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すべての人の心に花を

沖縄は「うたの島」だけあって、全国に知れ渡ったたくさんの沖縄出身の歌手がいます。

志村けんさんの「変なおじさん」の元歌の「ハイサイおじさん」を代表曲として持つ喜納昌吉さんもそのおひとり、ではないでしょうか?

音楽家(歌手、作詞家、作曲家)であり平和運動家、政治家でもある喜納昌吉さんの代表的な曲のもうひとつに「」があります。
この曲について、誕生秘話を聞いたことがあります。

じつは「花」は副題で、もともとのタイトルは「すべての人の心に花を」なのだそうです。

この「すべての人の心に花を」というフレーズ。
実は1964年東京五輪のアナウンサーの実況がもとになっているのだそうです。

1964年東京オリンピックの閉会式では、選手たちが各国入り乱れ、肩を組み、肩車をし、踊りを踊り、笑うものあり、泣くものあり、そして互いに祝福しあいながら入場行進を行いました。

国境や人種といった人類の垣根を越えた「人の流れ」。
各国のナショナルカラーを纏ったその人の流れはまるで色とりどりの「」のよう。
実況のアナウンサーの、「泣いています・・・笑っています」という言葉とともに流れるテレビの中継を喜納さんはじっと見ていたそうです。

その様子に感動して・・・という説がありますが。
本当のところはもっと複雑な感情なのだそうです。

沖縄県が日本に返還されたのは1972年です。
だから
1964年、沖縄の人々は「日本ではない」立場で、日本で開催されたオリンピックを観ていた、ということです。

戦後、復興し、国際的なイベントを開催したことで、国際社会の一員に返り咲いた・・・
そこには、沖縄の人々だけは取り残されたままだったのです。

この夏、開催に向けて、
復興だとか、
打ち勝っただとか、
さまざまなスローガンが言われています。

ですが。
沖縄の人々にとっては「初めての自国開催のオリンピック・パラリンピック」ということを口にしているコメントを、私は観ていないように思います。

“花として 花として 咲かせてあげたい”
“いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ”

1964年当時の沖縄の人々の置かれた状況を鑑みると、
「すべての人の心に花を」の歌詞から、違った意味が浮き上がってくるように、私は感じます。

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