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第9話 いつもニコニコ。恩師の話し

お久しぶりです。なおきです。
宣伝みたいになりますが、本日(2月28日)の日本経済新聞の朝刊の「交遊抄」というコラムのページに、僕の名前で、恩師である鈴木典比古先生の事を紹介する文章が掲載されました。
 
昨日の交遊抄は、京大の山中伸弥教授でしたから、全く場違いな僕は恐縮してしまいますが、今日のnoteでは、折角の機会なので、交遊抄でご紹介し切れなかった鈴木先生のエピソードを書いてみます。
 
鈴木先生に初めてお目にかかったのは、国際基督教大学(ICU)のキャンパスでした。
経営学博士で米国のビジネススクールの教授が着任、ということで、ミーハーな僕は好奇心満々で早速アポを取りました。
実際にお目にかかると、鈴木先生は、辣腕教授というよりは、やさしい親戚のおじさんのような方でかえって驚いたというのが第一印象です。
 
その第一印象のまま、爾来、37年間、進学の時も転職の時も、先生がICUの学長になられても、その後、国際教養大学の学長になられても、先生は、いつもニコニコ、僕の拙い話を聞き続けてくださっています。
「交遊抄」で書いていただいた「先生に相談にのってもらっていた喫茶店」というのは、西新宿の高層ホテルにある喫茶店です。これは、ICUのある三鷹まで行くのが遠いという誠に自分勝手な理由で、鈴木先生にいつも西新宿まで来て頂いたという全く非常識な事情からです。鈴木先生は、そういう非常識な僕の態度は全く気にせずに、「吉田君、どうしたの?」といつも相談にのってくれたんです。お恥ずかしい話ながら、鈴木先生のお人柄そのもののエピソードです。
 
卒業生と話していると、鈴木先生のイメージというのが、先生のお子さんも小さかったこともあり、キャンパス内をママチャリで移動されていたというイメージが最も多かったです。そこで、鈴木先生のICU学長就任のお祝いに、ゼミ生一同より自転車を贈呈したところ、会場でニコニコ乗ってくださったのが鈴木先生らしかった。もっと気の利いた記念品はなかったのかと今さら思いますが、ニコニコと乗ってくださいました。
 
鈴木先生の御尊父の葬儀にゼミ生が多く駆けつけたのも鈴木先生らしいエピソードです。時代も今から考えるとゆったり時間が流れており、先生の実家にほど近いところにあったICUの那須キャンパスでゼミ合宿があった時、夕食は皆で自炊。そこに、ご両親が手作りの野菜を届けてくださり、ご両親とも交流があった学生が多かったんです。
 
鈴木ゼミは、アカデミーに進路を求めた卒業生も多く、そのアカデミック枠の代表が、七井誠一郎城西国際大学教授です。たった一年僕が先輩というだけで、37年間、七井先生にはお世話になりっぱなしです。(逆ではありません汗。)
 
アカデミック枠と言えば、僕は長年、宴会枠として主にカラオケを担当しました。
僕はその後宴会枠も脱落してしまいましたが、同じく宴会枠の齋藤こずえさんが、公私共に忙しい中、鈴木先生とゼミ生の交流の幹事役を続けていただいています。このため、37年経っても、私たち卒業生は時々鈴木先生を囲んでいろいろなお話しができるのです。
 
昨年、鈴木先生が今理事をされている杏林大学で講義をさせていただいたところ、杏林大学の学生の前で、先生から思わぬお褒めの紹介をいただき感激し且つ赤面しました。大学卒業後も何度も進路に悩んでいた僕にはもったいない言葉でした。
 
鈴木先生は喜寿を迎えられ、4月には広島県公立大学法人理事長に就任されます。先生は、ご自身の時間を、まさに公のため、そして若い学生、そして巣立っていった卒業生のために、尽くし続けられて来ました。二つの大学の学長を歴任され、また別の大学の理事長をされるというキャリアは、日本では稀有ではないでしょうか。
 
まだまだお忙しい日々が続くと思いますが、鈴木先生、これからもずっと奥様と仲良くお過ごしください!!ありがとうございます。

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