見出し画像

私がこの人生悩みに悩んだこと(子ども時代)

このnoteのプロフィール読んで、書き始めようと思ったきっかけがそうだった⁈とびっくり。

亀の歩みを続けていますが、
しばらくアウトプットの習慣付け目的で書くことにしました。

あと、頭の整理。

私が誰よりも悩んできたことってなんだろうと思って。

常に頭が動いてるので、基本何にでも悩みやすいんだけど…

似たような方もいると思うので、
アナタはそんな感じだったのね、と見てもらえるかもしれない。

小学生の頃は、
割と思ったまま行動してた気がする。
先生に面と向かって、間違ってると思います!と言ったり、
いろんな係に手をあげて立候補したり、
怒ってみたり、
あまり、周りを考えずに行動してた。
けど、父が後輩や部下を家に呼ぶ人で、そのときは、親にとって自慢の娘に見えるようふるまってたなぁ。

今思うと、まぁまぁエネルギーが高くて、割と爆発させながら生きてたか。

中学生になると、徐々に社会性が気になって。
割と自分が変わってることを自覚して、ヤベ…ってなったのもこの辺りかな。
演劇部で人前で舞台に立ったり、
宝塚歌劇を好きになってダンスを習ったり、
中高と、そうやってエネルギーを発散させてバランスを取っていたのかもしれない。

そして進路。
なんとかしてオリジナリティを出そうとした気がする。
皆んなと一緒という流され方がイヤだったのかも!
兄弟校推薦枠がしっかりある学校でそこに行くのが妥当なのに、それでいいのか、自分!!みたいな迷い方をしたのを覚えてます。
と同時に、迷う中で明らかに場違いな場にいて、何であの人ここにいるの?という空気感がすごく気になったのを覚えてます。

けどまあ、それに対して大した根性があったわけではないから、じゃあ最大限にオリジナリティを発揮する道を切り拓こうとか、そんなこと全然しなかった。

で、結局、推薦枠があるところで最大限特徴があって、自分とも繋がりがあって、ワクワクしたところに行ったんですけどね。

ここまで振り返って思ったのは、皆んなと同じということには全く魅力を感じず、自分なりの結論を出すんだ!というのは10代からあったみたいですね。

逆の言い方をすると、皆んなと同じではダメだとも思っていた気がします。
突き抜けるすごさを持ってた訳ではないのに、
皆んなと同じではダメだ。もっとすごくなくては!
というのは、今でもよく出てきがちな思考グセです。

たぶんそれは、家庭の影響です。
祖父母の時代、どうやら住んでいた近所ではちょっとした名家という自負があったみたいなんです。(本当のところではどうか知りませんが)
だから、祖父母と話をしている中では、いつもちょっと見上げられる存在でなければいけない空気感を感じていました。

自分なりの結論を出すんだ!という自分自身のモチベーションだけだったらいいんですが、それと一緒にあった「人よりも優れていなければ」という強迫観念のバランスで、ずっと悩んできたかもしれないですね。

今日はとりあえずここまで。
次回は、高校を卒業してからを振り返ってみようかなと思います。

自分のメモのように書いていますが、もしも読んでくださった方がいらっしゃるなら、ありがとうございます・・・!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?