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2022年を振り返って(7月〜8月)
さてこれでやっと半年分振り返れた(のか?ただやったことの羅列にとどまっている気がするぞ…😅)ので、今回から後半戦。
前半は新しいことを始め、そこから自分の内面を覗き見る機会になったように思う。
後半はさらに自分と向き合う時期になっていく。
※ 7月、8月、9月で振り返ろうと思ったら7月、8月だけでボリュームがありすぎるので9月は次回に回します。悪しからず。
7月〜8月
NIPPON FOOD SHIFT
この頃から株式会社dotと本格的に絡み始めた。
dotの中での自分の役割りというか立ち位置みたいなものを少しずつ互いに認識し始め、出来る事が増えた。
それはdot側が僕とやることを選択してくれたという側面が強いが、僕自身もdotの可能性に自分の持つ力(ability)があることを信じれたこともまたデカいと思う。
特に注力をして関わっているのはNIPPON FOOD SHIFT FESの企画だ。
去年は殆どのメンバーも運営側も食に対して特に専門性がわるわけではなく、それでもだからこそ生まれた価値と意義が確実にあった。
しかし、それだけでは色んな意味で不十分だ。
食のことを本気で考え始めて、はじめて分かる前提や葛藤など、一歩前に進んだから見える景色もある。
これまで食に関わってきた人たちも伊達に考えてきたわけではないので、少しかじった程度で解決出来る課題など正直皆無に等しい。
今世の中に解決策が無い事や、解決していない課題があるのは先人がトライしてそれでも残り続けているものが殆どだ。
だからこそ、先人が何をどうトライしたのか?
どういう課題にどんなアプローチをして、何故解決できなかった。もしくは、その一部が解決され新たな課題が生まれたのかを知るということはとても大事だ。
出なければ、同じ事を何回もしても(それが時には必要な時もあるが)なかなか解決へは向かわない。
同じ間違いをする必要は基本無いし、その時間があるなら他に試していないことをやってみるのが僕たち後生の仕事ではないだろうか?
僕は少なくともそう考えることが多い。
そして、僕はこれまで色んな食に関わる(行動する)・考えるひとたちと出会い話してきた。
僕自身が経験したことも沢山ある。
そんなぼくだからこそ、見える世界と提供できるものがもぐラボというチームにはあるということに気がついた。
別に偉そうに、「そっちに行けば失敗するよ」と高みの見物を決め込むつもりもない。
彼らが一歩踏み出そうとしたときに、その先の事を知って適切に情報を共有しながら、共に歩む人の存在が、このコミュニティーを飛躍させると思った。
だから僕は参画することにした。
実際今年のNIPPON FOOD SHIFTでテーマとなった「食糧安全保障」と「公正な価格形成」を食に興味ないコミュニティーメンバーにどう興味を持たせるか考えた結果、生協に白羽の矢を立てた。
いち生協利用者として、生協という場所が国が担っている「食糧安全保障」と「公正な価格形成」を組合員内という限定的かつ小さいコミュニティー内ではあるがある意味で実現しているように感じたからだ。
生協は生産者から加工、流通、販売、消費までが同一のコミュニティーの中に収まっている。
故に、互いの距離も近いし、声も届かせやすい。
組合員は出資金を出して参加しているので、税金で取られているという感覚より、自分で払って参加しているという感覚が強く、前向きに参加しているとも感じた。
勿論色んな側面があるので、一概には言えないが、それでも今回NIPPON FOOD SHIFTで農水省が国民にある意味で協力を仰ぎたい「意識」の部分については生協のアプローチは参考になることもありそうだと思った。
その上、消費者の事を第一優先に考える(というか共につくる)ということをどうするのかのノウハウや、コミュニティー形成の部分など、Z世代に響きやすいポイントも多かったのも決め手となった。
実際に行ってみて、参加者の満足度はかなり高かったと思う。
このこと自体は年明けに発表の場があるので、そこでの発表を是非聞いてみて欲しい。
いまみんなで必死に纏めている最中だ。
でもコーディネートした身としては大変良かったと思う。
勿論改善できるポイントはまだまだ無数にあるのは前提だが。
あしてらキャンプ
もともとオルタナティブスクールに通っていた僕にとってオルタナティブな教育の場に関しては思うことは沢山ある。
そんな中、認定NPO法人カタリバの人と出会う機会がコロナ渦にあった。
それが僕があしたの寺子屋という会社に出会うきっかけになったきよとさんとの出会いだ。
出会ったときの印象は鮮烈で、やり手の若手だという雰囲気が嫌と言うほど伝わってくるそんな人だった。
それから1年あまりの時が過ぎ、その時繋がったFacebookで彼が案内したのがこのあしてらキャンプだ。
彼が新しく始めた仕事で、clubhouseで船橋力さんと話したときにも出てきて気になってたコンセプトの会社であることがわかり、一気に興味を持った。
それでも、即行動を起こす程ではなく、一旦寝かせようと思ったら忘れてしまったほどだ。
だが、運命(大事過ぎか?笑)は面白いもので、あしてらキャンプのスタッフ募集の〆切直前に思い出した。
その時は完全にノリだけで説明会に参加した。
そこでおよそ1年半ぶりに出会ったきよとさんは変わらずだった。
しかも、僕のことも覚えてくださっていた。
今思っても完全に感覚的に面白そうというだけで応募を決めた。
でもそれが大きな転機になった。
有難いことに、あしてらキャンプのスタッフとして選んでいただき、夏のキャンプに参加させていただけることになった。
しかも、3現場にも連れて行ってくださるということで、勝手に期待していただいていると思って臨んだキャンプ。
実際とても気にかけていただいた。
「あしてらキャンプ」は、人口3万人未満の地域における“大学生などの少し上の世代との出会いや外部との接点が少ない”、“近隣に学習塾がない”などの教育課題の解決を支援するプログラム
正直、僕は特殊なバックグラウンドを持っているからそれだけで良いと思っていた。
オルタナティブスクール出身
海外留学経験者
現在は学籍は海外で日本にいながらオンラインで学ぶスタイル
英語力皆無で渡米
国内で社会起業(非営利の一般社団法人の立ち上げ)
など挙げればキリが無いとさえ思えてしまう。
この上多趣味で色んな事に手を出してきたから話せることも、共通言語になることも沢山ある。
これまでは、これだけのことである程度乗り越えられてきた。
だから、僕という存在がその場に居て生徒と出会って話すだけで価値を生めると思っていた。
勿論そういう側面もあるだろう。
しかし、このキャンプが大学生スタッフに期待していたことはそれにとどまらなかった。
このキャンプでは生徒対応マニュアルとなるものがほぼ存在しない。
このキャンプの中で僕らは何回も「自由にやってください」と言われ続ける。
これについて個人的にビックリした言葉がある。
意訳ですが…
大学生スタッフにはそれぞれの持ち味を生かして現場を作ってほしい。確かに僕たちがある意味で大学生スタッフを教育して行けば早いし確実だ。でも、それだと僕らが想像したところまでしか実現しない。それではこの現場は不十分なんだ。だから、僕らスタッフはみんなが自由に出来るための環境を整えるのが仕事。
これにはぐうの音も出なかった。
自分たちが選んだメンバーだから何をしても信頼していると。
ここまで無条件の信頼を託される場所はいくつあるだろうか?
しかし、社会の中で歯車の一つになることに慣れてしまった大学生スタッフは結構最初戸惑ってしまう。
それでも、僕らの戸惑いにも寄り添ってくれる。
僕個人もずっと葛藤していたことがある。
一つは生徒の世界を広げるために少し強引にでも連れ出す(相手のパーソナルな部分に触れる)ということを推奨されているのだが、僕はこれがとても怖かった。
マイノリティ性や社会課題の当事者たちが抱える悩みや問題に踏み込んで引き金を引いてしまう(友人やカウンセラー、伴奏者たちが)状況を沢山見てきた。
そして、そのツケを本人と一部のソーシャルワーカーが払ってることに課題観を持ち続けて来た身として、自分がその引き金を引く側になることが耐えられなかった。
それは福祉という界隈に専門性が近く、職業倫理として越境行為をすることへの倫理観が自分の中にあるからだと思う。
それでも、一個人として関わることには誰も何も言えない部分でもある。
診断がついてしまえばある程度強制的な介入が可能になるが、そんなことは稀なケースで、基本的に個人で、友人として、仲間として、先輩・後輩として、色んなカタチではあれ立場が職業で関わることは少ない。
それでも、どうこの問題に向き合えば良いのか自分の中でまだ答えは出ていない。
それがきっと迷いとなっていたのだろう。
現場では「逃げ」だとフィードバックを貰った。
正直悔しかった。
相手の想像する・知ってるやり方以外でそれを実現出来なかった自分の実力に。
それを伝える言葉を持ち合わせていないことに。
暫定的には、そこを踏み込むかはひとまず置いておいて、踏み込む力量があるかは結構な違いを生みそうだということだ。
これは来年トライしてみたい。
ここ2年ほど、自分の言葉や態度や考え方の中にある攻撃性や暴力性をはらんでいることへの自認とその排除を大きなテーマとしてきた。
それまで僕と話した人は「真剣を交えているよう」とよく形容されるほどだった。
もしかしたらこの2年でなまくらになったかもしれない。
それでも、この時間があって良かったと思う。
来年は使い分けられるを目指して。
不器用な僕にはまだまだ試練は続く。
もう一つは、生徒たちと関わって僕は何を残せるのだろうか?ということ。
これはある側面では多くの大学生スタッフの間で葛藤した、選択肢を見せることの是非でもある。
選択肢を見せても、僕らは彼らがそれを選びたいと言ったときに伴走してあげられない。
そして、選択肢を知り、葛藤する事で苦しむ事も沢山ある。
時にそれはその人を壊してしまうほどに。
そのことに自覚的でいるからこそ、無責任なことが出来ないと思ってしまう。
その気持ちも凄く分かる。
後ほど書くが、冬のあしてらキャンプに参加したときにはその葛藤は僕の中で一つの答えが出た。
しかし、僕という存在が彼らに何を与えられるのかは依然不明なままだ。
勿論一つという事でも無いだろうし、何一つ残せない人もいるだろう。
それでも、自分には何が出来るのか(出来る可能性があるのか)について自覚的ではいたい。
これは今後生徒と関わる上で大きな指針となるだろう。
普段やってることから言えば、具体的な夢や仕事、アイデアに関して深めることや広げることはそれなりに出来る。
しかし、まだ何がしたいか分かっていないひとに僕が深めたり広げることって何が出来るのだろう…
自分発信で何かを伝えることが圧倒的に苦手で、相手が欲しいの望んだ情報に関しては結構応えることが出来る。
そんな僕が、自らでは何を望めば良いのか分からない(少なくともまり明確には)ひとに何が出来るのか?
僕の見ている世界を共有することぐらいしか無いのではないだろうか?
でもそれを伝えることも僕にかなりハードルが高い。
伝える、深掘る、自分の根源的な部分に触れるということ以外で、自分のやりたいことや情熱を持てることを見つけるのは無理な事なのだろうか?
これについては引き続き考えていきたい。
もしあるなら、この原体験至上主義的な風潮に一石を投じれるのではないかと思う。
夏の拠点の開催レポートはこちら
【2022夏レポート】上士幌町まなびの広場@北海道上士幌町
【2022夏レポート】あしてらぴっぷ@北海道比布町
【2022夏レポート】ミライ・キャンバス@北海道上川町
40歳年の違う友
この夏北海道でもう一つ大きな出来事があった。
松下幸之助は20歳以上離れた親友を持つと視野も人間の幅も広まると言ったらしが、まさか40歳違う友が出来るとは思ってもみなかった。
彼女とは共通の友人を通して知り合い、札幌滞在中ずっとお世話になっている。
ずっと障害者の自立生活運動の最前線に立ち、障害者の差別について訴えかけ続けた人だ。
彼女と話せば話すほど、自分の持っていた違和感は間違いでは無かったと思えた。
何故僕は分かりやすい抑圧を受けた(障害や差別、虐待など)人間じゃないのに彼らと同じ感覚を持つのか?
この問いへの応えはまだ出ていない。
でも虐待サバイバーと話しても、性的マイノリティの人たちと話しても、障害当事者と話しても、何故か同じ視点で話せる。
そう感じていたのは僕の錯覚ではなく、確かに彼女の目から見ても同じ所から見ているらしい。
彼女が夏僕と話して書いた文章がある
同じ所から見れていることが良いことかは正直分からない。
でも一つ確かだと思うことは、今までは分かりやすい(社会的に抑圧と認められたもの)障害を持つひとだけが当事者として声を上げていたが、そうでなくてもある意味での当事者になれるということだ。
それが、障害が顕在化していなかったが確かに存在したからなのか、障害(抑圧)の有無に関わらず共有出来るのかについてはまだ不明だが。
でも、これは今後の社会運動の中で確実に大きな転機になる。
そんな気がしている。
そして、彼女に連れられて色んなひとに会い、彼女とその話をする。
それが僕の考えをさらに深くしてくれる。
正直僕が考えていることや、研究にしたいことを話しても、共感や重要性を感じてくれる人は居るが、共に考えてくれる人はなかなか居ない。
彼女は共に考えてくれる。
いや、正確には彼女もまた自身のライフワークとして考え続けている。
そして、そんな彼女の周りにはそういうことを考え続けている仲間がいる。
日本でそういう人たちのコミュニティーへの繋がりを持たなかった僕にとって、彼女との出会いはとても大きなものだ。
年に少なくとも数ヶ月は彼女と暮らしたいと思うほどに。
来年は検討したい。
さて、これで9月までは振り返った。
残すところは最後の3ヶ月。
今年は最後の3ヶ月も怒濤だった。次回もお楽しみに。
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