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ファム・ファタールではなく人間として〜【Stage】深作組『ルルー地霊・パンドラの箱ー』

 オペラ・ファンにとっては20世紀を代表するベルクの作品として知られる『ルル』は、フランク・ヴェデキントの『地霊』と『パンドラの箱』という戯曲二部作を原作としている。オペラ演出も手がける深作健太による舞台は、これを単なる「運命の女(ファム・ファタール)」の物語ではなく、「人が生きる」ということを徹底的に追求したものとなった。また本作は深作組による〈ドイツ・ヒロイン三部作〉の第二作で、〈ドイツ三部作〉〈新・ドイツ三部作〉を通じて深作が示し続けている「時代(特に戦争やファシズム)と人間の生」というテーマを如実に描き出している。

 ルルはどこの誰ともわからない少女で、10歳の時裸足で花を売っているところをシェーンに拾われて人並みの生活を与えられる。その後ルルはゴル博士という裕福な老人と結婚。しかし博士が心臓発作で死んでしまうと、彼女を慕う画家シュヴァルツと再婚するが、その画家もまた、彼女の過去を知り絶望して自殺してしまう。そしてずっと愛し続けていたシェーンと結婚することになるのだが、ルルの周りには父親を名乗るシゴルヒ、曲芸師ロドリーゴ、少年フーゲンベルクなど得体の知れない男たちがたむろしており、そんな生活に耐えらないシェーンがルルに自殺を迫るので、ルルは彼を射殺してしまう。投獄されたルルは、彼女を慕うゲシュヴィッツ伯爵令嬢によって救い出され、シェーンの息子アルヴァとともにパリへ逃げていく。最後は、路上で客をとる娼婦に落ちぶれてしまったルルを、切り裂きジャックが刺し殺す。

 ルルの本当の名前は誰にもわからない。彼女を「ルル」と呼ぶのはシゴルヒで、シェーンは「ミニョン」、ゴル博士は「ネリー」、画家シュヴァルツは「エヴァ」と呼ぶ。ルルは言う、「あたしは、付けられた名前の通りに生きる」。オペラではカットされているこのセリフは、ルルという人間を理解する上で重要なヒントをくれる。そして、「あたしはどんなこともしてきたけれど、決して死にたいと思ったことはなかった。生きたい!生きたい!」と叫ぶラストと呼応している。「名付ける」という行動は「所有」である。男たちは色々な名前で呼ぶことで、色々なやり方で彼女を所有している。ルルにとっては、他の選択肢はなかったのだ(劇中でフーゲンベルクは「もし10歳の時、裸足で花を売って歩く少女だったら、その人生の先に、どんなに辛い結末が待っているか、想像できるでしょう?」と語る)。ルルを単に「男を破滅させる運命の女(ファム・ファタール)」として片付けられないのは、まさにこのことによる。そのようにしか生きられなかった彼女の、唯一で最大の「自我」は「生きること」なのだ、というラストは、あまりに痛ましく悲しい。

 オペラでは、先ほどの「付けられた名前の通りに生きる」も「生きたい!」と叫ぶラストもないが、代わりに「私にはわからない Ich weiss es nicht.」という言葉が繰り返し歌われ、強い印象を残す。周りでバタバタと男たちが死んでいくのを、なぜそうなるのかわからず(理解しようとも思わず)ただ眺めているような、生き方のわからない少女のまま大人になってしまったようなルル。オペラにおけるルルは「真空」のような存在で、そこに男たちがどんどん吸い込まれていく。人(=男)には理解不能な、不可思議な存在。それはこの時代の芸術が、「運命の女(ファム・ファタール)」というものを「人工」に対する「自然」を象徴するものとして描いていたことと深く関連している。演劇のルルはもっとはっきりとした「自我」を持ち、叫び、主張し、踊り、転げ回り、大声でセックスをする。この生々しさは、オペラにはみられなかったものだ。

 また、ルルの転落の人生は、そのままドイツという国の転落の歴史と繋がっているということを、深作は強調する。第1部『地霊』のスタートは1917年、第一次世界大戦末期。その後大戦でドイツが敗北し、1919年にワイマール共和国が誕生。敗戦による巨額の賠償金の支払いのためにハイパーインフレが起こる1923年までを描く。第2部『パンドラの箱』のスタートはその1年後の1924年で、「黄金の20年代」といわれた時代が1929年の世界恐慌によって終わりを告げ、ナチスが政権を獲得する1933年までの物語だ。まさに「世界に冠たるドイツ帝国」が敗北し、衰退し、ファシズムに乗っ取られるまでの時代とピタリと重なっているのだ。こうした社会との関係性を見せる役割を担っていたのはアルヴァで、夢みがちな作家であったアルヴァはルルと一緒に落ちぶれていくうちにファシズムに傾倒し、最後はSSの軍服を着て現れ「ユダヤの猿」などというセリフを吐くのだ。

 ルルを演じた大浦千佳は、少女性を感じさせる容姿の持ち主で、次々と男たちに所有されながら、ただ「生きること」だけを自我の根元に置いてきたルル像を見事に体現していた。ルル像といえばヴィルヘルム・パプスト監督による1929年の映画「パンドラの箱」でルルを演じたルイーズ・ブルックスが有名だが、いずれ「日本におけるルルは大浦千佳」といわれるようになってもおかしくない。それほどのレベルだったと思う。オペラもそうなのだが、元々ヴェデキントが書いた戯曲でも、シゴルヒとゴル博士(萩野崇)、シェーンと切り裂きジャック(宮地大介)、画家シュヴァルツとピアーニ伯爵(葉山昴)は一人二役で演じるようになっていて、俳優にとっては難しさと面白さがあるのではないかと思うが、役者陣はいずれも非常な芸達者揃いで見応え十分。また深作組ではお馴染みの西川裕一が今回も舞台上でさまざまな音楽や効果音を演奏しており、そのひとつひとつが芝居の内容ととてもマッチしていて唸らされた。

 生きている人間としてのルル。次は深作健太にオペラの『ルル』を演出してもらいたいと思うのだが、いつかその夢が叶うことを切に願う。

2024年12月22日、シアター・アルファ東京。

 

 

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室田尚子
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