ディアギレフは永遠に・・・(8月18日に寄せて)
毎年、8月になると私は日本の敗戦とディアギレフの死について考えざるを得ません。
本日はディアギレフの命日。
彼が10月のバレエ団メンバーとの再会を約束しながらあの世へ旅立った日です。
彼の率いた世界初の私立バレエ団、バレエ・リュスは今でも超える存在が出ていないほど、芸術的に先鋭的でありながら美しくそして自由な存在でした。
日本人で見た人も多くはありませんが居ました。また、その活動、存在については多くが伝えられ、あこがれをもって語られ、夢見られた存在です。
バレエ・リュスを見た日本人の一人岩田豊雄はエッセイの中で親しかったミハイル・ラリオノフからパスをもらって見にいった話を書き残しています。ミハイル・ラリオノフはロシアの画家でバレエ・リュスでは『真夜中の太陽』『道化師』などの美術・衣裳デザインを手掛けています。
岩田豊雄は直接言葉を交わす事はなかったようですが、そうした客席でディアギレフの姿を見たようです。「ヂアギレフの猫背」と表現しています。
また独特の感性で「ヂアギレフは築地の待合からブラリとでてきさうな、東京的な、現代日本的なあるルサンチマンさへ、ことにその横顔にこぼれていた」とも書き記しています。
私の仕事は、素敵に言い換えれば、ディアギレフが結成したバレエ・リュスの夢を追っているのかもしれないな、とこの台風に襲われて雨の続く日本の夏、色々がまさかの状況の日本で思うばかりです。
*以前Zoomトークでお約束しながら果たせていなかった有料のバレエ・リュス記事配信、本日から開始します。よろしければ是非お読みくださいませ。図版は後程となりますが、こちらも是非お楽しみに!
*本日のヘッダーはジャン・コクトーがえがいたバレエ・リュスの20年間の大パトロネスだったミシアのボックスに居る左から、セール(ミシアの当時の配偶者)、後ろから少し見えているのがコクトー本人、ミシア、そしてオペラグラスをもったディアギレフ)
ありがとうございます。 欲しかった本やプログラムを購入し、Ballet Collectionの充実に励みたいと思います!