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ヴェリズモの華〜【Opera】関西歌劇団『アドリアーナ・ルクヴルール』

 関西歌劇団第101回定期公演が1年の延期を経て、吹田市文化会館メイシアターで開催された。チレアの代表作『アドリアーナ・ルクヴルール』は、2003年度文化庁芸術祭優秀賞を受賞したプロダクションである。演出は、吹田市在住の井原広樹。指揮は関西歌劇団初登場となる栗辻聡。私が聴いたのはダブルキャストの1日目。

 まず、アントニオ・マストゥロマッティの装置が素晴らしい。それほど大がかりではないものの豪華さがあり、センスもよく洒落ている。第1幕はコメディ・フランセーズの舞台裏だが、照明によって奥の幕(?)が透き通ってその向こうで舞台上で行われているところを見せるなど、工夫が凝らされていた。ちなみにマストゥロマッティは、この作品が初めて日本で上演された1976年のイタリア歌劇団公演(モンセラ・カバリエのアドリアーナ、ホセ・カレーラスのマウリッツィオ、フィオレンツァ・コッソットのブイヨン公爵夫人という豪華キャスト!)でも装置を手がけた人物。舞台の奥行きをさらに深める照明(原中治美)、色使いがシックで美しい衣裳(下斗米大輔)とともに、見応えのある舞台をつくりあげた。

 演出は、とりわけ奇抜なことをしないオーソドックスなスタイル。現代でもよくある三角関係の感情のもつれがテーマの物語で、いささかステレオタイプにすぎると感じるところはあったものの、各キャラクターの感情表現は行き届いており説得力があった。この作品、主役のアドリアーナとブイヨン公爵夫人、マウリツィオの3人はまさしく「ヴェリズモ・オペラの中の人たち」だが、それを取り巻く人物、例えばブイヨン公爵やシャズイユ僧院長、コメディ・フランセーズの役者たちは非常にコミカルな性格づけがなされている。特に公爵と僧院長は、まるで『フィガロの結婚』のドン・バルトロとドン・バジリオを彷彿とさせるような二重唱があったりして、どちらかというと「ブッファ」的要素が強い。こうした脇役たちの扱いも丁寧でよかった。

 マウリツィオをめぐるアドリアーナとブイヨン公爵夫人の強烈な嫉妬合戦(なにしろ最後は公爵夫人がアドリアーナを毒殺してしまうのだから)は、観ているとちょっと苦しくなるというか、正直胸焼けしそうになるのだが、それを救っているのがミショネの存在だ。ミショネはコメディ・フランセーズの初老の舞台監督で、アドリアーナのことを密かに思っている。しかし彼女の心がマウリツィオにあると知るや、その思いを隠して、最後まで彼女を支える役に徹するのである。彼の優しさ、人としてのまっとうさがもっとも心に残ったのは、演じた迎肇聡の功績も大きい。びわ湖ホール声楽アンサンブルソロ登録メンバーとして活躍している迎は、歌声も柔らかく緩急の幅も豊かで、ミショネの心のうちがその歌からしっかりと伝わってきた。アドリアーナから「心の友」と呼ばれるたびに、ミショネの心は傷付けられているのだと思わず感情移入してしまったほどだ。

 タイトルロールの吉岡仁美は舞台姿も華やかで、この役にピッタリ。最初のアリア「私は芸術のしもべです」こそ、エンジンがまだかかっていなかったのがやや小ぶりな印象だったが、尻上がりに調子を上げていった。第4幕の公爵夫人から送られた花に仕込まれた毒で死んでいくシーンは、まるで『ルチア』の狂乱の場のように、突然過去のことが蘇ってきたり、自分が何者なのかわからなくなったりするが、声の調子を一定に保ってしっかりと歌い切った。マウリツィオの清原邦仁は、非常に魅力的な声の持ち主。ただスタミナ切れなのか第3幕以降は声の艶がやや落ちてしまったのが残念。ブイヨン公爵夫人は、アドリアーナに対抗する「もうひとりの主役」といってもいい重要な役で、それだけにこの役の巧拙が作品全体のクオリティを左右するといっても過言ではない。橘知加子は体調を崩していたのだろうか、随所で高音が枯れてしまったり、かと思うと低音にやけにドスが効いていたりと乱調。高貴でプライドが高く、それゆえに愛を諦められないというキャラクターは確かに難しいと思うが、もう少し万全の歌唱で聴きたかった。

 栗辻聡率いるザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団は、流麗なメロディを豊かに響かせ好演。関西のオペラを観る機会はあまりないのだが、これほど達者なオーケストラがいるのであれば、今後もさまざまな作品が上演できるだろう。関西でもっとも長い伝統があるという法村友井バレエ団も高水準。いつの時代にも共通の愛と嫉妬の物語で、見た目にも華やか、音楽も美しく聴かせる「ヴェリズモ・オペラ」の面白さを堪能できた公演だった。

2021年9月25日、吹田市文化会館メイシアター大ホール。

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