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何よりも音楽に浸る楽しみ〜【Opera】METライブビューイング『ナクソス島のアリアドネ』

 リヒャルト・シュトラウスの『ナクソス島のアリアドネ』は、もともとモリーエルの喜劇『町人貴族』の劇中劇として書かれたものを、改訂してプロローグと1幕のオペラにしたもの。劇中劇という趣向は残されており、プロローグではオペラが上演される前の楽屋のドタバタを描き、休憩をはさんでオペラ本編が上演されるという仕立てになっている。そのため、前半と後半ではほとんど別の作品のような趣で、そこが通好みでもあり、またオペラ初心者にはなかなかとっつきにくいところでもあるだろう。

 ウィーンのある富豪に招かれて新作オペラ『アリアドネ』を上演することになった音楽教師とその弟子である作曲家たち一行と、ダンスや軽業も登場するヴォードビル(大衆喜劇)を上演するツェルビネッタたちの一座。富豪の意向でなんとシリアスなオペラ・セリアである『アリアドネ』と喜劇を同時に上演することになったために、大騒ぎのドタバタが繰り広げられる。しかしパトロンには逆らえないということで、悲劇と喜劇が一体となったオペラが後半で上演されるわけだが、恋人に捨てられて嘆き悲しむアリアドネを、なぜか島にいた旅芝居の一座が慰めるという珍妙な筋立てのオペラになるのだ。実際私は、前半は前半でひとつのオペラ・ブッファとして、後半は後半でシリアスなオペラとしてみたいという気持ちに駆られることがある。

 だがもちろん、この仕立てが功を奏しているところもある。何よりも「一粒で二度美味しい」というか、一回のオペラで喜劇と悲劇とが両方味わえるというのはなかなか面白いし、また緩急のリズムがうまく配分されているところも観やすい点のひとつだ。先ほど「初心者にはとっつきにくいかも」と書いたが、もしかすると現代の若者にはこうしたテンポ感やメタ構造は結構受け入れられやすいのかもしれない。

左:アリアドネ(リーゼ・ダーヴィドセン)、右:ツェルビネッタ(ブレンダ・レイ) 
(c)Marty Sohl(タイトル写真も)

 メトロポリタン歌劇場(以下MET)のプロダクションは、2021年に新型コロナウイルスのために急逝したエライジャ・モシンスキー演出。プロローグでは18世紀前半のウィーンの富豪の館を忠実に再現したセットと衣裳でリアリティあふれる人間模様を描き、オペラでは打って変わった神話の世界をシンプルながら幻想的な衣裳と照明で見せる。このリアルとファンタジーの間を行き来する演出が、リヒャルト・シュトラウスが書いた音楽にピッタリと合っているのが本作のもっとも注目すべき点だろう。リアルといっても18世紀前半のウィーンなど私たち現代に生きる人間にとってはフィクションであり、この部分があまりに現代的すぎると後半との乖離が激しくなる(それをあえて際立たせる演出も、もちろんアリだが)。つまり、モシンスキー演出、リアルとファンタジーの按配がとても「イイ」のだ。だから、先述したような「前半と後半分けてほしい」などという邪道な欲望(笑)は、今回まったく抱くことなく最後まで観ることができた。

 何よりも素晴らしかったのは、音楽である。マレク・ヤノフスキの指揮は変なタメを作ったり、逆にスカーっと高速で飛ばしたりする最近の若い指揮者とは一線を画すもの。それでいて「これぞリヒャルト・シュトラウス」という響きをオケから引き出すのだから、やはり名匠の名にふさわしい。歌手は各役に過不足なく名手を配してさすがMETの実力を感じさせる。セリフのみの執事役に今はインディアナ大学で教鞭をとっており舞台からはほぼ引退している(ご本人は「引退してないよ!」と言ってましたがw)ヴォルフガング・ブレンデルをキャスティングするなど、METにしかできないことだろう。プロローグにしか登場しない作曲家はリヒャルト・シュトラウスお得意のズボン役で、旬のメゾ・ソプラノであるイザベル・レナードが熱演。ちょっとひ弱で、考え方がスクエアな青年作曲家の生真面目さがよく出ていたし、一種の芸術論になっているアリアを歌い出すと周りのみんなが動きを止めて耳を傾けるというシーンからは、この作品が「芸術」についてのオペラなのだということを改めて感じさせる効果があったと思う。歌手の中で出色だったのはプリマドンナ/アリアドネ役のリーゼ・ダーヴィドセン。強靭な声でありながら実にしなやかで高音の安定感たるや!まだ30代だということでこれからが本当に楽しみなソプラノだ。

 『ばらの騎士』や『サロメ』に比べればマイナーだが、全曲が2時間程度と長さもちょうどいいし、リヒャルト・シュトラウスの音楽の美しさに存分に浸ることができる。この演出とキャストで上演してくれたMETに感謝したい。

2022年4月26日、109シネマズ川崎。

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