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どうして作りたいと思ったのか⑦ 知識で区切り、経験で繋げる

今回、本作製とはまた無縁のようなストーリーもある。自分自身書いていてこのnoteの筋を見失い、途中彷徨っている面もある。
その中で、確かに自分の意識に触れているところが出てきてもいる。
今まで言語化できていなかった抽象的だった意識を、言葉で表現することができるようになってきたと思うところがある。
その具体的な言葉は、また別のnoteで書く。
今回は、依然として出港しない旅の始まりに、言葉や概念で分断されていた感覚について。

出港という終わり

2013年1月、東南アジア、ネパール、インド一人旅がいよいよ始まる。
約3ヶ月の海外への旅は、地球の歩き方や台湾、フィジーでの経験があるとはいえ、未知の予想できない世界へ飛び込むという感覚は強く、フェリー出港を控える大阪港での待合は、快く迎え入れる不可避の儀式のようだった。
未知の世界へ約3ヶ月。
地球の歩き方はあまり読まなかった。ほとんどお守りのように、迷ったり困ったりしたら開こう程度で、こんな旅にするという想像は、安全対策以外何も考えていなかった。
海外滞在をしたという少しばかりの経験は、なんとかなるという自信をくれたので、読むという行為まで至らせなかったのかもしれない。

フェリーに乗船するのはほぼ中国の方のようで200人以上いて、皆ワイワイキャッキャと本国での親族との再会を想っているのか、家族での大旅行のような感覚なのか、言葉は分からないがそんな雰囲気は伝わってきた。その中で、日本人は見送りの友人二人を入れてどうやら三人だ。
冒険心でワクワクと心が高揚する反面、これから自分自身でなんとか安全な寝床を確保して危険を察して自身を守る意識が覚悟となり、全身は心地の良い緊張で集中した。

目に映る色は鮮やかで、自分が発する言葉の一つ一つは大切で重さを持っているかのようで、自分自身の存在感がくっきりしていた。
インドで感じたいと欲した「死」が、もう今、この時にあるように、瞬間瞬間を掴んでは離れていく時が愛おしかった。

新鑑真号という名のフェリーに乗り込む。これからいよいよか。
甲板でしばらく待ち、定刻通りに出港する。
友人たちに手を振る。新鑑真号はゆっくりと迷いなく陸から離れて、旧知の島から未知の大陸に向けて進んだ。

photo: ハワイ島からの夕焼け, Hawaii, Manusu, PNG, 2014

この旅は、一つ一つの出来事を上げればキリがないほど、様々なことに感心し感動する濃密な時間だった。
現在の本制作と関わりが強いと感じている出来事をnoteに書いていく。
そうしないと終わらない笑。
そもそも、いつの間にか紀行文になっている気配すらある。いや、紀行文だな。これは。
元の主軸を意識する努力をして、書き進めていこうと思う。
いや、まぁこれはやはりこれでいいのかもしれないな。
読む側の意志に寄せすぎると、この文章は意味のないものになるから。
こんなことをごちゃごちゃ考えながら、ダーツの旅のように飛び飛びに、印象的な光景を展開していくことにしよう。

訪れた街、2013年1月 - 4月

この旅は、「あまりどこどこに行って何をしたい」
などと具体的になくて、東南アジアにネパール、インドを広い意味で知りたくてどっぷりと浸かりたい、国際協力の世界に位置付けられる青年海外協力隊の活動を実際に見て、自分も協力隊になりたいと思っているけど何をモチベーションにするのかを自分なりに感じたかった。
その結果、この様なルートを辿ることになった。

大阪港
・中国:上海→深セン→
・香港
・マカオ
・中国:珠海→南寧→
・ベトナム:ハノイ→
・ラオス:ルアンパバーン→バンビエン→サワンナケート→ビエンチャン→
・ベトナム:フエ→ホーチミン→
・カンボジア:プノンペン→シェムリアップ→
・タイ:バンコク→クラビ→ハートヤイ→
・マレーシア:ペナン→キャメロンハイランド→クアラルンプール

・ネパール:カトマンドゥ→ランタン→パタン→ポカラ→チトワン→スノウリ→
・インド:ゴーラクプル→ニューデリー→アーグラ→バラナシ→カジュラホ→コルカタ

関西国際空港

回った土地を挙げてみると、こんなにも多かったんだと感心する。

photo: スリランカの小売店, Negombo, Sri Lanaka, 2019

固定概念と自分自身

先進国と発展途上国、という言葉がある。
アジア一人旅をいわゆる先進国の日本から、発展途上国の国々を回る旅、と見ることができる。
この2つの対をなすような言葉から何を想像するだろうか?
ぼくは、海外に出るまで知っているつもりだった。いや、断片的な情報から勝手に想像をしていた。言い換えると「フィジー」は、ぼくの頭の中にある情報であって、身体的な存在感としてなく、コミュニケーションを取る間柄ではなかった。

満腹でご飯を残す場面、「アフリカの子供は食べれていないのに」と、やや嘲りを含んだ言葉をこれまで何度か知人に言われたことがある。今でもこのフレーズを度々耳にする。実際、飢餓に見舞われている地域もあるのだろう。
でも、ぼくは知らない。メディアや教科書で紹介されるシーンは、いつだって恣意的で一部であって、全体でない。自明の理ではあるけど、その切り取られた情報を鵜呑みにしていた。
本当にその飢餓の状況をよく知っている人が、この食事シーンに出くわすとどのように感じるだろう。日本とその地域の社会的実情を理解して、無知の無邪気さと悲しさと、人によっては力の及ばない無力さの中で揺れる。そんな面が心のどこかにあるという心境は想像に易い。
一つ明確に言えるのは、その言葉「アフリカの、、、」の中に嘲りなどあるはずがないということ。
ぼくらは、いや少なくともぼくは、概念にまみれている。世界規模的に見える大きな正義、規範と呼ばれる社会の基準や、その世間の常識、家族間の約暗黙のルール。どれもが正しくて、どれもが正しくなかった。

この旅は、日本の社会通念による善悪、法律の保護、行政や組織の安全保障、このような判断や保証といった膜から離れた世界にいる、という感覚だった。
誰も自分の人生の判断に責任を持ってはくれないし、事実持てない。持てるはずがない。
アジア一人旅も、パプアニューギニアへの赴任も、カレー屋(じゃないけど)を始める前も、必ず誰か反対する人はいた。それらしき言葉で、ぼくの「安全」を確保しようとしたし「幸せ」を願ってくれた。確かにそれも一理あったし、嬉しいことでもあった。
「好きだから、したいから」にも色々あると思うけど、純粋に外に結果を求めない行為に失敗はないはずだ。人はどういうか知らないけれど。
自分の足で歩を進めた光景は、その光景そのものが自分自身なのだと最近は感じる。

先進国と発展途上国。
経済的に恵まれている国とそうでない国。
つまり、幸福な国と不幸な国という図式が、旅前のぼくの中で自然と浮かび上がっていた。
「戦後の高度経済成長で先進国の仲間入り」

先進国と発展途上国。
この言葉の意味について、知っていったアジアの旅だった。

photo: 離島の通学, Jowan, Manus, PNG, 2015

cover photo: 教育の場, Biyagama, Sri Lanka, 2018

ではまた!

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