見出し画像

杜人


先月、遅ればせながら逗子シネマアミーゴで映画『杜人(もりびと)』をみてきた。

ちなみに映画の隅っこにちょっとだけヒッシーも登場している。4年前の姿かな?友達が見るときはプチ『ヒッシーを探せ!』も楽しんでもらえるといいと思う🤣


造園家/環境再生医 矢野智則さん @杜人HPより


矢野智則さん、すごい人だ。


この6年多くのローカルの人々に出会ったが、その中で心の師匠とも言える方が何人かいる。「神だな・・・この人は」と心の底から思える人たち。グウの音も出ないぐらいものすごい世界を開いてくれた、目から鱗の、心から敬愛する方々。彼もその一人。


どういう人かというと。


矢野智則
造園家/環境再生医として、足元の住環境から奥山の自然環境の改善までを、作業を通して学ぶ「大地の再生講座」を各地で開催しながら、現代土木建築工法の裏に潜む環境問題に言及、その改善予防を提案し続けている。

出典:公式プロフィールより


このあっさりしたプロフィールからは想像もできない。うわっつらでない大地に根を張った本気活動はぜひ映画を見てもらいたい。映画情報はコチラ↓



彼の大地の再生を体感するには、実際の作業に参加するのが一番!
次に、映画を見ることだ。


それぞれに立ち上がってくるものを感じるのが一番だが、無粋ではあるが、私に響いたことの中から2つだけチョコッとだけ語ろう。


1 魔法のような、自然の叡智。


サッ、サッと矢野さんが、風の草刈りをする。

わずか5分ぐらいで、止まっていた森全体の空気がふわぁ〜っと動き出す。

葉山の広い森の、場の澱みが消え、気持ちの良い風が流れ出す。

まるで魔法だ。



鎌倉の東慶寺さんで行われている大地の再生プロジェクトにも、これまで何度も参加した。

大地の再生の手法の根っこは、ごくシンプルだ。

点と脈。
水と空気の流れ。

たったそれだけなのに。
3ヶ月後に訪れるたびに、大地がグングン再生していく。
自然の凄さを、心底体感する。
自然の驚異を、思い知る。

だから昔の人は、人の手で、大きな山一つを管理することができたのだ。



ごくシンプルなルールの下、
自然と人がどう共存するのか。ものすごい自然力のありようを教えてくれる。

私がやっている整体にも通ずる世界だ。

マクロとミクロは同じ。大地と体。自然の治癒力が発揮されることのお手伝い。対象物は異なっていても、やっていることは同じだなあと思う。

自然の叡智はごくごくシンプルだが、いつだって深く精妙でこよなくどこまでも豊かな恵みを与えてくれる。



2 グローバルの後始末


ちょっと正確でないかしれないが、映画の中でのコトバを1つ取り上げてみる。

「環境問題は、きれいにぬりこめられてきた。」

映画を見るとよくわかる。
言葉だけが先行し、グリーンウオッシュが横行する、形だけのSDGs。。。狙いは開発。高度経済社会が、グローバル経済が、大企業や行政が良きこと・当然のものとして進めてきたもの。その歪み。その後始末を命をかけてやっている人たちがいる。

@杜人HPより


グローバルは巨大。
巨視で見えるものは、大きな世界だ。
成長と利益と結果を追い求め、走り続けていく。
その歪みの中でとりこぼされて、壊れていく小さな世界。

グローバルには見えていない。


この映画を見ると
どれだけ、グローバル経済社会の「当たり前」が
大地と自然の呼吸を止めてきたのかが、身に染みてわかる。

それは決してヒトゴトではなく、自分自身も「当たり前」として、長年やってきたことだ。見えてこなかったことだ。



ローカルの小さな微細な世界に生きると、それらがクッキリと見えてくる。僕ら人のサイズには、目の前のリアルな現実だ。ローカルという生態系の中で、大地と自然とくらしを整える仕事をわたしたちはやっている。

グローバルからは見えないかもしれないけど、グローバルの繁栄の後始末を日々私たちローカルはやっているのだ。


東京にいた頃。きれいなオフィスにいた頃。
自然とは対象物だった。別のところにあるもの。ヒトゴト。どこかの誰かがやってくれるもの。たまの休日に癒されるもの。


今、自然と在る。
今、ローカルに在る。
真に、自然とともに生きる。

そのことの意味を、教えてくれる映画であるように思う。


鎌倉まちオケもまた、矢野さんたちとともに。

大地の再生。

体とすこやかの再生。

日々、グローバルの後始末をしながら、自然の叡智と生きる。

真に、自然と共生するローカルづくりの歩みを、今日も続けていきたいなと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?