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リアリストにこそ精神世界やスピリチュアルが必要なワケ。

星の話とかスピリチュアル的な話って、とても専門的な話っぽくて、知らない人には、何の話をしてるんだろう?とチンプンカンプンだったり、専門用語は解読不能と思って脳がフリーズしてしまったりすると思いますw

心が弱い人のものでしょ?と思っていたり、女性ってそういうの好きだよね〜wwとか思ったりして「あー私には関係ない話ですね☆」と思ってスルーしまう人も多くいるかと思います。w


特にビジネスマインドな方とか、リアリストな方には、勝手に星に意味をこじつけて、ファンタジーな人たちだな〜と思っていたり、アレルギー的に嫌ってるひとまでいるかもしれません。ww


たしかに、星がどうとかって話はある意味、ファンタジーに聞こえたり、専門過ぎて意味不明と思われるかもしれません。

実際、専門用語ばかりで、複雑な構造なので、ベースの知識を知らないと意味を理解しにくい世界です。

でもこれって、実は、数学とか化学の分野と相似的なもので、
両方とも「目には見えないものを正確に理解する」目的のための【理解手段の分野】なのです。

数学って、水に溶けてる物の成分・その重さや量とか、目や体で測ることができない距離を測るために使ったり、見えないところにあるものを正確に想像し把握するために用いられます。

占星術もおなじで、目には見えないけれど、本人には生々しく有々と感じている、個性や性格などの性質などを想像し正しく理解するためのもの。
それは単に、物質であるか、精神であるか。の違いに過ぎないのです


エビデンス主義の領域外

このスピリチュアルとか心とか魂とか、精神分野の学問というのは、実はとても数学的で化学的に構造を持った世界観です。
すごく構造的な話であるにも関わらず、一般社会で表立って扱われていないのは、理解できない人には全く理解できなかったり、いわゆる外側から“エビデンスが取れない”という意見も多いです。


エビデンスって「証拠・根拠」であって、それは誰にとっても同じ結果で、誰でも再現ができる、他者目線での正解です。

でも精神の世界って、イチ個人的な主観世界の話。そもそも他者が物理的に証明することができない世界の話です。
いわばエビデンスが取れないのは、当たり前の話です。


他者が知覚できない主観的リアリティは、誰もが持っているはずなのに、
現代文明が築いてきた物質的・科学的な、共同幻想・共通概念の方だけをリアリティと認識していて、主観世界の中の共同幻想を共有できない人の話を「幻想(ウソ偽りのニュアンス)」で捉えてしまって、理解できないのです。

それは、自分視点(主観)というフィルターで世界を認識しているという、客観視点に気づけないためです。

私たちは、物質的な文明社会の限界を超えて、目に見えない世界を見えないまま理解する必要がある。精神の世界の共通概念を共有し始めないことには、真に互いを理解することができないフェーズにいるんですよね。


なぜ今目に見えているこの社会で、問題が多様化し肥大しそれを国をまとめる一人のリーダーがヒーロー的に解決できないのか?ぐるぐると各問題を回遊して進めているように見えてほとんど進まないのか?

そういう見える世界の問題が、なぜ起きるのかを精神的な世界で理解することができるのが、こういう精神世界の構造的理解から起こるのですよね。

必要なのは、バランスの取り方

最近、占星術界隈で騒がれている水瓶座の時代というのは、翻訳すると要するに、これからもっと本格的に情報社会になるよっていう話です。

物理的にも物流は今まで以上に網の目になり物流が増えたり、IT社会も加速していて、情報だって、もうものすごい数がやり取りされている。

地球環境でも、地球温暖化で極地の氷が溶け海水面が上昇すると言われていて、極地の氷には太古の地球に居た微生物やウィルスなどが冷凍保存されていて、海水面上昇とともにたくさん流れ出し、自然富栄養化となるかも知れなかったり。

これはフラクタル的にも、物質も精神も環境も同じことが起こっていると認識することもできます。
(フラクタル:場所やサイズが違っても同じ構造であること)


つまり、物質的にも、思考的にも、精神的にも、『風=情報』に溢れ、価値観が『多様化』するよということ。

情報社会とか多様化とか、そんなことはもうずっと言われてることなので、何を今更というフレーズなのですが、そこではなく、それが精神世界的にも本格的に起こってくるということは、このままいくと自然に分断していくのです。

必要なのは、起きていることを理解し、バランスを取ることです。

人間社会の物事は、人間がどう感じどのようにしたいか?という感情や本能的なところから起こり変化していくもの。

発端を理解せずして、問題を理解することも、社会を理解することもできません。
ただ翻弄されるしか無くなってしまうのです。

何が自分にとっての幸せなのか?はもちろん、他者の幸せを考えようと思っても、自分の価値観の外側にあるものだから、とてもわかりにくく、今までよりもさらにそうなってくるということ。

だからこそ、長年研究されてきた精神世界の英知を学び、私たちの精神構造を知り、自分や社会のバランスを取る知恵を持つ必要があるのです。


自然界と共存していくサステナビリティは、自然環境や社会問題だけでなく、自分たちの中にある「精神という自然」との付き合い方でもあるのです。

精神が未熟なままでは、主観視点のフィルターから出ることができず、いつまでたっても自分視点の中で話をし続けます。
自己信頼が出来なかったりすると、他者信頼も揺らいでしまい、まともに話をすることすらできなかったりします。

人は自分の主観フィルターの外に出ることはできません。
目には見えない、外側の世界観を正確に見る、ピントの合った客観視点を得るために、こういう占星学の話やスピリチュアル的な話の構造的理解を深める必要があるのです。

実は、リアリストの人たちは、リアリティある主観世界を見失っていることに、気づいていただけたらいいなと思います。


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