脱OL。7年の営業生活を振り返ってみて


外資系医療機器メーカーに新卒入社し、7年間営業をしていた。
整形外科領域の病院40施設を担当。

私の仕事は、”より良いオペ環境を整える”こと。
その為に、医者へは医療情報の提供やトレーニングの場を提供。足りない器械や古い器械は更新の提案を、看護師さんのサポートが必要であれば勉強会を、毎日あちこちの病院を回る日々だ。
給与は、基本給に加え、営業各々budgetが決められ達成率によってインセンティブが変わる仕組みだ。

今思うと、心に蓋をして生きていた。
成果を上げて成長しつづけることが美学だと思い込んでいた。
もちろん大事なこと。
でもこの先ずっと続けていたら危ないことになっていたと思う。

自分の成長の為に、もがいた日々。
幸い私は、社内・社外の職場環境に恵まれ、手厚いサポート体制だった為辞めたいと思うことはなかった。
とにかく成長して一人前の営業マンになる為に必死で仕事と向き合っていた。

入社当初、とある医者から、”営業マンっぽくないよね”って言われたことがある。
その言葉に半分納得する自分と、営業ってなんだろう。
と自問自答する日々だった。

朝早くから夜遅くまで働く日々が続いた。
案件で競合に取られてしまうこともあり成果も出ず、仕事の全貌が見えず自分が向かっている先が分からず苦労したことを覚えている。
私の性格上、結果より過程重視。
結果が出なくてもその時出来る全力を出していれば、次に繋げられるし切り替えられる。
過程にやり残しがあり案件に負けた時は悔しくて、歯痒くて、立ち直れない日々が続く。あの時こうして入れば、、と。
その都度気持ちが上下する。
そんな気持ちを経験したくなくて、何より自分の気持ちを守るために、負けた案件も時に勝った案件も全て振り返りをしていた。

そんな日々が経ち、入社5年目の案件成約をきっかけに、視界・視野が一気に広がった。
それまで指導頂いていた内容の点と点が繋がり線になる感覚があった。
この年、初めて年間のbudgetを達成した年でもあった。
自分の基盤が出来てからは更に面白くなり、案件も自分で作り、時には競合とゴリゴリに競い成約することも多々あった。
性格上、勝率を上げる為に抜かりなく仮説・情報収集をするタイプだ。
案件が成約されて新しい器械が導入され医者から感謝された時は、何よりも達成感を感じた。
でもその達成感に浸れるのは一瞬で、それと同時に、心が疲弊していることにある時気付かされた。

会社の締め直前には、自分のインセンティブの都合で代理店に先買いをお願いしたり、医者にも自分都合で購買を提案してしまう自分に疑問を抱いていた。
売れるようになってからは、売るのが面白くて売ることに集中して痛い目にあったこともある。
たどり着いた先が、”どんな人柄で、何を求めているのか”
これに答えることが全てだと実感した。
この心持ちでいると、自然と成約も増え、人間関係も良好になり、結果的にbudgetも達成するサイクルがわかった。
結果、入社6年目・7年目は全国営業の中で表彰される立ち位置になっていった。

営業とは人間性そのもの。
人間としての成長が、営業にも繋がる。
私の営業って?
誠実に、迅速に、素直に、対応することだと。
退職直前に答えが出た。

もう一つ分かったことがある。
成果が出るにつれて、給与も右肩上がりになっていった。
だからと言って心が満たされることはなかった。
自分にとって大切なことは、お世話になった大事な医者のお手伝いをしたい。その結果感謝をされて、その結果対価が出る。
この順番を忘れずに今後の生活でも活かして行きたい。

最後に、いざ会社を退職してみて思うことは、
当時利害関係のあった医者と、今ではプライベートでも連絡を取る間柄だ。
そういった人に出会えたことが何よりも財産だと感じる。

#脱営業 #脱OL

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