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第1回スプリングトライアルin川口1500m

2024年3月20日(春分の日)に私の地元川口の青木町公園陸上競技場で行われた、
「第1回スプリングトライアルin川口」の1500mに出場してきました。
余談ですが、24年度より青木公園で行われる公認記録会の数が4回から6回に増え、その増枠の1つがこの記録会です。市内なので、10分ほどで会場に着いてレースを走って、すぐ家に帰って休めてとても楽です。川口市陸協さんに感謝ですね。



レースに向けて

レース前の状態

2023年11月下旬に膝や腿に強い痛みが出るなど持病の慢性疼痛が悪化し、練習を大きく制限せざるをえず、、当然ながら走力も低下しました。痛みの状態は変わらず3月も疼痛が激痛 (jogでも両膝と腿が激痛になる)でしたが、陸上が生きがいなので、強い痛みに耐えながら、できる範囲・可能な範囲で練習をしていました。(*3月のまとめは別のnoteで記します。)
全くタータンで走っていなかったので、レース1週間前にはトラックで7年半ぶりにスパイクを履いて実践感覚をつけました。とはいえ、12月~2月は月間50~60kmほどしか走れず、練習不足は明らかでした。そもそも、jogで激痛になるのに、スピード出力が高いトラックレースを走れるのか?完走できるのか?という不安の方が大きかったです。
また、レース2日前の月曜日の夜に、右ふくらはぎ内側に疼きを感じました。
これは今までなかった痛みで、怪我?シンスプリント?ととても不安になり、前日の火曜日にも確認がてら軽めにjogをしましたが、痛みは酷くなるばかりで、正直DNSも頭をよぎりました。
しかし、川口でのレースは川口マラソン2022・2023の2回と昨年10月1日の川口市民体育祭1500m、10月8日の川口長距離記録会3000mの計4回をDNSし続けており、今回もDNSしたらもう二度と地元レースを走れないのではないかとの恐怖から、強行出場することにしました。


目標 

疼痛の強さや、1週間前のトラックでの練習内容を鑑みて、目標は完走&タイムはあわよくば5'15"~5'30"としました。繰り返しになりますが、安静にしていても身体に疼痛があり、運動すると激痛になることがほとんどなので、スタートラインに立てるのか・レースをまともに走れるのか不安でした。
ただ、アドレナリンで痛みが弱まるor感じなければ、全力に近い出力を出して走りたいとも考えていました。ラップを82-84-86-62くらいで5分15秒を切れたらいいなと妄想していました。レース展開をいろいろと考えるのは楽しいですよね(完走できるのかも怪しいくらいの痛みを抱えているのにおかしいですよね。(笑))

レース当日

結果

5'23"89:LAP(80-92-90-60
1周目が、おそらく現状の自分の800mのレースペースとほぼ同じくらいで突っ込んでしまい、2周目以降大きく失速してしまいました。ラスト300mを60秒で回れるなら2,3周目をもう少し粘りたかったですね。完全に自分の走力を見誤っており、失敗レースとなりました。完走はできましたが、5分20秒は切りたかったですね。

5分23秒89(最終組で2着)

三浦直哉@練習&闘病日誌@痛みで陸上長期離脱中 on X: "川口スプリングトライアル1500m 5'23"89(80-92-90-60) 11月の慢性疼痛悪化後、初レース。 アドレナリンで疼痛はほぼ飛んだ。 1周目が速すぎて失速。Cさんにラスト300mで捲られた。 タイムに満足はしてないが、疼痛の状態がかなり悪い中、やっと地元でレースを走れてホッとした #1500m #ミウランレース https://t.co/ltfNItO6J3" / 

ウォーミングアップ

自分の種目は朝イチだったので早めに会場に着き、受け付けを済ませました。
競技が始まる前にトラックを1周ゆっくりと走って感触を確かめた後、公園内のジョギングコースを5'15"くらいで、3km走りました。今の私にとって、遅すぎず速すぎないのペースです。このアップジョグの時点で、11月からの膝の疼痛と直前の18日夜に発生した右ふくらはぎ内側の疼きがかなり強く、完走できるのか、出力を出して走れるのかと不安になりました。
その後は空いているスペースで20分ほどかけて体操と動的ストレッチ、ドリルと50mほど流しを行いました。
そして、トイレなどを済ませた後ユニフォームに着替え、召集所に向かいました。余談ですが、市内在住の父が応援に来てくれていたので心強かったです。(この年で親がどうこう言っていて恥ずかしい限りです。)

関係ないですが、ジョギングコースで逆走したり、ドリルを行っているチームがいました。大会の注意事項にも禁止と記載されてますし、ルールは守ってほしいですね。

レースシューズ

レース前日まではマラソンシューズ(MIZUNOのウェーブデュエル3)で走ろうと考えていましたが、トラックレースということでやはり気持ちが高まり、夜中に変更を決意(笑)。所持しているスパイクの中でピンの数が4本と少なく、一番「シューズに近い感覚のスパイク」だと感じたアシックスの「コスモレーサーLD3」を使用することに決めました。

レース初使用のコスモレーサーLD3


レース展開

号砲が鳴ると同時に飛び出す。私は反応が遅れてやや出遅れ後ろからスタート。元気いっぱいな中学生たちがダッシュして進んでいく。組の人数が多く、人の壁ができ交錯して、転倒やスパイクで踏まれる危険性を感じたため50m辺りから後方から前の方に一気に位置取りを変えた。実際に後ろで転倒も発生した模様。スパイクの靴紐が脱げたまま走ってる子も居た。
100m辺りで時計を見て19秒くらいだったため、スタート直後にしては遅いかな..と判断して、先頭集団の最後尾につこうとしたが、追いつけず1人分位の間隔を空けて走行。300m通過のフィニッシュタイマーが59くらいだったのを目視で確認し、やばい、速すぎたな..と焦る。案の定、1周目が終わらないうちから息が急激に上がり始めた。2周目もその流れのまま前についていたが、600m辺りで先頭から離される。気持ちが切れそうになり、700mのタイマーで3'50"~55"/kmくらいまでくらいまでペースダウンしている事を自覚したが、1周目の疲れのせいでペースを戻すことは難しいと判断し、この流れのまま走って、ラスト1周を頑張ろうと気持ちを切り替える。(ここで粘りたかった…)
3周目もそのペースのまま、巡行。気持ちが切れそうになるも、先頭から後退してきた子どもたちを2人ほど抜く。
1000m地点で時計を見たが、スプリットタイムの画面の枠が小さく、目視で確認できなかった(笑)
鐘が鳴り、ラスト1周。自分も周りも疲れていた。役員の先生らが中高生に檄を飛ばす中、それを自分の力に変えて中学生を少しずつ抜いて、残り300m手前でリズムを切り替えてスパートしたが、その瞬間、一気に上がってきたCさんに並ばれ、その後ろにつこうとするも短距離選手らしいスピードとキレ味になすすべなく突き放される。ただ、他の中高生を一人また一人と抜いて、残り150m地点で抜いて3番手に、最後の直線で高校生に真後ろに付かれながらも、2番手を走っていた中学生をラスト50mで抜いて2番に。タイマーを眺めつつ力を振り絞りゴールを駆け抜けたが、5分20秒はゆうに超えており、少しがっかりする。一方、強行出場とはいえやっと地元を完走できた喜びもあった。
記録会なので着順を意識しても意味がないが、後半順位を上げれたのは楽しく、陸上の醍醐味を感じた。
ゴール後すぐ安全ピンと腰ゼッケンを外す作業が地味に辛かった。


組1着のCさんと。神奈川で競技をされているそうです

ゴール後、組1着で、Xでお話しさせていただいていた、短距離が専門で中距離も挑戦されて競技をされているCさんと陸上のお話を色々させて頂きました!(自分は腐っても長距離選手なのに、今回負けてしまいました(笑))私より2周りほど年上の方ですが、社会人でも自己ベストを更新されているそうです。
最近の陸上界隈の雑談やシューズ事情、お互いのスパイクを試し履きしたりもさせて頂き、とても楽しかったです。
本当にありがとうございました。

後悔と収穫

レース後、ダウンをしようと走り出しましたが、先述した18日のの夜に発生した右ふくらはぎの内側の疼きが耐えがたい激痛となり、走るどころではなく途中で辞めました。また、レース中はアドレナリンでほぼ感じなかった膝の疼痛もぶり返しました。
ふくらはぎのあまりの痛みの強さに、荷物を持って車に戻るのも大変でこの時点でレースに出場した事を後悔しました。怪我なのか持病の疼痛の一種なのかは不明ですが、悪化させてしまったのは明白でした。
強行出場なので覚悟はしていましたが、予想以上に痛みが強くなり、トラックシーズンに向けて最悪の事態になってしまいました。
ただ、やっと地元のレースを走れたのは良かったです。
また、いくつか収穫もありました。
1つ目は、11月下旬以降練習をするとずっと激痛だった「膝や腿の痛み」が、おそらくアドレナリンのせいか、「レース中は痛みをほぼ感じなかった」ことです。
これなら、練習やアップでは激痛だとしても、今後もレースは走れるのではとの希望も浮かびました。
2つ目は、スパイクのコスモレーサーLD3が走りやすかったことです。スパイクでレースに出るのは高校以来で、事前の競技場練習ではピンの突き上げを強く感じ、3000mより長い距離では使えないかな..と思いましたが、いざレースで使ってみると、クッションと反発力があり脚が回りやすくグリップ力もありピンの癖も少なく、適切な例えではないかもしれないですがジョグシューズでいうノヴァブラスト3のように走りやすく、シューズのような感覚で走れました。ペースのコントロールもしやすかったです。2024年11月からは厚さの規定がさらに厳しくなり、公認トラックレースはほぼシューズでは出ることができなくなってしまいます。2023年は長距離(3000m・5000m)はソーティマジックRP6で出場していましたが、このスパイクはクッション性もありますし、自分レベルの競技力でも5000mでも最後まで足が持つかもしれないという期待が湧きました。
個人的には、脚が持つならやはりトラックはスパイクで走りたいです。テンションが上がりますし。ちなみに、学生時代は800mから5000mまですべてAsicsの「Dスパート」というスパイクをずっと使用していました。10年くらい前のモデルですが、種目問わず同世代の選手が多く着用していて、チームメイトとも被るくらいの着用率でしたね。



まとめと今後について

地元のレースをようやく完走できたので、記念に記録証も発行してもらいました。

公認記録証

目標は一応達成できたのでよかったです。ただ、1週間前の競技場練習内容から考えると、5分20は切りたかったです。1周目に突っ込んでしまったのは完全ペース感覚が鈍っていたせいで、いつになるか分かりませんが練習が再開できるようになったらペース感覚を磨こうと思います。
強行出場とはいえ2022年からDNS続きだった地元で、やっとレースをゴールできたことはよかったです。次はできるだけ万全に近い状態で出場したいですね。

今後についてですが、当初の予定では、翌々日(22日)にはjogを入れるつもりでしたが、18日夜発生のふくらはぎ痛みが予想以上に悪化してしまったので、完全にランオフして回復を期待し、24日の800mレースに出ようと考えていました。(*24日は結果DNS)
とにかく、ふくらはぎに発生した疼きの痛みが怪我か持病か不明なので、近日中に医者に診てもらうつもりです。
24年度のトラックシーズンに暗雲が立ち込めましたが、最悪、秋冬でも県内や東京都で記録会はあるようなので、休む時間ができたと前向きに考えたいです(私は陸上が生きがいなので、なかなか難しいですが)。

読んで頂き、ありがとうございました。



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