見出し画像

久しぶりに

今日は
朝から夕方まで
なーんにもしないでいた

というか
なーにもする気にならなかった

ここのところ

ボディブローのように
小さいけど
心削られんなー
ってことが立て続けにあり

一昨日の晩に
とどめがきた


大好きな方の訃報が届いたから

体調が優れない状況だったことは
知ってた
でもコロナもあるし
ここ数年
お会いできてなかった
もう少し「落ち着いたら」
またお会い出来ると
思って疑ってなかった

FBでは
投稿されてるのも見てたし
亡くなるまでに
悪化してるとは
思ってなかったから

訃報を聞いた時
そんなにまで悪化してたのかと
ショックが大きかった

大好きな方と
もう会えないんだ
という悲しみに覆われて
涙が止まらない


命というものと
ここまで散々向き合ってきたつもり
でいても
現実に
大好きな存在が居なくなる
という現象に出くわすと
心が砕かれていく
久しぶりに
人の死で
涙が溢れて止まらなかった


そして急に怖くなった

あ、今、私の周りには
死んだらやだな
いなくなること考えるの苦しいな
辛くなるな
と思う人が
沢山いるなと思い浮かんで
それだけで
涙が止まらない

止まらなくなった

ひとしきり
泣いたら

今度はなんだか
心があったかくなった

それだけ
今、私は私の周りには
私が心寄せれる人が
沢山いるんだなぁと思えてきた

ショックだったことは
もう一つ

私が捉えていた「現実」と思ってたこと
は「現実」ではなかった
ということに気づいたショックも

「現実」っていうのは
本当になんなんだろうな

訃報の知らせを聞かなかってら
私の「現実」のこの時間軸には
まだ、その方は生きていた

聞いた時点で
私の中の認識が変化する
亡くなった
に記憶が変化したわけでしょう

となると

自分の中にある
認識してる記憶
というものが「現実」を作っている
としかね
言いようがないと
思うのよ


この辺りはさ
まだまだ
深い

今回のことで
他にもたくさん、たくさん
気づけたし
私の中を知れた

なにわともあれ

ひとしきり
泣きじゃくったし

久しぶりに
嗚咽上げてね
泣きました

なんか
我に帰れたなー

こんな貴重な機会をいただけたんだ

こんな時にまでね

感謝でしかないなぁ☺️


そんな感じで
外に行くと

こんな景色に
ちゃんと会える

愛でしかないネ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?