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諦めの悪さに憧れる

歴史上の人物に励まされたり、そのように自分も生きたいと憧れる。
中でも好きな一人が、室町幕府15代将軍足利義昭だ。
義昭というと信長の敵役で、しかも信長に京を追放されたりしてあまり良いイメージを持っている人は少ないように思う。

簡単に義昭のストーリーを書く。

義昭は、次男として生まれたために6歳で出家する。その後兄の義輝が暗殺されたために、自らの手で幕府の再興を目指した。

家臣もなく、資金もない中で各地を転々としながら諸大名に手紙を書き援助を要請し続けた。それに答えたのが織田信長だ。

信長と組んだ義昭は上洛に成功し、15代将軍に就任。
しかし蜜月関係は続かずやがて敵対するようになり、義昭は信長と敵対する勢力と組み「第一次信長包囲網」を形成。
信長を追い詰めるが武田信玄の病死により失敗。
京都を追放される。

それでも諦めない義昭は毛利氏を頼り西へ。
備後国で鞆幕府(ともばくふ)を開き、ふたたび第二次信長包囲網を作る。
だが、この第二次包囲網も上杉謙信の病死によって失敗。

その後、本能寺の変で信長が討たれ、ふたたび上洛を目指し諸大名に呼びかけるがそれに応える者はほとんどなかった。

最終的に秀吉に諭され将軍職を降りることになり、ふたたび出家する。
その9年後、61歳で病死。

とまあ、スタートからないない尽くしで信長と対立し一時は窮地に追い込むも、頼みの綱の信玄と謙信が病死して失敗に終わるというツキのなさ。

だが室町幕府再興という夢を何度失敗しても諦めず、ヒーロー信長に挑み続けた。

最後、秀吉と対面して引導を渡された時の気持ちを想像すると胸が熱くなる。

でも、義昭は悔しかったと思うが悔いはなかっただろう。

例えばスポーツでもよく「引き際」ということを言われるが、僕は諦めの悪い人が好きだ。
サッカーの三浦カズ選手や、少し前だがメジャーリーガーの野茂英雄投手などスーパースターが「みじめだ」と後ろ指を指されながらも、最後まで現役続行を諦めない姿は美しいと思う。

結局、どんな困難な状況であってもそれを言い訳にするかしないかだけなんだろう。

僕も「普通に生まれたかったな」と思ったり、それを何かの言い訳にしたくなることも頻繁にある。
だが諦め悪く、強く生きる人の姿を見ると、いつまでも言い訳をしている自分のことを客観的に捉えられるようになる。

歴史家の加来耕三先生が以前、
「何をしたか(どんな結果を残したか)ではなく何をしようとしたかを見なければ、その人の本質を理解することはできない」
とおっしゃっていた。

義昭は、結果としては何かを残せたわけでないだろう。
だが「義昭が何をしようとしたか」に僕は胸を打たれるのは事実だ。

僕自身、年をとったわりに何もまだ成し遂げられていない。
だが最後まで諦めの悪い生き方をしたいと、そのような先人達の姿を見て思う。






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