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第4話「子鳥は巣にかえる」

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「クラース、幼馴染のことは心配じゃないのか?」
「え?」
 ぐねぐねと切り立った黄土おうどの道を歩きながら、ふと疑問に思った俺は訪ねてみた。
「いや、お姉ちゃんお姉ちゃんって。クラース、お姉ちゃんのことばっかりだからさ。幼馴染のことは心配じゃないのかなって」
「ああ、ソールィエンスのことですね」
 クラースは頬を膨らまさんばかりにぐちぐちと喋り始める。
「いいんですよ、ソールィエンスは……。だって、ソールィエンスったら。アウローラ姉ちゃんアウローラ姉ちゃんって、口を開けばそればっかりで。あの日だって、やっとアウローラ姉ちゃんと一緒に黄泉蔵探索が出来るって。いいとこ見せるんだって、猿みたいに鼻の下なんか伸ばしちゃって。初心者のクセに、あのアウローラ姉ちゃんにいいとこなんて見せられるわけないじゃない。馬鹿みたい。ほんと、男の子って嫌ですよね……」
「……クラース。もしかして、お姉ちゃんがとられそうで嫉妬してたのか?」
「え? ……、そんなんじゃ、ないですよ」
「ふぅん」
 素っ気なくそっぽを向くクラースを見て、素直じゃないところもあるんだなと俺は思った。
「……! あれ」
 突然、クラースが走り出す。
「おい! 危ないぞ!」
 俺は急いでクラースを追う。
 クラースは壁のない道を終わりまで駆け抜け、黄土が続くちょっとした広間の壁際まで走っていくと、大きな岩の前でしゃがみ込んだ。
「これ、お姉ちゃんに……」
 クラースは拾い上げた布切れのようなものをじっと見たと思ったら、お姉ちゃんの形見を失いたくなかったのだろう、隠すように急いでそれを懐にしまった。
「いきなり走り出すなよ。ほんとにそれ、お姉ちゃんの物なのか?」
「……はい。間違いありません」
 そう言って振り向いたクラースの後ろ、大きな岩の陰から出てきたものに、俺はぎょっとした。
「クラース! 早くこっちに来い!」
「え?」
 きょとんとするクラースの背後で岩の陰から姿を現したのは、かろうじて人型をしてはいるが、本能的な恐怖をかき立てる異形のもののけだった。
「ウバワ、ナイデ……。ウバワ、ナイデヨ。オネエ、チャン……」
 もののけの声に向き直ったクラースが、しゃがみ込んだまま硬直している。ヤバい!
 咄嗟に走り出していた俺はクラースを突き飛ばし、もののけの禍々まがまがしい手で顔面を切り裂かれる。
「うぅっ! ぁぁっ……」
「……いったぁ。っ! アモールさん?!」
「大丈夫だ。下がってろ」
 俺は呪術ですぐに傷をもののけに移す。しかし、もののけの顔に移った酷い傷はぐちゅぐちゅと音を立てて瞬く間に塞がった。こいつ、強い……。
「アア、ウウ……。ウバワ、ナイデ。ウバワ、ナイデ」
 このもののけは“カエリオニ”だろう。
 “カエリオニ”は呪いによって生まれるもののけだ。
 元々呪術を極めていた俺は、裏切られて殺されかけた強い憎悪の念をもって、今や一瞬で人を呪い殺すことが出来る。
 しかし、普通、人に対する呪いはその効果が大きければ大きいほど、そんなにすぐに効果が現れるものじゃない。もちろん、それが非常に困難だからというのは間違いない。だが、対人の場合、暗殺や戒めなどに使われることの多い呪いはそもそも、条件を満たした時に発動するものや、じわじわと相手を苦しめるタイプの呪いの方が需要があり、発展してきたという側面もある。
 だから、対象が呪いを受けるまでに時間がかかる場合が少なくないため、呪われ切る前に、呪いとは関係のない病気や事故などで死んでしまうということも起こりうる。そうなると、呪いは行き場を失ってしまい、その多くは呪った術者にかえっていく。
 普通なら単なる呪いとしてかえるだけなのだが、強力な一部の呪術や欠陥のある呪術を使った時などに、その呪いがもののけという形になって術者にかえることがある。そういったもののけ全般を“カエリオニ”と呼ぶのだ。
「オネエ、チャン……。モッテ、モッテ、モッテルジャナイ!」
 カエリオニは目の前の俺を無視して、クラースに襲いかかろうとする。
「動くな!」
 俺は右手を前に構えてカエリオニの動きを封じようとデバフをかけたが、完全に止め切れず、その気色の悪い体の突撃を受けてしまう。
「くそっ! クラース! 離れてろ!」
「ごっ、ごめんなさい。足に、力が、入りません……」
 俺の真後ろで、クラースが震える声で言った。
「くそぉ!」
 俺は呪いを右腕に込めてカエリオニを突き飛ばした。ヤツは大岩に体を打ちつけて、もぞもぞと気味悪く悶える。
 本来なら、こんな風に呪いを直接攻撃に使うのは効率が悪すぎるが、どうやら強い怨念を持つ俺は、もののけを突き飛ばせるほどの威力が出せるみたいだ。
「ウバワ、ナイデヨ……。ウバ、ウバ、ウババ」
 それにしてもこのカエリオニ、クラースを狙っているのか? それとも、クラースの持つ布切れが欲しいのか……。
 本来カエリオニは、あくまで術者にかえる呪いなので、積極的にそれ以外の対象を襲うものではないし、強い呪いから生まれたものはコイツみたいに人の言葉を喋るが、知能があるわけではないから物に執着したりもしないはずだ。
 とはいえ、有能な呪術師ならカエリオニ対策を行い、自分にかえらないようにしておくことはもちろん、特別な性質を付加することができるはずだし、そもそもこいつらは完全に人間の道理が通じるような存在ではないから、いくらでも例外は起こりうる。
「ぐだぐだ考えるだけ無駄か……」
「モッテル、モッテルデショ? オネエチャン。イッパイ、イッパイ」
 カエリオニがこちらに向かって来る。
 俺は右手で手刀を作り、イグニスたちのことを思い出す。
 あいつら、俺を裏切りやがって……。俺を、この俺を……。俺はもともと才能があったのに……。努力だってしたし、ルクスたちと共に戦うだけの実力だってあったのに、馬鹿にしやがって……。お荷物扱いしやがって……。許せない。許せない……。殺してやる。殺してやる……。
「オネエチャン。ネェ、オネエ」
「うああああああああああ!」
 俺は手刀に怨念を込めて、目の前まで迫ってきていたカエリオニの胸に突き出す。
「オ、ネエ……。エエエエエ……」
 カエリオニはぽっかり胸に穴を空けられ倒れるが、まだ消滅しない。
 俺はしゃがみ込むとヤツの頭を鷲掴みにし、握り潰した。
「はぁっ、はぁっ。どんな呪いだか知らないが、俺のこの呪いに叶うものか……」
 立ち上がって俺はクラースを振り返る。その背後で、カエリオニが消滅していく気配がする。
「大丈夫か、クラース」
「……はっ、……はい」
 おびえた顔で俺から視線を落としたクラースは、消えていくカエリオニをただただ茫然と見つめた。


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