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いい店

4半世紀という、本人たちもびっくりの歳月を経て、かつて新卒で1年だけ所属した広告代理店の先輩方と再会した。
今なお現役でご活躍中のみなさん、懐かしい感慨などそこそこに、話題はピッツァからダイエットへ、日本酒へ、おいしい店の探し方へと次々展開していく。

「で、イカワはウェブの口コミをあんまり見ないんだって?」
雑誌の対談を読んでくださった先輩が訊ねた。そういえば、知らない人の感想より自分の勘、みたいな発言をしたっけ。
「俺は見るなぁ。失敗したくないから、コメントを分析する」
いやいや、だって先輩はマーケティングのプロだもの。分析の先に真理を見出すのはお手のものだろう。

しかし一方で、こんなこともおっしゃったのだ。
「馴染みの街なら鼻が利くよね。知らない店でも、ここはきっといい! って。俺は高円寺ならわかるけど、渋谷はダメ」
なるほど、暮らしたり通ったりして、路地の空気や街の人の気質まで感じて覚えた経験値が、眠れるアンテナを開くのか。

ある酒場の店主を思い出した。
彼いわく、休日にあえて知らない街を訪れては勘を頼りに店へ飛び込み、アンテナの感度を鍛錬するという。
こうなったらもはや武道だ。
たしかに「いい店」の意味が「自分に合う店」だとすれば、内なるアンテナを磨けば、フィットする精度は上がる。

とはいえ、そんな悠長には待てない、今正解が欲しい時もある。
私が先の新入社員だった頃の話だ。食通の上司に、会社近くの銀座でおいしく値ごろな店の指南を乞うと、こう諭された。
「人に聞くのは簡単だが、自分で調べて、何度か失敗しなさい」

もちろん最初に調べはしたのだ。
まだパソコンがピーヒュルル〜と鳴る時代に口コミサイトなど存在しないから、頼みの綱は本や雑誌。
けれど弱冠二十歳ちょい。銀座といえば映画館と千疋屋のフルーツサンドがすべての地方出身者にとって、日本一の繁華街の夜なんて想像を絶するうえに、お金もない。
それでも、父が上京するので自分の給料からご馳走したかった。

そう伝えると、上司は「それを早く言いなさい」と秒速で、庶民的でいて小綺麗な焼き鳥店を弾き出し、自分の行きつけだからと予約まで取ってくれた。
やかんに入れた日本酒を、高い位置からグラスへ注ぎ、表面張力いっぱいのところでピタリと止める。父はその技に拍手して喜び、相席の隣客には「娘さんと飲めるなんていいですね」と声をかけられて終始上機嫌だ。
焼き鳥店のたった2時間が、その後何十年も繰り返し語られるほどの思い出になった。

これが現代なら、私は検索でこの店に辿り着けただろうか。
私の給料から性格まで踏まえ、客としての振る舞い、注文の仕方なども教えてくれる大人がいたから、その一軒は私と父にとって「いい店」になった。

今は検索が「教えてくれる大人」なのかもしれない。
けれどもオンラインの向こう側にいるのは、見ず知らずの人たちだ。好みも背景も違う彼らが、異なる価値観で語る「いい店」は有象無象。
ゆえに、自分に合う・合わないを見極めるには、マーケターなみの分析力が必要になる。

秋田魁新報「遠い風近い風」2024.8.3掲載

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