見出し画像

少女マンガの実写映画化がうらやましかった私が今思うこと。

家にいる時間が長いので、この機会にとamazonプライムで見られる「原作・少女マンガ」の映画を見まくってみました。
50代が射程距離に入ってきた「お姉様」の私も、若かりし頃を思い出してちゃんとキュンキュンできるのか・・・?誤作動が増えた脳下垂体を刺激してエストロゲンを大放出させてくれるのか・・・?
と、楽しみに見てみましたが・・・。

今のところ一番楽しめたのは「君に届け」でした。
多部未華子ちゃん、演技も安定感があるしかわいい!好き(ハート)

ただなんというか・・・見るに堪えない作品もやっぱりあるわけです。
どうしてこんな脚本にしてしまった!?
どうしてこのキャスティングにしてしまった!?
どうしてこんな演出に!?
って、開始20分ぐらいで耐えきれなくなって、タブレットで晩ご飯のレシピを検索しながら見るなんてこともしばしば・・・。


私が少女マンガを描いていた頃は、自分の作品が実写映画化されるなんて最高の名誉だと思っていました。それはまさしく売れている・評価されている最も分かりやすい証拠であり、自分の生み出した2次元の世界が3次元になるわくわく感、多くの人が自分の作品に関わって動いてくれる喜びをも実感できるからです。
もっといえば、映画制作の過程を垣間見られるチャンスだし、なんなら撮影中の現場にお邪魔して「原作者の◯◯先生です!」なんて俳優さんたちに紹介してもらえちゃうし、新しい経験がいっぱいできます。そして映画で知名度が上がれば単行本がさらに売れるというメリットも大きい。

まあでも、そういうメリットを一生懸命数えて、なんとか自分の気持ちを冷静に保とうとしている原作者も中にはいるだろうな~と思います。

そして私がもし映画を作る側の人間だったらどんな気持ちだろうな、とも考えてしまうわけです。
俳優としての目標、監督や脚本家にとっての目標が「少女マンガの実写映画化にたずさわること」って人は、多分いないだろうな・・・と。

誤解を恐れずにいうならば、若手俳優や若手スタッフの経験の場だったり、低予算で確実にペイしたいという制作会社の裏事情だったり、そういうものがどうしても透けて見える中でどこまで本気で「良い作品づくり」をしてもらえるのかと、私がもし原作者なら本当に祈るような気持ちになるだろうと思います。

ただ・・・ここで思い出してしまいしました。三谷幸喜作品「ラヂオの時間」。同じ系統の作品として「ショウ・マスト・ゴーオン~幕をおろすな」という作品もありますが、三谷さんはこうした「原作者の葛藤と悲哀と、それでもあきらめるな!」というテーマがお好きみたいですね。

様々な事情と思惑がからみあって、自分の作品が・・・自分の思いが・・・どんどん違う方向にねじ曲げられていく・・・と原作者は思っているけれど、でも本当にそれは「ねじ曲げ」なのか?
観客や視聴者は、案外「原作者がねじ曲げられたと思っているもの」に感動していたりするんじゃないか・・・。
自分が熱い思いで「これしかない!」と描いた構図も背景も表情も台詞も、本当はすべて「これである必要がない」ものなのかもしれない・・・と。
クリエイターにとって、これは永遠のテーマなのかもしれませんね。

原作ファンと、重くない青春映画を見たいという層がいる限り、今後も「原作・少女マンガ」の映画は作られつづけていくでしょう。
原作者にとっても、制作側にとってもメリットはたくさんありますから。
ただ、私自身はもうそこに手放しの憧れはなくなったな~と、ちょっと寂しい気持ちになりました。

大人になるって、キラキラした宝石を「ああ、これも結局石なんだな」と改めて実感することなのかもしれません。

それでも欲しい!と思うのか・・・。
うん、くれるならもらいますよ!もちろんね(笑)

もしそんなことになったら「原作と映画は別物でいいと思っていますので、是非映画としての完成度を追求してください!楽しみです!」とかコメントしちゃおうかな(笑)。
そして素敵なお着物で現場を訪れちゃいます。うん、楽しみ(笑)。

いただいたサポートは、妊娠・出産後のサポート活動の資金に充てたいと思います!