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私が悩みに悩んできたこと(高校卒業後)

高校卒業して、父親の仕事の関係で、イギリスのロンドンに1年だけ住み、
英語の語学学校に通いました。
その学校には、ヨーロッパや南米、アジアから同世代以上の人たちが来ていました。
その中では、私は、何も知らない、何の意見も持っていない、人生を主体的に動かしていない子どもでした。
そんな自分に気づいてショックを受けつつも、ロンドンの空気は自由で、胸を張って大股で歩ける、自分のペースで動いていいということを体感しました。これまでの自分との違いを実感できたのはすごく大きな体験でした。

1年後、私は日本に戻って大学生活を1からスタートさせました。
恋愛をしたり、サークル活動を頑張ったり、仲間と語り合ったりしながら、少しずつ社会というものに触れていきました。
私は高校までずっと女子高だったので、男性と一緒に何かをやっていくことはすごく新鮮でした。それでも、そのときは、女性でも適材だったらやりたいことはできると思っていました。

そして就職活動、最初は情報の嵐に圧倒されました。就職情報誌という百科事典のような会社情報が送られてきて、その中から自分が行きたい会社を選ぶ・・・今はわかる、自分が一番苦手なことに、どう立ち向かっていいか、しばらく途方にくれて何も動けませんでした。
でも、これじゃダメだと思ったので、自分なりにどうやったら糸口を見つけられるか考えました。
何をやりたいか・・・と考えたら、秘書の仕事をやってみたい→でも、どこかの会社に入っても秘書の仕事につけなかったら終わってしまう→どこの会社でも必要なのは営業職じゃないか、じゃあ私は何だったら営業できそうか?→きらいなものは売れないなぁ・・・→アレンジができる、時間と空間だったら売れるんじゃないか?→じゃあホテルの営業ならできる!→じゃあホテル業界を目指そう→第1志望に内定、入社、そんな就活でした。

ホテルではフロント業務につきました。最初から、なんて向いているんだ、天職だと思いました。ホテルの開業のときのスタッフだったので、毎日怒涛のような日々でしたし、新入社員なのに、質問したくても先輩たちも必死すぎて質問もできない。自分でなんとかするしかない!!!そんな過酷な日々でしたが、そこはストレスにはならなかったようです。ただひたすら、自分のやるべきことをやって、みんなで良いホテルにしようって思って頑張れていた、今でも輝く思い出の日々です。

でも4年たったところで、会社の方向性と上司が変わって、すごい違和感を感じるようになりました。あれ?入社のときに聴いたのと、ホテルの方向性が変わってしまった・・・現場を大事にしてくれる上司が外されてしまった・・・おかしい・・・そうなったら私はそこに居続けることができませんでした。将来ここに我慢して居ても、今いる上司たちは全然輝いて見えない。あんな感じの将来はいやだな、そう思って、転職をすることにしました。

私は「忠犬ハチ公」のような性分があって(マヤ暦の「白い犬」の紋章がある)、だからこそ上司の影響がむちゃくちゃ大きいんです。信じていた上司が異動などで変わって、信じられないなぁと思う上司に変わったら、そこですべての気持ちが途切れてしまいます。
それはもう、はっきりと、くっきりと、すっぱりと・・・!
そして、その状態ではもう働き続けられない。だましだましが出来ません。
これは、少し人からは「我慢が足りない」とか「長続きしない」とか批判的に思われるところではあります。でも、私にとっては「なぜそれをするのか」の気持ちが基盤で、それが途切れたら、ほかのどんな条件もそれをカバーすることができません。

これが、今でも続く私の性分です。
そんな自分を「ダメな自分」と責めることはよくあったのですが、マヤ暦の紋章を知ってから、「しかたないか」と前向きにあきらめることができました。

長くなったので、いったんここで切ります。

前回の記事も、読んでいいねくださる方もいらして、本当に感激しました。

自分の振り返り作業として書かせていただいているので、読みづらさあるかと思いますが、すみません。

もしもこの記事を読んでくださる方がいらしたら、ありがとうございます、心から・・・!

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