”旬”の日本人演奏家の才能を味わう〜【Concert】作曲家キーシン〜その肖像

 10歳で「神童」として世に出てから40年、エフゲニー・キーシンは20世紀から現代における最高のピアニストしての名声をほしいままにする存在だ。そんなキーシンが、実はかなり幼い頃から作曲を続けてきたことはそれほど知られていない。いくつかの作品は披露されたりもしているが、今回、世界で初めてキーシンの作品だけを集めたコンサートが開かれた。

 モスクワのグネーシン音楽学校時代に書かれた作品番号1番を持つ「4つの小品」はキーシンが初めて演奏会で弾いた自作。キーシンと同じグネーシン音楽学校で学んだ松田華音が弾いた。6歳からモスクワで学び、「若き天才」と呼ばれることの多い松田だが、その実力は確かだ。特に楽譜を読み解く能力が非常に高い。この作品は確かに高い演奏技術が必要とされるが、ヴィルトゥオジティだけを誇示するような曲ではない。テクニックと楽想の表現とのバランスが求められるが、松田はその塩梅が非常にいい。ピアニストの演奏会レパートリーになり得る作品であることを十分に示した。

 続く「チェロとのピアノのためのソナタ」Op.2には、ミュンヘン国際音楽コンクールチェロ部門で日本人として初めて優勝し、今もっとも注目されるチェリストである佐藤晴真が登場。抜群の表現力で聴衆を惹きつける。ピアノの阪田知樹の技術力の高さは、ソロよりもむしろこうしたデュオ、あるいはアンサンブルでこそ活きるのかもしれない。

 前半最後の曲は「弦楽四重奏曲」Op.3で、ヴァイオリンに成田達輝と小林美樹、ヴィオラに川本嘉子、チェロに笹沼樹というメンバー。3人の若い才能をベテラン川本が引っ張る格好だが、音楽的には非常に融合性が高く、聴いていて違和感はまったくない。特に各楽器がカノンでメロディを渡していく3楽章は、高いテクニックに裏打ちされた激しいやりとりがスリリングで、弦楽四重奏曲の醍醐味を存分に味わわせてもらった。中でも第1ヴァイオリンの成田は非常に「魅せる」ヴァイオリニストだと思った。

 後半は歌曲を2曲。「タナトプシス(死の概念)」Op.4は、19世紀に活躍したアメリカの詩人ウィリアム・カレン・ブライアントが1878年に出版した『詩集』からの一編に作曲したもの。「死」とはどういうものかが語られながら、それが「生」の意味へと繋がっていくという感動的な内容をもつ。演奏はメゾ・ソプラノの林美智子、ピアノが阪田知樹。終演後に行われたアフタートークでキーシンは、この作品の背後には、ソ連とアメリカの冷戦を経てのアンチ・アメリカニズムや、アメリカと日本との微妙な関係など政治的・歴史的な背景があることを語っていたが、ソ連に生まれ私たちには想像もできない社会の変遷の中で生きてきたキーシンその人の中にある一種の「ヒューマニズム」が生きているのではないかと思わされた。コンサートの最後に演奏された「古い蓄音機から飛び出した小鳥のアレフ」(イディッシュ・ミュージカルより)は、動物や子どもたちが登場するイディッシュ語の9篇のテクストに、シャレたユーモアあふれる音楽が付けられた作品。ソプラノ森谷真理、メゾ・ソプラノ林美智子、バリトン黒田祐貴の3人が歌ったが、とにかく森谷真理の歌唱が抜群に素晴らしかった。前半で若い演奏家の才能が炸裂していたが、ここにきてベテランの実力を見せつけた格好。ピアノは松田華音だったが、やはり「歌の伴奏」には特別な訓練と経験が必要だということを感じさせられた(もちろん松田はとても”上手い”が)。

 作曲家としてのキーシンは、シェーンベルクに影響を受けたと考えられる十二音技法なども駆使しつつも、基本的には非常にわかりやすく、かつ手触りの良い音楽を書く人という印象だ。もちろんそれは、出演した演奏家の卓越した能力があってこそだろう。特別奇抜だったり突飛だったりしない代わりに、彼の音楽に対する熱い信頼のようなものが感じられる曲ばかりだった。クオリティは高いので、もしかすると今後、演奏会などで取り上げる機会も増えるかもしれない。演奏の後で行われたアフタートークからも、キーシンという音楽家のピュアな音楽への想いが伝わってくるものだった。

2021年11月18日、サントリーホール ブルーローズ。

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