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おーいしって誰なんw

おーいしのこれまで歩んできた過去を自己紹介を兼ねて綴ります。

本  名:大石直樹(おおいしなおき)
生年月日:1985年6月5日
血  液  型:A型
出  身  地:愛媛県宇和島市蒋渕(こもぶち)

▼幼少期

小さな半島の一番先端の漁村に生まれる

こもぶち

何かにつけてすぐに泣く超泣き虫のいじめられっこ


▼小学校時代

全校児童約30名の田舎の小さな学校
6人の同級生(幼馴染)はどの学年よりも仲良しだ

上級生との複式学級になじめず不登校になった小学3年生

お笑いキャラへのキャラ変により覚醒した小学5年生

県の美術展の絵画部門で入学後6年連続入賞の快挙

初恋の幼馴染、卒業直前に突然の転校
以降、長い間ぽっかりと開いた心の穴

#あのころに戻りたい


▼中学・高校時代

暗黒の時代への突入 #消し去りたい過去

コミュニケーション放棄
誰とも話をしない
話しかけられても首を縦に振るか、横に振るか、傾げるかで済ませる

当然ながら友達なんてできない
変わり者で腫れ物扱いだ

成績も中の下、運動も大して得意ではない

「そんなんでは生きていけない。これからどうするんだ。」と
教師からも見限られる「絶望」っぷり

県高校文化祭の美術部門での優秀賞受賞は開校以来初の快挙

自分は「絵を描くこと以外クソ」だと悟り
デザイナーを目指すことを決意


▼専門学校時代

グラフィックデザインの学校へ

相変わらずまわりとの関係に壁を作りながらも
グラフィックデザインの面白さにのめり込む

本を読み漁り、一心不乱に描きまくる

そして絶望男子「東京」に夢を見る

卒業制作展 優秀賞


▼デザイン事務所時代

学校の推薦でデザイン協会会長のデザイン事務所に入社

入社後まもなくぶちあたるコミュニケーションという大きく分厚い壁

おまけに専門学校時代に学んだスキルは全て通用しない
全てにおいて無力。挫折する。

4か月後、涙ながら退職を直訴


▼お遍路修行

「今の状態ではどこへ行っても通用しない」
自身の絶望っぷりに向き合うべく
頭を丸め、白装束を身にまとい
真夏の遍路修行の旅に出る

ここで出逢った人・言葉・己の弱さへの気付きは今も心の支えとなる
地元の人が地元に対して秘めた「誇り」にふれ、生きがいを見出す

僕の出身地である宇和島市は日本一の真珠の産地
「真珠×デザイン=ジュエリー」
宝石の道を目指すことを決心する

『人皆直行 我一人横行』
道中の墓石屋のおじいさんから頂いた言葉だ
「これから皆の行く道へ戻っても先を行く奴らには追いつけん。
その列を横切りなさい。そしてその背中を追わせないと。」
今も羅針盤となっている言葉だ。
#おじいさん元気かなぁ

2006年10月 結願
#ここから絶望男子の浮上が始まる


▼玩具メーカーバイト時代

地元の玩具メーカーでアルバイトデザイナー
一から宝石を学ぶための学費、上京資金200万を貯める

グラフィックデザイン・パッケージデザイン・WEBデザイン担当


▼上京

「お前には無理だ」「やめとけ」まわりの反対を押し切って

2009年1月 絶望男子東京へ行く

愛媛を出発した夜行バスは12時間後、早朝の東京駅に到着

車内カーテンの隙間から見える天にも届くようなビルは朝日を受けて光っていて先が見えない怖さに足が震える

#朝の風景が恐怖と期待を五分五分に保たせた


▼専門学校時代

家賃3万5千円の安アパートでの生活

日中は宝石を学び、夜は居酒屋でアルバイト、
名前を売るべく明け方までコンペ作品製作

#ポストに包丁入れられる深夜の騒音野郎
#殺られる恐怖との戦い

在学中のデザインコンペ13点入賞

東日本大震災を被災、混乱のなか卒業する


▼宝石卸時代

「宝石の街」御徒町の老舗宝石卸会社へ入社
ジュエリー製造・デザインの業務を中心に携わる

仕事外の活動も積極的に取り組む
西日本豪雨支援 チャリティ販売会を主催
こども支援 絵本プロジェクトを企画・実行
ジュエリーコーディネーター勉強会の運営

同僚との結婚、長男を授かる


▼愛媛移住

田舎で暮らす父親の白血病が発覚
家族とともに愛媛への移住を決断

2020年11月 松山市への移住

フリーランスとして活動を開始

現在に至る

#この街好きです

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