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#0 生い立ち|鮎澤直希

こんにちは!鮎澤直希(あゆさわ・なおき)です。

今回はPOOLOの卒業制作の第0章ということで、初note投稿です。

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テーマは#これからのこの世界で私がやりたいことなのですが、本題に入る前に、私のビジョンを築いた原体験や人生について書いておこうかなと思っています。

自分史とか生い立ちとかってよく言われますが、僕が今の会社の面接受けるとき、この話をしたことでなんか受け入れられた気がしたんです。

人のバックグラウンドを知ること、開示することって、人を理解するのにすごい有効な方法なんだなあと思いました。興味のない方は飛ばして#1から読んでもらっても大丈夫です(笑)。

#0-1 絶望

0歳:東京都で誕生。3518gの重量級。
3歳:大相撲にハマり、関取に憧れる。初の海外はハワイ家族旅行。
6歳:桐朋小学校に入学。痩せ始める。
8歳:心機一転。少年野球チームに入団。
10歳:小学校で軽くいじめられる。
12歳:少年野球チームで都大会に出場する。
13歳:桐朋中学校に進学し、野球部に入部。
15歳:中学3年間で一度も公式戦に出場できないという屈辱。

この辺りはかわいい少年という感じですが、個人的にある程度恵まれた家庭で伸び伸びと育てられた分、小学校での軽いいじめによるショックは大きかった。

ボール遊びの帰りに四方を囲まれてボールをぶつけられ取りに行かされ授業に遅刻したり、サッカーの試合に入れてもらえなかったり。。。。

端から見れば大したことじゃないし、周りはいじめだと思ってないかもしれないですが、個人的には痛烈でした。排除される者の苦しみを味わったのです。

あと、年表には記載していないですが、その当時小学校で見ていた「はだしのゲン」は、個人的に戦争の恐ろしさを痛感した経験でもありました。修学旅行も広島で、徹底的に戦争の恐ろしさを教え込まれましたね。

ちょっと今の自分に繋がるエピソードをちょいちょい挟んでいるつもりです。大好きな野球でベンチにすら入れず、超ネガティブな小学校・中学校時代でしたが、高校でもこのまま落ちこぼれてしまうんでしょうか。。。

#0-2 兆し

15歳:怪我の影響もあり、高校は野球ではなく「ゴルフ部」を選択。
16歳:文化祭の装飾委員長を務め、初と言ってもいい成功体験。
16歳:イギリス・ケンブリッジの語学研修で感銘を受ける。
17歳:一橋大学社会学部に合格し、入学。
18歳:アイセック一橋大学委員会に入会。

高校では、キッパり野球に別れを告げました。当時膝を怪我していた私は、走らず飛ばないスポーツを探しゴルフ部への入部を決断。

最初は大会で優勝するとか意気込んでいましたが、結局これはまともに練習できずに引退を迎えます。じゃあ何をやったかと言うと、文化祭、語学研修、受験勉強でした。

これらがまんまとハマって、文化祭は最初は誰もついてきてくれず最悪の状態からなんとか成功させ、語学研修でケンブリッジの街が大好きになり留学に憧れ、高2から暇になったので受験勉強を頑張っていたら現役で一橋に入れました。

はじめて人と一緒になにかをつくる喜びを知り、はじめて外の世界に自分で踏み出す勇気が湧き、はじめて頑張って良かったと心から思えた。

ほんのちょっとしたきっかけの積み重ねですが、この辺りから海外が好きになり、外の世界を知る楽しさ、そして国家間の衝突とか、国際的な社会問題に対する小学校の時からの関心がさらに深まって、大学ではアイセックに入会したのです。(何それ?っていう説明はもう一個下で)

#0-3 自信

18歳:アイセックの活動で初の途上国・スリランカに渡航。
19歳:活動でガーナに渡航。海外インターンシップの新規プログラム立ち上げ、1人目の参加者の送り出しに成功。
20歳:アイセック一橋大学委員会の海外インターンシップ事業統括・委員会経営幹部を務める。(年間25人の途上国インターンを支援)
アイセックは、海外インターンシップを通して、学生に母国とは異なる環境で問題解決経験を提供し、世界中の若者のリーダーシップで社会を帰ることを目指す学生団体です。

アイセックとは、超一言で言うと、海外インターンシップを通して、若者のリーダーシップ開発を促進する団体です。
そして、「平和で人々の可能性が最大限発揮された社会」に向かうためのムーブメントを世界中に起こしてやろう、というビジョンを掲げています。

入会した私はただ学生を斡旋するだけでなく「社会課題解決」に主体的に挑める新しいプログラムを作るために、1年の夏にスリランカ、2年の春にガーナに渡航しました。

そこで感じたことはまたどこかで詳しく書こうかなと思います(今度公開するnoteにも書きます)が、とにかく日本と違いすぎて衝撃。
途上国は貧困で問題だらけだと思っていたのですが、それだけでなくポジティブな魅力がたくさんあるんです。日本ではやっぱりアフリカ渡航に抵抗を抱く人が多くて、事実があまり知られてない。。

私は大学2年の夏にプログラムを成立させ、多くの人に参加してもらえるようになりました。渡航前から渡航中まで週1で面談を続けてきた参加者の1人の帰国後の変化に、大きな希望を感じました。

もしかしたらこれをもっと広げることができたら、「世界中のすべての若者にリーダーシップを」という組織の理想がもしかしたら実現するかもしれない。と思ったわけです。

そこで大学3年では事業の統括として25人の挑戦を支援しました。たった25人、されど25人。危険も伴う海外渡航において命を守る責任、80人近くメンバーのいる組織を経営することの難しさ、人と向き合うことの難しさ、変わらない世の中の矛盾など、様々な葛藤に向き合いながら、理想に向かって走り続けた1年でした。

#0-4 学び、そして未来へ

21歳:スローガン株式会社FastGrow事業部でのインターン。POOLO入会。
22歳:一橋大学社会学部卒業。卒論テーマは「西欧諸国の21世紀型排外主義」
22歳:株式会社イトクロに入社。
アイセックで見た夢のような世界は、結局途方もない理想でした。

それでも、自分が人生の中で最も本気になれた1年間。

自分のやりたいことのヒントは絶対にこの中にあるはずだ。それを生涯探し挑み続けよう。

そう思って就活を始め、今の会社イトクロと出会い、インターン先のスローガンに出会い、「教育」や「メディア」といったアプローチから、自分にできることを増やしていくことにしたわけです。

そしてPOOLO。インターンで仕事ばかりやっても、アプローチしか見えず目的を見失うと思ったので、自分のビジョンと共感度の高いコミュニティに所属することで、生きる指針にしようと思ったわけです。

大学4年の活動で整理したことが#1以降にも通じていると思うので、この辺りの詳細は割愛します。

教育やメディアに興味を持った背景として、一つは自分の人生経験によるものが多いと思います。その点は、この生い立ちから少しは察していただけるのかなと。

一方で、「これからの時代のこの世界」のリアルな実情だったり、そこから読み取れるロジカルな推察や、そこに自分の想いや人間性が掛け合わさったときにどんなことができるのか、という話は、しっかり書かないとダメだなと思っています。

POOLO卒業制作#これからのこの世界で私がやりたいこと、本編では、そうした部分を書き残していきます。

簡素なものでしたが、つまらない私の生い立ちの話を読んでいただきありがとうございました。
ではまた。#1でお会いしましょう。