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どうして作りたいと思ったのか③ 模範から少しずつ外れていく

過去のことを書いていて想うのは、やっぱり全てが今に繋がってきているな、ということ。会社員時代の憂鬱が海外に実際に行くという、当時の自分にとっては大冒険に駆り立てるきっかけを作ったのは間違いがないのだと思う。今はやっていきたいことをベースに仕事をしているつもり。やっていきたいことは好きなことが軸にあるけど、苦手なことも含まれていて、でもやっぱりやっていきたいから苦手なこともする。
やっていきたいこと、今ではそれは現実的に時には重量を感じるほどある。けれど、高校までは本当に何もなかった。大学進学もただバイオテクノロジーって言葉が格好良い様に思えて選んだ程度。
好きで本気でやることを覚えたのは大学の時なので、話はどんどんと膨らんでいって、本作製をしたいという動機に辿り着くには一見無駄な話なのかもしれない。けれど、書かずに通れない気がしている。

本筋から離れている気もするけれど、良ければ。

photo: 裕福な離島のキッチン, Lou, Manusu, PNG, 2015

好きは本気に繋がる。本気は傷つく。

何事に対してもどこか本気になれていない感覚が常にあった。

小中高学校で定期的に行われるテスト、部活、大学受験、会社員。どれをとっても真剣だったけどどこか冷めてて、ぼんやりと会場の観客席から眺めている客のように、実感を伴わないまま、時間にイベントが終わっては始まった。

本気を求めるように、大学ではサークル活動に授業はほとんど出ずに没頭するようになる。あの頃、熱中する時間が永遠に続けば良いと思うほどのめり込んでいたけど、サークルの肩書から離れた時、夢から醒めた。自分にとっては初めての青春の終わりだったのかもしれない。

あの時、社会の模範から外れて好きなテニスに明け暮れる日々は、確かに燃えていた。
その後、社会人の一会社の一営業マンの自分は個を輝かせること無く、名前を失くした人のようで、機械のような無機質な世界の中にいた。
大学時代を会社員時代と一緒くたんに考えると、大学の時に「こう」していれば社会人の冷たく虚ろな日々を歩くこともなかったと言えるかもしれない。
担当教授から「勉強をすることが学生の本分」だと言われて研究室にろくすっぽ行かなかったぼくは猛烈に嫌われた。それも当然。
当時、その態度は胃に石を入れたような重く苦しかったと鮮明に覚えている。それまで社会の規範に則って八方美人に生活してきたから嫌われることや批判されることはほぼなかったから。
でも、大学のバカをして熱にやられた日々は、言い換えると苦しみを含んだ喜びで、その後の人生に「本気」をくれた気がする。
それに、教授の「君は香具師だな」(この場合、ニセモノをホンモノの様に見せる卑しい人間)という蔑みの言葉も、今ではとても感謝している。本気で当たること、きっとその後のどこかで役に立つものだと心底思う。

心の中に残る言葉は、僕の場合はどれもがキラキラした言葉ではなく、むしろ鈍く重たい現実を突きつけられたものが多いな。


photo: お菓子を待つ, Washington D.C., USA, 2018

「今」を信じられない会社員時代

「入社前、自分が変われば会社は変わる。自分次第だ!」と前向きに考えていたのにも関わらず、どんどんと日々の疲れが身体にも心にも染みついていって暮らしのハリはなくなっていく。

未来を描けない。過去してきたことの一応の帰結点が「今ここ」であるはずだけど、まるで急に異世界に来たかのように今に意味を見出すことができず、過去はどんどん遠い平たい存在になり色褪せた。

生活をしていくために仕事をしているのか?このままずっと?何のために?誰のために?人生とは何なんだ?このもったりとゆっくりと絡みつく藻掻く日常の中、希望はあるのか?

営業車の中、スティーブ・ジョブズの「点と点は繋がる」というスピーチを聞いて思わず涙した。後輩がいるにも関わらず泣いた。泣かずにはいれなかった。

「何をしたいのか?」
その問いに対する答えが現状を打破する力になると想い、真剣に自分自身に何度も問いかける。営業中の車の中で何度も何度も。遠くの希望でも良かった光を感じたかった。
でも、分からなくて、答えられなくて、現状が無意味に思えて自分自身を定義できなかった。何かにすがりたいほど不安だった。

「明日死ぬんだったら何を今したいのか?」
という今を意識する質問に変えた。
うーん、とそれでも困った。美味しいものを食べたいぐらいなのかも?とか。

「世界が今夜終わるなら」という本を買ったり、人が死ぬ前に言う言葉を調べたり。
当時の彼女との別れや、愉しかった大学時代、もう二度と会うことも叶わない大事な人との関係が「終わり」を意識させたのかもしれない。

ちなみにぼくが調べた死ぬ前の言葉は「私のことを覚えていて」だった。突然事故にあった人が助けにきた救急隊の人に言った言葉らしい。

photo: マヌス島離島の食事, Jowan, Manus, Papua New Guinea, 2015

cover photo: 街で燻製した魚を売る, Lorengau, Manus, PNG, 2015

ではまた!

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