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人は「愛」から自由になれない〜【Opera】東京芸術劇場コンサート・オペラvol.8 『人間の声』&『アルルの女』

 東京芸術劇場のコンサート・オペラシリーズは、いつも鋭い選曲と実力派の演奏家を揃えているが、今年は初っ端にものすごい公演を実現してしまった。前半はジャン・コクトーが1930年に書いた戯曲に、およそ30年後にプーランクが作曲したモノ・オペラ『人間の声』。ひとりの女性(Elle)が、数日前に別れた恋人と電話で語る1時間弱の物語で、交換手に電話を繋いでもらうやりとりや、時おり電話が混線するところなどはいかにもこの時代。
 レチタティーヴォ風のアカペラのフレーズが多用されており、一種演劇的な音楽の作りになっているが、森谷真理は見事にその「演技としての歌」をつくり上げてみせた。たとえば電話が混線するたびに、彼女はそれこそこの世の終わりのようにうろたえる。その震え、恐れ、嘆き。それは、一本の電話線が自分と相手とを結んでいる文字通り最後の「生命線」であり、これが断ち切られたらもう彼との仲は二度と元に戻らない、という切羽詰まった思いがあるからだ。そして、彼女が電話のコードを首に巻き付けて自殺してしまうという結末は、電話線という「モノ」に彼女がどれほど依存していたのか、ということを嫌が上にも際立たせる。その時発せられる「叫び」はもはや音楽ではないのだが、森谷はこの生々しい「叫び」に至るまでに、感情の細やかな動きを実にていねいに声に乗せており、それゆえ逆説的にこの「叫び」が「音楽的頂点」として響いたのには唸らされた。
 常々思っていたのだが、森谷の声には常にある種の「遊び」がある。いい意味での余白、といったらいいのだろうか。だから声の質自体は軽やかなのだが、その底(あるいは裏側)にどっしりとした土台の存在を感じさせ、聴き手に余計な神経を使わせることなく音楽の世界へと自然に引きこんでしまう。まったくもって稀有な歌い手である。

 さて後半は、オーケストラのための2つの組曲がやたらと有名なビゼーの劇音楽『アルルの女』の全曲上演という、これもまた非常に珍しい試み。アルフォンス・ドーデが書いた戯曲を指揮の佐藤正浩が日本語に翻訳・構成し直したものが、音楽に乗せて、あるいは音楽の合間に語られていくスタイル。ちなみに、そもそもドーデの戯曲を作曲する際、ビゼーは、オーケストラが演奏する中でセリフを語る「メロドラム」と呼ばれるスタイルの場面が出てくる作品として書いているので、今回はそれに忠実に乗っ取った上演だったということができる。芝居部分は、語りのほかに数役を演じた松重豊を要とした4人の役者が熱演。特に、主人公フレデリの母と婚約者ヴィヴェットというまったく年齢の違うふたりの女性を演じた藤井咲有里の演技力には度肝を抜かれた。
 ビゼーの音楽には、組曲版を聴いているだけではわからなかった細やかさ、雄弁さ、表現の豊かさがある。また合唱が登場するのだが、第1組曲の第1曲に置かれている「王たちの行進」のメロディが劇の途中で歌われるのも新鮮な驚きがあった。「劇不随音楽」をオリジナルの「劇」のスタイルで鑑賞する機会はほとんどないが、言葉、オーケストラ、合唱が三位一体となって初めて『アルルの女』という作品がかたちづくられているのだということが実感できたのは、佐藤正浩指揮の武蔵野音楽大学合唱団、ザ・オペラ・バンドの演奏の充実があればこそだろう。

 ところで、この2つの作品の主人公は、共に「愛に敗れ、人生を終えることになった」人たちである。

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