査が終わり、次の試験範囲に入る1番最初の授業では、「今回の試験範囲」を発表していました。
つまり、1学期の中間考査の返却が終わり、1学期期末考査の試験範囲に入る最初の授業で、「期末考査の範囲」を全て明らかにするということです。

「先生、早すぎひん?」
「他の先生、2週間前にしか言わんけど?」

生徒からは様々な意見が出ましたが、それもまた「2週間前」という言葉の呪縛だと感じていました。つまり、考査範囲の発表が2週間前でないといけない理由などどこにもないのです。

そして同時に「全ての生徒」が2週間前で十分だと感じている訳ではありません。時に11教科に渡る考査範囲が2週間前まで曖昧であることは、本当に生徒たちにとって「フェア」と言えるのでしょうか?

私にはそう思えませんでした。本当に「フェア」であるということは、個人がそれを選択できる自由があるということだと思うのです。

「計画的に」という教師が、1番計画的に授業計画を組み立てていない

2週間前に考査範囲を知らせる教師が「試験勉強は計画的に」と言う...
私の心の中は、

「どの口が言うとんじゃーーーーい!!!」

でした。笑

教員免許を所持している自分の専門教科に携わる人間が、これから進める考査範囲の妥当性と、そこに向けた授業計画をきちんと練っていない。
ちなみに私は初回授業から考査日までの授業回数と、どの授業で何を学ぶかも全て初回の授業で配布していました。

「私も計画的に、そしてみんなも計画的に」

これが私が自分と生徒の学習に対して大切にしていた姿勢です。

考査2週間前に160個の例文を暗記せよと言う教師

私が教える中学生の英語教師は、2週間前にターゲットを配布し、160個の例文を暗記するようにと伝えたそうです。

もう怒りしかありません。生徒を馬鹿にするのもいい加減にして欲しい。
何故、試験範囲が始まった最初の授業でそれを知らせることができないのか。結局、「短期記憶型」の学習を推進しているのは教える側なのです。

ということで、私は私が教えている生徒を守るために、自分の中にある得策を準備して、何とか順調に単語暗記は乗り切れそうです。しかし、それはあくまで「仕方ない勉強法」であって、最善ではありません。

忙しさを言い訳にしてはいけません。
教師は何で免許状を取得し、何にプロフェッションがあるのかを自覚し、それを授業で行使する義務があります。

「自立した学習者」を育てなければいけない

私は私のやり方を貫き、私が授業担当をしてきた生徒には、全ての情報を公開してきました。考査範囲に始まり、この考査範囲における平常点(考査以外の部分で成績に影響する点数)の内訳も公開してきました。

つまり、生徒自身が自分の成績をコントロールできるようになって欲しかったからです。自分の能力ややる気に応じて、早めに準備をするのかしないのか、平常点の何に重点を置いてこの数ヶ月の学習を進めるのか、

「プリントを出すことを絶対に忘れないようにしよう」
「今回はプレゼンに力を入れて平常点をあげよう」
「小テストは全部満点を目指そう」

私は内訳も書いているので、仮に小テストで満点を取れば平常点が何点もらえるかということはあらかじめ分かります。

学習者にとって大切なのは、自分の立ち位置を知り、自らの選択によって学習を進めていくことなのです。そこにある自由と責任を学び、自覚しながら学習行動に移す。これが「自立した学習者」にとって必要なことだと思うのです。

「自由と責任」を生徒に

選べる自由と、選ぶ責任。

これはいつも背中合わせにあります。日本の教育は子どもたちや生徒から自由と責任を学ぶ機会を奪っているのではないかと感じることがあります。

自由と責任をどのように行使するのか。
それは小さなステップの中でしか学べません。時に失敗し、時に成功し、その小さな経験の中で、自分にとっての自由と責任を学びます。

その重みを受け止め、きちんと行使できる人間を育てるためには、教える側の人間が情報を出来るだけ早くオープンにし、それがそうである意味や意図をきちんと伝えなくてはないけないと私は思います。

つまり、生徒自身がこれから始まる学習に対して、自分なりの道を描けるよう、最善の準備をしてあげる必要があるということです。

どうか少しでも多くの教師が「考査2週間前」の呪縛から解放されることを願っています。そして、本当の「フェア」とな何なのか。問いが立つと良いなと思っています。

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