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トラップファミリーがアメリカにもたらしたもの

オーストリアの母国を離れて、安住の地をアメリカ大陸に移したトラップファミリー。
実は、トラップファミリーがアメリカ大陸に初めてもたらしたものがいくつもあります。

音楽で言えば、「リコーダー」。
アメリカでの演奏活動では、コーラスのほかにもリコーダーの重奏なども演目として取り入れていたトラップファミリー。実はこれが、アメリカ大陸で初めてのリコーダー演奏だったそうです。

もうひとつは「音楽のサマーキャンプ」。
これはトラップファミリーがもたらした、というよりも、企画発案そして実行したものです。

アメリカに渡ってからしばらくたって、故郷オーストリアと似たような環境の場所をトラップファミリーは見つけます。
そこで暮らすうちに、マリアの発案で、夏の間に音楽を愉しむキャンプを開催して、ロッジ経営を行うことにしました。
今ではポピュラーになっている音楽のサマーキャンプは、実はトラップファミリーが始めたことだったのです。

意外なところでは、「山岳スキー」の技術です。
日本の「サウンド・オブ・ミュージック」では、キャプテン・フォントラップのことを「トラップ大佐」と訳している本が多くあります。
ですが、フォントラップは海軍、しかも潜水艦の船長ですので、「トラップ艦長」と訳すのが正しいことになります。
今のオーストリアでは想像つきませんが、第一次世界大戦頃のオーストリアには海岸線があり、海軍が存在しました。トラップ艦長は世界で初めてドイツの潜水艦“Uボート”を沈めた人です。だからナチもスカウトに来ていたのでしょうね。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、子どもたちを呼ぶのに笛(呼子)を使っているシーンが、フォントラップの厳格さを表現するアイテムとして使われていますが、笛を使っていたのは事実、ですが、実際はかなり違います。
オーストリアのトラップ邸は、あまりにも広い敷地、そして部屋数の建物だった、人の声では聞こえる範囲に限りがありすぎました。なので、海軍で笛の使い方がうまいフォントラップは、子どもたち毎に違う笛の音を決めて、それで呼ぶことをしていました。

アメリカに移住して、いよいよアメリカも世界大戦に参戦する、となったときに、トラップファミリーの前妻の男の子二人はアメリカの陸軍に入隊しました。その入隊先で、トラップ兄弟は、オーストリアで培った“山岳スキー”の技術を教えたそうです。アメリカの山岳スキー隊の活躍は大戦でも目覚ましいものがあったそうです。

冬のオリンピックで、アルペン種目などで、オーストリアやイタリアに加えて、アメリカも強豪国なのは、実はオーストリア仕込みのトラップ兄弟のおかげ・・・と言ったら言い過ぎでしょうか?

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