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昔っぽいオランダがいっぱい、北部フリースラントへの小旅行

オランダの国名「Nederland(ネーデルラント)」は「低い土地」という意味を持つ。オランダはアルプス山脈などに水源を持つ大きな川が北海に流れ込むところに位置する関係で、国土の多くが「デルタ」と呼ばれる三角州になっている。海抜ゼロメートルよりも低い土地が多く、埋め立て地もたくさんある。

そんなデルタなオランダを見たければ、西部の南ホラント州とか、ゼ―ラントとかが筆頭に上がるのだが、北部フリースラントもおススメだ。南部アイントホーフェンから高速道路に乗って約2時間。首都アムステルダムからだと車で1時間半ぐらいで行ける。

窓から見える景色といえば、どこまでも平らな土地。空の面積が大きく、低い位置に灰色の雲がもくもくしていて、その光景は昔のフランドルの絵画みたいだ。今の季節だと、その下に黄色い菜の花がワーッと広がっていて、牛がのんびりと草を食んでいる。草原を吹き抜ける風は強く、大きな風力発電基が回るのを、羊が口をもぐもぐしながら眺めている。

いくつもの川を渡ってフリースラントに入ると、高速道路が水の上に浮いているみたいなところに出る。周りは水だらけ。車と並んで、ボートが走ったりもしている。「低い土地」に来たなあ、という感慨が湧いてくる。

セーリングは典型的なオランダの娯楽

天気予報に反して、滞在1日目は青空に恵まれたため、私たちはボートセーリングを楽しんだ。4月下旬~5月初旬はオランダにも日本のゴールデンウィークのようなお休みがあるため、天気のいい日にはボートやヨットのセーリングで込み合っているようだが、この日は幸い、湖や水路は貸し切りと言ってもいいほど空いていた。

ボートやヨットは、特にライセンスなどを持っていなくてもレンタルすることができる。船の大きさや種類にもよるのだが、例えば4人乗りのヨットだと、1日借りて125ユーロ、8人ぐらいまで乗る電気モーター付きのボートが100ユーロ前後といったところだ。

ボート操縦経験のない私たちにはハードルの高いアクティビティだったが、幸い義理の妹夫婦がセーリングに慣れていて、今回同行してくれた。私たちはRufusという貸しボート屋さんでボートを借りて、近くの大きな湖(Sneeker Meer)に漕ぎ出したのだった。

昔ながらの水門

電気モーター付きのボートは静かに、コンスタントに、ゆっくり進む。子供たちも私もボートを操縦させてもらった。右や左にハンドルを切ると、ボートは少し遅れて反応するので、ちょっとした慣れが必要だった。初めのうちはハンドルを切りすぎて戻したりしたので、ボートはフラフラしてしまった。

大きな湖から狭い水路に入り、ボートは枯草の間を進んでいく。たくさんの水鳥がボートの前をパタパタと飛び立ったり、水草の間の何かを食べたりしていた。

航路の途中2回、水門があった。水門はそのまま小さな橋になっていて、主導のハンドルを回すと橋が動く仕組みになっている。水門を開閉することで水位を調節し、ボートが進みやすいように水流を整えるのだ。

昔ながらの水門。これは橋になっていて、手動のハンドルで真ん中からパカッと動く仕組みになっている。

ボートを水門の前でいったんパーキングして、ボートを下りて橋のハンドルをギコギコ回して水位が変わるのをじっと待ち、また別のハンドルを回して水門を開け、ボートに戻って再びモーターを動かす――この作業に30分ぐらいかかる。慌ただしい世の中、ここではレトロな動作とゆったりした時間の流れを体験できる。考えてみれば、ここでボートに乗って急いでいる人など誰もいない。なかなか貴重な体験だった。


昔ながらの作業を楽しむ子供たち。水門を閉じた後、レバーを上げて水が流れ込むようにする。

偉大なるオタクがつくった、動くプラネタリウム

フリースラント滞在2日目は、「世界最古の動くプラネタリウム」を見に、Franeker(フラネケール)という街まで車を飛ばした。小さな街には、17世紀の面影を残す建物が立ち並ぶ。17世紀といえば、オランダ商人たちが世界貿易に繰り出した黄金時代で、アムステルダムなどでは今でも当時の立派なお屋敷群が見られるが、ここにもその超小型版みたいな家々がある。その一角、羊毛の紡織業を営んでいたエイセ・エイシンガの家が、プラネタリウムの博物館になっているのだ。

エイセ・エイシンガの肖像と彼の本業である羊毛業の作業場所

エイシンガは裕福な商家の息子だったが、羊毛業の後継ぎであったために高等学校には行かせてもらえなかったそうだ。しかし、彼は数学的な才能を発揮し、父のビジネス相手からの手ほどきもあり、天文学を独学で学んだ。当時は人体解剖や化石研究や物理の実験など、世の中のさまざまなことを知ろうとする活動が盛んな時期で、エイシンガもそんな雰囲気の中で生きた人だ。

1774年、地元のエルコ・アルタという牧師がブックレットを出版。彼が「地球は軌道を外れ、太陽によって焼かれる」と予言したため、地元民はちょっとしたパニックに陥ったという。そこで、エイシンガは計算に基づいてそれが現実には起こり得ないことを証明し、動く太陽系モデルを作って人々に見せようと考えた。

そして、自宅のリビングルームの天井に作られたのが、この動くプラネタリウムだ。実に、8年の歳月をかけたものだった。

エイシンガのリビングルーム天井に広がる動く太陽系モデル。壁のカーテンの向こう側はベッドになっており、その上の壁には季節ごとに見られる星座が示されている。
丸い金の玉は、大きいのが太陽、小さいのが地球。ほかの惑星はもっと天井近くに動いている。

緻密な計算に基づいて作られたこのモデルは、それぞれの惑星の周期に合わせて、木の重りと円盤と、約6000本の手作りの釘によってゆっくりと、正確に動いている。例えば、地球は365日で太陽の周りを回っているが、本当にその速度でこのモデルの地球も動いている。なんと、250年経った今でも!

彼は死ぬ前にきちんとマニュアルを残しており、この世界最古のプラネタリウムは、今もそのマニュアルに沿って維持管理されているという(4年に1度、2月29日の調整など)。

博物館では、天井裏の仕掛けも見ることができる。6000本の釘で大小の歯車がかみ合うように正確に作られている。

なんという素晴らしいライフワークだろう!彼がこれを本業の傍ら、趣味で作っていたというのは、なんとも心打たれる事実である。「好き」が高じて、湧き上がる情熱が形になり、人々の役に立った。ある種、仕事の理想形ともいえるこの作品は、今も多くの人にインスピレーションを与えている。

エイシンガの肖像は地ビールのパッケージにもなっている。

フリースラント人は甘いものがお好き

オランダは九州ぐらいの面積しかない小国だが、それぞれの地方でやっぱり特産品がある。

以前に新聞で読んで食べたいなあと思ってたのが、この地方の「オラニエクック(Oranjekoek)」というケーキ。「オラニエ」はオランダ語で「オレンジ」なのだが、見かけはオレンジではなく、薄いピンクだ。ケーキのスポンジにオレンジの皮が入っていることが名前の由来だという。

ご当地スイーツ、オラニエクック。これは生クリームが載っているが、ほかにバタークリームバージョンもある。

スパイス入りのスポンジにアーモンドクリームが挟まっており、ケーキの上はバタークリームか生クリームが載っていて、果物とホワイトチョコレートでデコレーションされている。生地は固めで、素朴な美味しさだった。

Fyske Dumkesは、その名の通り親指ぐらいの大きさ。

そして、上の写真はもう1つのご当地スイーツ。「Fyske Dumkes(フィスケ・ダムケス)」というクッキー。直訳すると「フリースラントの親指」。昔はクッキーを平らにするときに親指で生地を押していたらしい。アニスとナッツが入ったカリッとしたクッキーで、ザラメがまぶしてある。

アニスの風味がアクセントになっていて、オランダの田舎っぽさが溢れるお菓子だ。フリースラントの人たちが海外などで暮らしていると、ときどきこのクッキーが食べたくなるんじゃないかな…と思わせるものがある。

各砂糖がたくさん入ったSuikerbrood。毎日食べるのはちょっとヤバそう。

さらに、フリースラントでは「Suikerbrood(ザウカーブロード)」という「砂糖パン」が有名。パン屋に行くと、かなりメジャーな商品として前方にたくさん並んでいる。普通の食パンみたいなものに、角砂糖がたくさん入っている。かなり甘いパンなのだが、意外と2切れぐらいペロリと食べてしまう。こんなに甘いパンが日常的に食べられているとは、フリースラントの人たちは甘党が多いとみた。

ほかにもフリースラント州の特産品には、豆類やクランベリーも挙げられる。また、フリースラントの旗は青と白の縞に赤いハートが施されたかわいいデザインなので、これで布巾やらエプロンやらパンツやら…いろんな商品がつくられている。フリースラント人の地元愛は強く、住宅街ではこの旗を庭のポールにはためかせている家をよく見かけた。昔っぽくて素朴なフリースラントに合う旗である。

フリースラントの旗のデザインが施された土産物

日本からオランダに来ると、アムステルダムやロッテルダムなどの都市観光が中心になるだろうが、時間があれば、昔ながらのオランダに出会えるフリースラントへの小旅行もおすすめしたい。

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