八代目組長、柳かなでと申します!

#1話

@柳組本邸
「親父…」
柳組若頭、柳龍平は弱々しく呟いた。七代目組長の柳昇龍が床に伏して今日で2ヶ月目になる。医者からは保ってあと4ヶ月くらいであろうと言われていた。しかし目の前のいる昇龍はもう2週間以上食事を摂っておらず、言葉を発することなく、腕には栄養剤と水分を入れる点滴の針が刺さり、鼻と口には酸素マスクが付けられている。昇龍は92歳になる。昇龍は、92歳になるまでは特に大きな病気もせず、心身共に健康に歳を重ねてくれた。組員達は昇龍によって確実に守られ、関東一の組として導かれてきた。しかし4ヶ月前に末期癌と診断され、高齢のため病状の進み具合は遅いかと思われたが、ここ1ヶ月程で一気に具合が悪くなった。龍平は、昇龍の頬がこけ、落ち込んだ瞼の窪みをじっと見つめた。もし親父が亡くなったら、若頭であるこの俺が組を引っ張っていくことになる。昇龍の背中を見て育った龍平にとって、どれだけ昇龍が組員達の人望が厚かったを恐ろしいほど分かっている。それ程のレベルの人望が自分にも在るか、それは龍平には自信がなかった。若頭である俺に次の頭を任せ、兄弟達はついてきてくれるだろうか、そう信じたい。だが、本当のところは、そうは思えなかった。
ヤクザにとって権力抗争は付きものだ。昇龍は完璧な統率力とカリスマ性でこの組の梶を長年とってきた。年老いてからもそのカリスマ性は衰えることは無かった。積極的に表舞台に立ち、この裏社会の頂点に立った。昇龍の築き上げてきたこの地位を狙う者はこの組の幹部達の中にいるのではないか。例え昇龍の実の息子である龍平が長年若頭として、昇龍を支え、ナンバー2の座を不動のものとしてきていたとしても、血の気の多い、野心に満ち溢れた幹部達だ。頭が変わるタイミングで内部抗争を引き起こしたとしても不思議ではないだろう。組員達は皆、昇龍だからこそついてきたのだ。
龍平は昇龍の身体に生命維持を与えている点滴のパックがもうすぐ無くなりそうなのに気付き、医者と看護師を呼んで点滴のパックを取り替えるのを見届けてから、そっと部屋を出た。

@二丁目アルトハイツ
宮下は郡司のHopeがもうすでに空箱になっているのに気付いた。
「…郡司さん、煙草、買いにいきましょうか?」郡司に尋ねたが、返答は無かった。郡司の表情からは、感情が読み取れない。宮下はただ黙って俯いているしかなかった。宮下は考えた。組長が床に伏してからもう2ヶ月…組幹部達の動きが水面下で日に日に慌ただしくなっているのを下っ端の自分でも感じる。組内で権力争いがはじまるのだろうか…宮下はブルっと震えた。宮下が震えるには無論理由がある。実は柳組には組を大きく揺るがす過去があった。
それは龍平の息子、周だ。周は非常に大人しい子供だった。幼い頃から本ばかり読んでいた。組員が、坊ちゃん何を読まれているのですか、などとたまに話しかけても一瞥するだけで返答は無かった。組の者は皆、周は組には関与したくないのだろうと解釈していた。実際周は、黙々と勉強し、友達と遊ぶということもせず、アメリカの有名大学の理学部を卒業、大学院へと進み、その後日本の医学部へと進学した。周が医学部を卒業したその年、坂田浩二という柳組No.3の幹部が変死体で発見されるという事件が起きた。坂田浩二の事件を発端として毎週火曜日に柳組幹部の人間が一人ずつ殺されていった。気が付いたら10人いた幹部らは全員殺され、組長、若頭だけになっていた。柳組は血眼になって犯人を探した。ある朝のことだった。組長の妻、姉御前が公園のベンチにて変死体で発見された。姉御前の綺麗な額には紙が貼られていた。
「粛清」
その日から周の姿を見た者はいない。
郡司が突如立ち上がった。
「行くぞ、宮下」
物思いに耽っていた宮下は驚き慌てて立ち上がった。

@丸山ビル
タクシードライバーの園田は優良ベテランドライバーだ。園田は43歳からタクシー運転手へと転身した。タクシーの会社の中では小さな会社だが、社長がとても情に厚く、人柄が素晴らしい。園田は社長には恩義を受けた過去がある。園田は今、この仕事に誇りを持って取り組んでいる。今日の予約状況は、3件だ。身だしなみを整えた園田は運転席に座った。ゆっくりとハンドルを回し、目的地の高級タワーマンションへと向かった。
約束の20分前に迎車地のタワーマンションに到着した園田は、眼鏡を拭いて待っていた。最上階は何億するのだろうと園田は思った。入口にはドアマンが立っている。園田の会社用の携帯が鳴った。園田は急いで眼鏡をかけ、電話に出た。コールセンターからだった。
「お客様が迎車地を変更です」
園田は急いでナビを見た。
「1時間後に葛飾区3丁目に在る丸山ビルの前で」
ここから30分も掛かるじゃないか、次の仕事に支障が無いといいが。園田は直ぐにナビを確認しながら車を発車させた。

古ぼけた丸山ビルの4階にあるこじんまりとした埃っぽいその部屋には、40代くらいの女性だろうか…目鼻立ちの整った美しい女が目に涙を浮かべ、右手に紙切れを握りしめていた。その対面には濃いグレーのスーツ姿の男が浅くソファーに腰掛け、テーブルの上の乱雑に並べられたたくさんの書類を整理していた。
「…ご納得いただけたということでよろしいでしょうか?」
男は自分と目を合わせようとしない美しい女性の顔をじっと見つめた。女は顔を左に向け、涙を浮かべたまま何も反応を示さなかった。
部屋の中にしばしの沈黙が流れたあと、男はもう一度女に話しかけた。
「…ご署名していただけますか?」
女は黙って一度深く息を吸い、そして深く吐きだすと男の顔を見ず、テーブルの上に置かれたボールペンを手に取り、一枚の書類に名前を書きこんだ。
「ありがとうございます」
スーツ姿の男は、女の名前が書き込まれた書類を丁寧に取り上げ、横に置いてあったジュラルミンケースを女の前に差し出した。
「重くないですよ、半分以上は小切手ですから」
女はまだ男の顔を見ようとしなかった。
男は女の涙をたたえた美しい横顔をじっと見つめた。
「…先ほどお渡しした私の名刺、もう一枚お渡ししておきますね」
男は先ほどの名刺とは文字の異なる名刺をテーブルの上に置いた。男は立ち上がり、深々と礼をすると足早にその部屋を出て行った。

園田が丸山ビルに到着したのは、午前11時45分だった。飲食店街に埋もれたそのビルはややもすれば見過ごしてしまいそうなくらい古ぼけた小さなビルだった。車を端に寄せ、時間があったので車の外に出て、園田は丸山ビルを背にし、加熱式のタバコIQOSを取り出した。
その時背中に何かひんやりとした硬い物が触れるのを感じた。
「振り返るな」
低い男の声と背中に感じる硬い物体が園田の体を硬直させた。
「…今から日付けが変わる時間まで首都高を走り続けろ」
男は続けた。
「指示に従わなかった場合は最悪の結果が待っていると思え」
男の声は消え、その存在も感じなくなった。
園田は頭をフル回転させ、しばらく時間を置いたあと、ゆっくりと一歩ずつ車から離れ、車から十分距離をとり、急いで制服のポケットに入っていた自身のスマホを取り出し緊急のコールを鳴らした。
その瞬間、大きな爆音と煙とともに車と園田は吹っ飛んだ。

萎びた飲食店が立ち並ぶその通りで大きな爆発音が聞こえたのは、午前11時40分頃だった。そろそろお昼時の客が入り始めるところであり、宮下と郡司も創業50年の馴染みのラーメン屋で醤油ラーメンを店主の爺さんに注文したところだった。この店から程近くと思われる爆発音と共に出入り口の薄いガラスが激しい音を立てて飛び散った。宮下と郡司は二人同時に立ち上がり、叫んだ。
「動くな爺さん!伏せてろ!」
そして同時に店の外へ駆け出した。二人は目を見開いた。
「丸山…ビル、、か?」
郡司は呟いた。丸山ビルの前に車があり、それが轟々と火柱を上げ、今にも火の手が迫りそうな勢いだった。郡司は宮下よりも早く頭が反応した。
「宮下、直ぐに組へ緊急コールをしろ、組長いや、若頭に大至急だっ」
郡司は宮下にそう告げると、宮下を置いて丸山ビルへ走った。…これは、この車は…、炎の中燃えている車に郡司は見覚えがあった。一人の男の名がすぐさま浮かんだ。園田さん…。
見渡すと、激しい爆発でちぎれたのであろう、道路に人間の左腕が転がっていた。郡司の脳裏に周の顔が一瞬よぎった。

@柳組別邸
「…園田、ですね」
郡司の抑揚を抑えた声が響いた。
本邸には若頭の柳龍平、幹部のNo.1柳元春、No.2柳宗佑、No.3美上、No.4の佐田、そしてNo.5の郡司が揃っていた。郡司は続けた。
「丸山ビル、火の手からは逃れることが出来ましたが、何にせよ車と園田がビルの真ん前に在ったんで、サツが入りました。…ただ、知り合いのサツに聞いたところ、おかしいんですよ。金やブツやヤクが隠してあった2階、3階、5階は部屋に何も残されていないんです」
郡司は目の前に置かれた缶コーヒーをひと口飲み、ポケットから煙草を取り出し、火を付けた。
「…すっからかん、ですよ…、全て盗られちまってる。…昔から一握りの幹部しか知らないはずなんですけどね、、あのビルが組の金庫だってことを」
煙草の煙を静かに細く吐いた。郡司は顔を傾け首を回しながら、
「まぁあと、何故園田がそこにいたかってことですよね…、あの人がこの世界から足を洗ってからもう10年以上は経ちますかね…」
郡司は脚を組み直し、
「まるで幹部殺しの時みたいじゃないですか、園田さんは…」
そしてまだ二度しか咥えていない煙草を灰皿へ押し付けた。
「たまたま時の運良く生き残った幹部でしたからね」
唇の右端を少し上げ、郡司はかすかに笑った。

@北高
「かなでーーー」
振り返ると咲希と和紗がなぎなたを持って渡り廊下を走って来るのが見えた。二人は同じ部活の仲間であり、かなでの親友だ。もう暦の上では秋だがまだまだ夏の日差しのようで暑い。二人は半袖シャツの制服のリボンを緩めた姿でかなでに駆け寄った。
「なんですぐ帰っちゃうのさー」
咲希が不満そうな顔をした。かなでは和紗とは同じクラスだが、咲希とは同じクラスではない。高校に入り、部活を通して仲良くなった。咲希はとても目立つ。キリッとした美人で背が高くスラリとしていて、一見するとモデルのようだ。近づき難く思われがちだが、話し掛けると非常にフレンドリーでさばさばした性格の良い友達だ。
「今日、アルバイトのシフト入ってたっけ?」
かなでを真ん中にして二人が並んだ。
「あー、さっきスマホ見たらヘルプで来れる?ってDM入ってた」
かなではスマホを触りながら答えた。
「バイト行くの?」
和紗がハイトーンの可愛らしい声でで尋ねた。
「そのつもり」
かなでが頷くと、せっかくバタスに寄って恋バナ語ろうと思ってたのにー、と咲希はかなでの左肩に、えいやっと自分の肩をぶつけた。かなでと和紗は笑いながら、どーせ大和のことだけでしょと冷やかし、咲希の体にお返しとばかりにかなでは自分の体をぶつけ返した。
「じゃ、私急ぐから!」
かなでは二人に手を振り、校門の近くでもう一度振り返って二人に大きく手を振ると、急いでバイト先に向かった。

和紗とかなでは、は小学生の頃からの幼馴染だ。和紗は、ハキハキして元気が良く物怖じしない性格のかなでや咲希と違って、大人しくおっとりした性格だ。どちらかというと休み時間は一人で静かに本を読んで過ごしたいと思うような子供だった。かなでと仲良くなったきっかけは、下校途中に危険な男から和紗を助けてくれたことだった。その男は30代後半くらいの男で最初、和紗に道を聞いてきた。和紗が道を教えると男は礼を言い、お礼に美味しいケーキ屋さん知ってるからケーキを一緒に食べに行こうと言った。和紗は両親から知らない人には絶対について行かないようにとしっかりと教えられていた為、直ぐに逃げようとした。しかしその男は和紗の腕を素早く捕まえ、道路脇に停めてあった黒いワンボックスカーに乗せようとした。その時かなでが和紗が危険な目に遭っているのを見つけた。かなでは瞬時に大音量の防犯ブザーのピンを抜き、男に向かって全速力で走り出し、そのまま持っていた薙刀で勢いよく男の喉を突いた。喉を突かれた男は、ぐぇっという声を出し顔をしかめ、思わず和紗の腕を離した。かなではすかさず薙刀を胴打ちし、男が後退りした瞬間、カバンに入っている唐辛子成分入りの催涙スプレーを取り出し男に噴射した。男はのたうちまわった。防犯ブザーを聞きつけた住人たちがすぐに駆け寄り、男を取り押さえ、警察に連絡し男を引き渡した。和紗は、両親が迎えに来るまで警察によって保護されていた。女性警察官が温かいお茶を出しても、一切口を付けなかった。和紗の体はずっと小刻みにガクガクと震えていた。かなでは、そんな和紗の手を力強く握り締め続けた。かなでは一言も喋らなかったが、かなでの手が温かく優しく力強い温もりで溢れているのを和紗は感じた。和紗は両親が迎えに来た時わんわん泣いた。両親も涙ぐんでいた。和紗をしっかりと二人が抱き締め、良かった、ありがとう、とかなでに涙ながらに礼を言った。
帰り際に和紗はこう言った。
「私もそれやりたい」
かなではにっこり笑って、
「薙刀って言うんだよ」
と答えた。
「面白いよ、和紗ちゃん。一緒にお稽古に通おう」
かなでは和紗の両手を優しく包み込んだ。

@ニコニコ弁当
「お疲れ様でしたー」
かなでは休憩室兼更衣室で黒いサテンのシュシュで束ねてあったロングヘアの髪を振りほどいた。
「お疲れ様ー、かなでちゃん」
同僚の山野はペットボトルの緑茶を一気に半分飲み干したところだった。時刻は22時45分を回っている。
「今日は22時ギリギリに注文してきたお客さんがいたから、後片付けも遅くなっちゃったね」
山野はニコニコ弁当のエプロンを外しながら、声を掛けた。かなでもエプロンを外し、制服に着替えながら、ですよねーと相槌を打った。かなではバイト先のニコニコ弁当に土日を含め週に4回出勤する。土日は11時から1時間休憩を挟んで8時間働く。学校と部活がある日は18時から店を閉める22時30分頃までだ。時給は1,030円。仕事内容は、注文を取ること、弁当を渡す、レジでの会計。調理もやる。22時に店を閉めて、後片付け、清掃、ゴミ出し、明日の食材や容器の補充など最終チェックをする。弁当屋の良いところは、なんと言ってもお弁当が安く手に入ることだ。6畳一間のボロいアパートで一人暮らしをしているかなでにとっては食費が安くあがるのは大変有難い。食材や調味料など重い荷も運ぶが、体を鍛えているかなでにはトレーニングの一貫だ。かなではさっさと帰り支度を整えた。でないと明日の朝の新聞配達のアルバイトに支障が出てしまう。リュックを背負い、今日の夕食のお弁当が入ったレジ袋を持ち、山野に向かってお先に失礼しまーす!と声を掛け、急いで家路についた。

@柳組本邸
午後11時を過ぎたところだった。昇龍の部屋に置いてあるバイタル測定器が異常音を知らせた。隣の部屋で寝泊まりしているお抱えの医者と看護師がバタバタと動き出した。バイタルサインが異常を感知した知らせを直ぐに受け取った龍平は、本邸の東南に位置する昇龍の部屋に急いで向かった。龍平は、昇龍が呼吸、体温、血圧、脈拍、4つの項目全てが危険値を示していることを知った。酸素吸入をしているのにも拘らず、サチュレーション、酸素濃度も56%の危険な値だ。龍平は、必ず気付くようにと幹部ら全員にグループ通話、メッセージの2つの方法で連絡を取った。それでも幹部ら全員が集まったのは11時40分だった。
今、昇龍の周りをぐるりと幹部達が囲んでいる。誰も言葉は発せず、バイタル測定器の機械音だけが聞こえていた。皆、厳しい顔をしていた。昇龍の顔を見てはバイタル測定器を交互に見るという時間が過ぎた。龍平は昇龍の顔のよく見える位置、昇龍の頭の左横にピタリとついていた。龍平は心の中で一心に祈った。親父、1分1秒でもいいから長く生きてくれ、組長としてではなく、俺の父親としてだ。俺はまだまだ親父に息子としての親孝行が出来てねぇ、頼む、親父…逝かないでくれ。
龍平の必死の願いも虚しく、昇龍のバイタルサインは更に低下し、とうとうバイタル測定器が波打つのをやめた。午前12時だった。医者は、心拍拍動停止、呼吸停止を確認し、ペンライトを取り出し瞳孔に光を当て対光反射が起きないこと確認した。そして時計を見て死亡時刻を確認し、龍平、親族、幹部たちに
「お亡くなりになりました」
と告げた。

線香は途切れることなくあげられ、昇龍の部屋は静けさに包まれていた。龍平は医者から死亡診断書を受け取り、従兄弟の宗佑が動くという申し出を受け入れ、死亡届と火葬許可申請書を提出し、火葬許可証を交付してもらった。訃報の連絡はしなかった。生前昇龍が身内だけで葬儀を執り行うようにと告げられていたからだ。葬儀屋によると火葬場が空くのは3日後らしい。3日の間、組員たちは入れ替わり立ち替わり故人の永眠する姿の前に現れ、涙を浮かべながら線香をあげ、手を合わせた。納棺の前に湯灌を行った。代表して龍平と幹部らが故人の身を清めることとなった。龍平は、丁寧に丁寧に昇龍の身体を拭いた。哀しみと喪失感に溢れているはずなのに、不思議と涙は一滴も出なかった。

滞りなく昇龍の葬儀が済み、初七日が過ぎ、四十九日が過ぎた。宮下は初七日が過ぎたあたりから、幹部らがそわそわとし始めているのに気付いた。ただ誰も表立っては動かなかったようだ。やはり死者への弔い、忠義立ての思いからであろう。
最初に動いたのは柳組No.2の柳宗佑だった。宗佑は龍平の従兄弟であり、4つ年上の行動力のある武道派の男である。
「なぁ、龍平」
ウイスキーの入ったグラスを傾けながら、宗佑は龍平に話し掛けた。
「次に組を引っ張っていくヤツは誰なんだろうな」
龍平は何も言わなかった。
「…まぁ、お前は親父さんの唯一人の実子だしな、今まで若頭としてよく頑張ってくれたよ、だがな…」
宗佑はグラスをガラス製のテーブルに置き、龍平に真正面から向き合った。
「俺はお前には組長には有った決断力ってもんがないように思えるんだよな。…俺の考えだが、お前は今まで通り組長のサポート役として若頭でいいんじゃねぇか?」
宗佑はイタリア製のソファーから立ち上がり、ま、よく考えることだな、と言い残し部屋を出た。予想をしていたことだが、龍平は少なからずショックを受けていた。実際に言われるとなかなか堪えるもんだな、と思った。宗佑だけじゃないだろう、他の幹部達も何かしらの方法で頭に名乗り始めるに違いない。血が流れるような内部抗争だけは避けたいもんだ、龍平はグラスに残っていたウイスキーを一気に飲み干した。

四十九日から2日後のことだった。雲ひとつ無い透き通る青空が美しく、誰もが空を見上げたくなるような朝だった。
柳組本邸に客人が二人、現れた。一人はライトグレーのスーツにブルーのネクタイ姿、もう一人はネイビーのスーツにグレーネクタイ、ライトグレーのスーツの男はスーツの襟に金バッジを付けていた。二人は町田弁護士事務所の弁護士町田と司法書士の金田と名乗った。ヤクザなので弁護士がいつ現れても不思議はない。龍平は恐らく組員の誰かが訴訟を起こされたのであろうと思い、舎弟に揉め事が起きた際に使用する客人の間に通せと命じた。
二人の男は客間に通され、お茶を出された。龍平が客間の扉を開けると、二人は立ち上がり、突然の来訪失礼致します、と頭を下げた。そして、まだお父上の四十九日もあけて間もないのに申し訳ございません、と弁護士の町田が謝った。龍平はお座り下さいと促した。龍平は深々と椅子に座り、弁護士と司法書士は浅く腰掛けた。
「この度は心よりお悔やみ申し上げます」
弁護士の町田がお悔やみの言葉を述べ、二人で再度頭を下げると、
「私共、柳龍平様から仰せ使われた遺言執行者でございます」
と、名刺を差し出した。
「遺言執行者?」
龍平は予想もしていなかった言葉に面食らった。
弁護士の町田は続けた。
「柳昇龍様からの遺言書を預かっております」
「遺言書!?」
思わず大きな声が出た。昇龍は癌がわかった時も、遺言書があるなんてことは一度も息子の龍平に言わなかった。まだ昇龍が話せるうちは、組のことも墓のことも葬儀のことも相談してきた。それが今になって遺言書!?母親は既にいないし、実息は俺一人しかいない。一体何の遺言だ、龍平は顎を触り、厳しい顔つきになった。
「どういった内容の遺言書でしょうか…何かの間違いでは」
と尋ねた。
弁護士の町田はアタッシュケースの鍵を開け、一枚の書類を取り出した。それでは読み上げます、と咳払いをした。

遺言書 柳昇龍は、次の通り遺言する。
第一条 遺言者は、下記の不動産、預貯金、有価証券等を含む、遺言者の全ての財産を、遺言者の実娘、柳かなで(平成19年7月25日生まれ)に相続させる。
(1)土地
所在…
地番…
地目…
地積…
所在…
地番…
地目…
地積…




(2)建物
所在…
家屋番号…
種類…
構造…
床面積…
所在…
家屋番号…
種類…
構造…
床面積…



(3)預貯金
…銀行 …支店 口座番号…
…銀行 …支店 口座番号…
…銀行 …支店 口座番号…
…銀行 …支店 口座番号…
(4)有価証券
株式会社…証券 …支店 口座番号…
内訳
①株式会社… 普通株式 …株
②…株式会社 優先配当株式 …株



第二条 遺言者は、この遺言の執行者として次の者を指定する。
千代田区遺言区遺言通り1ー2
町田弁護士事務所 弁護士 町田英一
         司法書士 金田智章
令和元年一月一日
港区赤坂1−2−3
柳昇龍  

龍平は全てを聞かぬうちに険しい表情で町田から遺言書を引ったくった。…この字、親父の字だ、この印影…親父が特別にしつらえた印鑑の印影に似ている。
柳かなで?実娘?どういう事だ、聞いたこともない…内縁の娘か?
龍平はガタっと立ち上がった。そうだ、戸籍謄本…、原戸籍謄本だ。
「お前ら、そこで待ってろ!一歩も部屋から出るな!」
龍平は荒々しく二人に叫ぶと、何かに追われるように部屋から出ていった。

@龍平自室
昇龍の書類は全て龍平の自室に置いてあった。木製のキャビネットから龍平は急いで書類を引き出した。該当する書類を手当たり次第探した。一枚一枚丁寧に見ている余裕は今の龍平には無かった。あった!沢山の書類の中から戸籍謄本と原戸籍謄本を見つけ出した。龍平は震える手で二つの謄本を読んだ。その瞬間、龍平の膝がガクンと折れた。そしてそのまま床にへたり込んだ。
謄本にはこう記載されていた。

本籍 山形県…
氏名 柳昇龍
生年月日 
父 柳昇
母 柳由紀子

戸籍に記載されている者 
名 龍子
生年月日 平成19年7月25日
父 柳昇龍
母 柳結衣
続柄 長女
身分事項 名の変更
名の変更日 令和5年7月25日
 
なんて馬鹿なんだ…俺は、龍平はがっくりと頭を垂れた。火葬されるまでの3日間、少しでも長く親父の傍に居たくて、宗佑に任せたのが間違いだった…いや、ちゃんと確認しなかった俺が一番悪い…。宗佑も俺も親父の実子は龍平自分だけだと信じ込んでいた。親父は身持ちがかたいと信じ込んでいた。殺された母だけをいつまでも愛していると思い込んでいた。しかもこの戸籍謄本には俺の名前も母の名前も無い。恐らく…、柳かなでが内縁の子ではなく、俺のほうが内縁の子なんだ。この戸籍謄本に俺や母の名が無いということは、親父が俺を認知をしなかったということだ。認知されていないということは…、
すなわち、法定相続人ですらないということだ。
遺言書にも記載されている通り…、
柳龍子、改名した名、柳かなでこそが、昇龍唯一の実子、…柳組の相続人だ。
 
いつの間にか両手で持っていた謄本はぐしゃぐしゃに握り締められていた。
柳かなで、どういう小娘か知らないが、必ず俺が追い詰めて組長の座も財産全ても取り戻してやる。俺がずっと親父を、組を支えてきたんだ。
龍平の表情には今まで見たこともないような怒りと悔しさが滲み出ていた。
 

 










































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