パール判事をご存じですか?
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お客さまには大学で教鞭をとられている方も多くいらっしゃいます。
おかげさまで、その大学の生徒ではなくても、いろんなお話を聴くことができ、生涯学習のような会話をさせていただくことも多々、あります。
“パール判事”の存在を知ったのも、そんな先生との会話から。
パール判事とは、日本の戦争犯罪を裁いた極東国際軍事法廷、いわゆる東京裁判の11人の判事団として、インド代表として加わった人物です。
そして、判事の中でただ一人、「全員無罪」を主張した人物でもあります。
パール判事が「全員無罪」を主張したのは、流説でよく言われている、「日本の戦争行為はアジアの欧州列強の植民地支配を解放した」という理由からではありません。
戦争後に定められた国際法で、先の戦争行為を遡って判決するのは、「罪刑法定主義の原則に反する」という主張のため、です。
東京裁判では、東条英機元首相ら戦争指導に中心的にかかわった政治家や軍人らが「通例の戦争犯罪」だけでなく、「平和に対する罪」「人道に対する罪」に問われ、25人が死刑や禁固刑などの判決をうけました。
パール判事は、日本が戦争を開始した時点で、戦争は国際法上違法とされておらず、「平和に対する罪」「人道に対する罪」は「事後法」にあたり、罪刑法定主義の原則に反すると主張しました。
また、非戦闘員の虐殺や捕虜虐待などの「通例の戦争犯罪」については、被告の関与は証拠不十分としました。
そして、判事のなかでただ一人「全員無罪」を主張し、意見書を提出しました。これが「パール判決書」とよばれるものです。
パール判事は、日本の戦争行為そのものを正当化しているわけではありません。裁判の法的根拠を批判しています。
全員一致で速やかに戦争犯罪が決議するものと思っていた連合国の主要国判事は、パール判事の異議により、思わぬ頓挫を強いられます。
しかし、国際裁判ですから強権発動はできません。
実は、この審議に時間を要したことで、別の変化もありました。
審議に時間がかかることになったことで、オランダの判事が原子爆弾投下後の広島を訪れる時間ができました。そして惨状を実際に見ることで、オランダの判事の心中はかなり揺らぐことになりました。
結局のところ、映画「12人の怒れる男たち」のような結末になることはなく、25人の罪が確定したのは歴史の知るところです。
ただ、重要なのは、事後法で法制定前の事柄を正当化することが往々にしてまかり通ることがある、そのことに警鐘を鳴らした判事が居た、という事実です。
中学・高校の歴史では習わないことを学ぶことができるのは、本当にありがたいことです。
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